「お前、剣術はどうにも、いまひとつだなあ」
副隊長チュンソクに剣を叩き落とされて、トルベは両手の拳をぐっと握って、
立ち尽くしていた。
こめかみには青筋が立って、はち切れそうだ。
まだ入隊して参月。
新米で下っ端で、使い走りの生活に、負けん気の強いトルベは毎日
歯ぎしりをするような思いだったが、それでも戦う腕では誰にも負けぬ。
そう思って鍛錬を重ねてきたのだが。
直情なトルベには、どうにも受けて流して斬るという剣術が肌に合わなかった。
子どもの頃からついた剣術の師範も、構えたかと思うと斬りかかるのではなくて、
剣であっても体当たりのように突こうとするトルベに手を焼いて、
挙句の果てには、この子には槍術の方に才能があると言い捨てて、
職を退いてしまった。
当時散員であった父親は、それを聞いてむしろ喜んだので、厳しく叱られると
思っていたトルベは驚いた。
「俺も剣術は好かぬ。あのような軽いもの、頼りなくてならん」
俺も槍が得意だ、と言う父に、トルベは深くぬかずいて、槍の稽古をつけてほしい、
と頼んだ。人に心から頭を下げたのは、それが初めてのことだった。
槍術なら誰にも負けぬ、そう言いたかったが、それを口にするのは負け惜しみだと
いうこともわかっていた。
いまここは、剣術の鍛錬の場なのだ。
大きく息を吸って、なんとかこみ上げる悔しさとも怒りとも言えぬものを、
腹の下までぐうと飲みこんで、トルベはチュンソクに頭を下げた。
それから数日、于達赤は、夜の尚書右丞の屋敷に潜んでいた。
尚書右丞の屋敷は黒屋根が目立つ大きな建家で、私兵も十数名雇うほどの威勢を誇っている。
しかし何しろ幼い王の拙い統治下、城下は荒れ模様で、文臣屋敷を狙う強盗が、
たびたび出没するというありさまだった。
今晩どうやら屋敷が狙われていると、金目当ての知らせがあって、
尚書右丞は都で最も腕が立つという于達赤をお貸しください、
と王に泣きついたというわけだった。
どうせ金目当ての偽の一報だろうと思ってはいたが、それでも王命とあらば、
と屋敷の警護にあたる。
隊長チェ・ヨンをはじめ、二十数名が屋敷に張りこんだが、夜半をすぎても何も
起こらず、少しばかり気が抜けてきたのを、チュンソクに戒められたばかりだった。
トルベは一人、槍を持っていた。
今日は実戦になるやもしれませぬ、私はまだ剣術は力及ばず、皆の足でまといに
ならぬためにも槍を持たせてください、とつまらぬ意地を捨てて隊長に頼むと、
チェ・ヨンはあっけないほどに軽く、それじゃあお前は槍を持っていけ、
と言ってどこかへ行ってしまった。
トルベは、自分の自慢の槍を握りなおすと、眠気を払うように、二度、三度と
頭を振った。
そのとき、壁に持たれて座り、目をつむっていたチェ・ヨンが、す、と立ち上がる。
「くるぞ」
何の気負いもない声で、皆に告げる。
特に気配もない中で、ひょお、と何かが飛んでくる音が空を切った。
チェ・ヨンが刀を振り下ろすと、きいんと響く音がして、チュソクの足元に矢尻が転がった。
突然味方ではない人影が、塀の上から降ってくる。
地面に降り立つ前に、一人チェ・ヨンに、もう一人がチュソクに斬り殺された。
乱戦だ、とトルベは息を飲む。
打ち入ってなだれこむか、そうでなければ裏手から何人かずつまとまって
侵入するだろうとばかり思っていたトルベは、鼓動がひどく早まって慌てかけたが、
他の于達赤の落ち着いた様子に、ふうと大きく息を吐いて速くなりそうな息を抑えこむ。
周りを見て、五歩下がって位置を取る。
敵の人数が思っていたよりも多い。それでも于達赤ならどうということはない数だ。
それよりも、塀の上にいて弓を引いてくるやつが厄介だ。
一人、于達赤が肩を射抜かれて膝をつく。
背中を守るように、皆が自然と近くの者の後ろに立つ。
トルベの後ろに立ったのは、いつも剣の鍛錬となると、わざと小手を峰で叩いて
