結局その日のうちに、チェ・ヨンが部屋に戻ることはなかった。
なんとはなしに慌ただしい皇宮の様子に康安殿に立ち入るのも気が引けて、
ウンスは昼すぎからは部屋でぼんやりと過ごしてしまった。
典医寺から借りてきた書物をめくってみたものの、漢字は苦手で目が滑る。
トギの行き先を、チェ・ヨンは知っているだろうか。
都にいる時間の少なかったチェ・ヨンよりも、チェ尚宮の方が知っているかもしれない、
と思い当たる。さっき聞けばよかった、と今更思っても、離れた王妃の寝所まで
行っていいものかもわからない。
部屋に届けられた食事を終えると、あとはやることがなかった。
まだあの人は戻らないのだろうか、と揺れる灯芯を見つめるうちに、
回廊を歩く人の足音も、仕事を終えた女官のおしゃべりの声も静まっていって、
ウンスはいつの間にか、眠ってしまった。
ふと、夜半にウンスは目を覚ました。
気配か、音か、それとも匂いだろうか。
薄く目を開けると、窓の月明かりを背に、このところ見慣れてきた人の影がある。
長外套を脱ぎ、剣を外すと、がしゃと音をたてて置いた。
「ずいぶん遅くまで働いていたのね」
夢うつつのように、ぼんやりと口走ると、人影が振り向いた。
「待っています、とおっしゃったのに」
本気でとがめるのではなく、からかうように、
夜に響かぬよう少しばかり声音を低めて、チェ・ヨンが言う。
「だって、とっても遅かったもの」
伸ばした腕に頭を乗せて、顔を窓に向けて眠気にかすれた声で、ウンスは言った。
乱れた髪が頬にはらりと落ちてくる。
「目が覚めて丁度よかった。起こそうと思っていたところでした」
月明かりが思いのほか強く、窓を背にしているチェ・ヨンの表情は、
ウンスからはよく見えなかった。
こんな夜更けに起こそうと思っていたと意外な言葉を聞いて、
少しばかり意識がはっきりする。
もう出発してしまうの、暗いのに、と手をついて少しだけ身体を起こして尋ねると、
出立までは、まだ数刻ありますと答えながら、寝床の横まで歩み寄る。
角度が変わってちらと見えた表情は、影のせいか疲れが見えた。
「それじゃ、少しだけ休めるわね」
そう言いながら、ウンスが身体をずらして入る場所を作ると、
チェ・ヨンはそこに腰掛けて、上衣を脱ぎながら身体を屈める。
袖に腕を絡め取られながら、顔だけをウンスの唇を寄せて、探るように口づける。
ウンスはチェ・ヨンの肩に手を伸ばして支え、あやすように軽く応えたが、
それでは一向におさまらず、チェ・ヨンは自由になった片手でウンスの肩を押さえると、
口づけは噛みつくかのごとく深くなった。
下衣も片手で脱いでしまうと、夜着も身につけずにウンスの横に滑りこむ。
寝たほうがいいと思うけど、と言いながら、ウンスはチェ・ヨンの首に手をまわす。
「寝ずにまいります」
ウンスの夜着の裾を割って、脚に手を滑らせながらチェ・ヨンはそう答えた。
腿の横で手を止めると、指に力をこめる。
火の灯らぬ部屋で、ウンスを覗きこむ瞳は黒々として、
熱病にでも浮かされたようだ。
「十日ほども会えませぬ。一刻やそこら眠るなど、どうでもいい」
肌に指の先が触れ、撫でられるだけで、甘い痺れる感覚が爪先に向かって流れる。
慣れぬ感覚にウンスはかすかに身体を緊張させた。
感じとったチェ・ヨンが少しだけ動きを止める。
どうしました、と優しく問われて、
まだあなたとこうするのに慣れてないだけ、とウンスは答える。
肌に触れられることも、肌を見られることも、さほどの経験があるわけでもなく。
「慣れて飽きるほど、毎夜こうできれば」
唇を触れ合わせたままで、チェ・ヨンは、もどかしげにそう言った。
固く結ばれた帯を解こうとして、絹に手が滑り、チェ・ヨンが忌々しげに
舌打ちをする。ウンスが笑いながらわたしがするわ、と解こうとすると、
その手を払って、帯は結んだまま胸の打ち合わせを無理に開いた。
ウンスはその性急さが可笑しくて、待って、と言うが、
待てませぬ、とチェ・ヨンは言って胸の間に舌を這わせた。
そのまま白く柔らかい腹を通って、小さな窪みに舌がたどり着くと、
チェ・ヨンは何やら嬉しそうに息を吐いて、二三度猫がやるように舐めた。
くすぐったさにウンスが身をよじると、そのまま腰を引き寄せて、脚を割る。
チェ・ヨンの腕の力は強くて、ウンスは軽々と動かされてしまう。
ウンスが髪に指を絡めると、チェ・ヨンは柔らかな脚の内側に歯を立てた。
猫でなくて虎だわ、とウンスは気づく。
それからチェ・ヨンは身体を起こし、ウンスに覆いかぶさった。
目を開けてください、とささやかれてウンスは目を開く。
自分を見るウンスの瞳をじっと覗きこみながら、チェ・ヨンは中に分け入る。
片足を抱え上げ、反対の手は肩に回して乱れた夜着ごと強くつかむ。
そうやって、できるだけ、というように深く繋がった。
まだ数度で馴染み切らぬ身体を、できる限り近く寄り添わせたい、
とでもいうように引き寄せる。
食い入るように自分を見ながら動くチェ・ヨンに、ウンスも目を奪われた。
揺すぶられながら何度も口づける。
「あなたのことばかり、考えてしまう」
ふと口走ったチェ・ヨンに、ウンスはこっそりと、わたしも、と答えると、
チェ・ヨンはひどく嬉しそうに息を吐いて笑い、また、没頭した。
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