悲鳴をあげさせようするチュソクだ。と言っても、トルベが思わずに悲鳴を上げた
のは最初の一回で、それ以降はどんなに強く叩かれようとも声を上げたことはない。
性格の好き嫌いと、腕の立つ立たないはまた別の話だ。
チュソクがまた一人、足を斬って動けなくする。
そのときだった、ひょおと風を切って、チュソクの頭に飛ぶ影があった。
トルベは、危ない、とも思わなかった。思う暇がなかったのだ。
ただその細く黒い線に向かって、考える間もなく手が伸びる。
気づいたときには手が矢を握っていた。
その手の中の矢を、振り返ったチュソクが、呆然と見ている。
「危ない!」
そう言ったのは、チュソクでもトルベでもなく、別の于達赤だった。
はっと振り返ったチュソクの目に映ったのは、自分に向けて刀を今にも振り下ろさんとする
盗人の姿だが、その顔の真ん中には、見たこともないほど見事にぶすりと矢が突き立っている。
弓で放たれたのではなくて、トルベの手に握られたまま。
トルベは自分でも驚いたように、矢から手を離す。
すると盗人は、どおと後ろに倒れた。
「これでは埒があかぬ」
ぽかんとするチュソクを尻目に、トルベは塀の上を見上げる。
暗がりの中に弓を引く姿が見える。
周りを見廻すと、ちょうどよい形のいい珠松がある。
両手を唾で濡らして槍を持ち直すと、トルベはその小ぶりの珠松を足場にして、
高く飛び上がる。
その飛び上がった一番てっぺんで、トルベの手から槍が放たれる。
さほど強く投げたようにも見えなかったそれが、ひょおんと唸りを上げて、
いっさんに前に飛ぶ。暗がりの中で焚かれた火に照らされて、
槍は夜闇に白いまっすぐの線を引いた。
どさり、塀の向こう側に何かが落ちた音がした。
その音と、高く跳んだトルベがチュソクの傍らに、音も立てずに降り立ったのが
ほぼ同時であった。
「すみませぬ、槍を取ってまいります。すぐに戻ります」
トルベはチュソクにそう言うと先ほどの槍のようにいっさんに、走っていった。
「その後、それを見ていたテジャンは、こうおっしゃった。
トルベ、お前もう剣術の鍛錬はするな。皆が剣術の鍛錬をしているときは、
お前は槍術をやれ、それから俺のところにいちいち槍を持って行っていいか
これからは聞きにくるな。いつでもそうしろ。命令だ」
チュソクが話し終わると、ウンスが夢中でぱちぱちと手を叩いた。
トルベは興味がなさそうに頬杖をついているが、あきらかに頬がぴくぴくと、
上にあがりそうになっている。
「すごい、すごいわ。トルベ、あなたがいつも槍を持っているのは、
そういうわけだったのね。動きがいいし、身体のバランスがよさそうだなって
思ってたけど、やっぱりわたしが思ったとおりだわ!」
トルベは、いえ、俺などまだ未熟で、と言おうとしたが、顔に浮かんでしまう
笑みを噛み殺すことができなくて、難しい顔をつくって、
ウンスから顔をそらして部屋の隅に腰掛けた。
「ねえ、他の人は? たとえば…、チュンソクはどう。プジャンでしょ?
やっぱりすごく強いのかしらね」
ウンスがそう言うと、皆が困ったように顔を見合わせた。
プジャンはもちろん腕は立ちますよ、とチュソクが力をこめていう。
どんなふうに? 何か逸話はあるの? とウンスが畳み掛けると、
困ったように口をつぐむ。
チュンソクは、いえ私には特にそう言った特別な話はございません、
と控えめに言うが気まずい空気が漂う。
「あるじゃないか」
後ろから声がして、ウンスが振り向くと、チェ・ヨンが身体を起こしている。
逸話ならあるだろうが、とチェ・ヨンは言う。
チェ・ヨンが誰か話せというように、周りを見回すが、于達赤たちは
知っているか、さあ、といった具合にこそこそするばかりだった。
「仕方がない」
はあ、とため息をつくと、チェ・ヨンは低い声で語りはじめた。
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