筆記



【シンイ二次】颶風15


「大丈夫よ、ちょっと深く切っただけ。
縫ったところはいつもきれいな布で覆っておいて」

ウンスはそう言ったが、内心、余分な布などないのだとわかっていた。
横にいたトギが、腕にかけた籠の容器から薬をすくいとって、傷口に薄く塗る。
府令が出てすぐに、トギは自分の家とチェ・ヨンとウンスの屋敷から洗いざらいの
薬や道具を引き上げて、皇宮へとやってきてくれていた。

皇宮の中は、人でごった返していた。
王と王妃の使う、乾安殿の寝間と続き部屋、文官武官たちが使う、
便殿、長和殿を除いたほとんどすべての部屋に、城下の者たちが入り込んでいる。

王の府令によって屋敷から皇宮に身を寄せた貴族たちは、最初の三日ほどは、
満足に部屋が与えられないことについて憤っていたが、
五日目に京門が破られると、声を潜め、逆に身を寄せるようにして恐れをしのいでいた。

都を守る六衛は、その時に開京に在していた一万と数百の兵をもって、
五日ほどを持ちこたえた。
王都をぐるりと取り囲む、長い京壁に何度も立てかけられる高梯子や、
鈎つきの縄を弓と剣を持って撃退を続けていたが、
五日目にどこからか、見たこともないような大木が持ちこまれ、
それを二百人ほどの頑強な男たちが破城槌にして玄武門を破ると、
すでに数の見当をつけることも難しくなった紅巾は、
なだれを打って開京の城下に流れこんだ。

四方八方から現れる群民に、左右衛は各門の檣楼部に、金吾衛は兵営に立てこもり、
その他の六衛の一部は皇宮まで撤退することに成功する。
王は南大門を始めとした京門が破られた場合、兵力を温存して篭城戦へと移行せよ、
と命じていたのだ。

すでに城下は家屋敷を除けば、空になっていた。
この五日の猶予で、そのほとんどが、皇宮に逃げこむか、密かに城外に逃げ出すか、
そうでなければ紅巾の仲間に加わっていた。

人けのない城下は、紅巾たちの怒りを受け止めかねていた。
荒れ狂う群衆は、屋敷の調度を奪い打ち壊し、食糧を求め軒先をあさったが、
すでにめぼしいものは皇宮へと運び出されたあとであり、一万を越える大人数の
気のすむほどのものは、残ってはいなかった。

紅巾の群民が居座り、城下から動かなくなって二日。
高麗の王都をせしめたものの、手に入ると言われていたものなどどこにもない、
そのことに気づいた群民は、ふつふつと怒りを積み上げはじめていた。

京壁、京門と違って、城壁は二倍の高さ、城門は四倍の強固さを持つ。
禁軍の持つ弓は、六衛の持つ弓の二倍の力がなければ引けぬしろものだ。
帯剣しているとはいえ、私兵以下の紅巾は、城を攻めあぐねている。
けれど、高い城壁から射られる恐ろしさよりも、積み上げられた怒りが高くなるまで、
そう時間はないと、皇宮の中のものたちにもわかっていた。

皇宮に逃げこんだ人々は、慌てての避難で怪我をしているものも多く、
この日もウンスは、その治療に走り回っているところだった。
瞻星台から皇宮へ、トクマンの馬でかけ戻ってからすでに七日。
ようやく患者の列が途切れて、ウンスは疲れきって乾安殿へと足を向けた。

「入ってもいいかしら? チョナは、来てます?」 

ウンスも使わせてもらっているこの部屋は、王と王妃の休息所としての部屋で、
時折二人が話していることもあって、ウンスは入り口の武女子に尋ねてから
扉を開けた。
王は便殿に昼夜詰めきりで、ほとんどこの部屋には戻らなくなりつつある。

ウンスが入っていくと、中ではチェ尚宮と王妃が、慌てた様子で立ち上がり、
二人同時にウンスを見た。
王妃がウンスに駆け寄った。
その両手が、ウンスの両手をつかむ。

「聞きましたか」

大きく見開いた目の、恐れをたたえて黒々と濡れた様子に、
ウンスはびくりと後ずさった。
いいえ、と発した声が揺れた。

「いいえ、何も聞いてはいません」

城門が破られたのだろうか、それにしては静かだ。
そう、やけに静まりかえっている。
怒ったり喚いたり、何かしら騒々しかった皇宮内が、何か諦めにも似た空気で満たされて、
皆が黙りこくってうつむいているような気配だ。
チェ尚宮と王妃が顔を見合わせる。

「いま、テマンが和州より戻りました。ウンス殿、あなたを探していると」

何があったのですか、と自分がひらべったい声で言うのを、他人事のようにウンスは聞いた。
私たちも、まだ知らせが何なのかは聞いておらぬのです、と王妃が言うが、
その声に悲痛な響きがある。
あのもの、ずっとそなたを探してうろたえていて、王のもとに連れていかれました、
と王妃が言う。泣き通したように目が赤くて、と言う手と唇が小刻みに震えている。

城外からいかにしてか、皇宮まで忍び入りまして、この乾安殿にあなたがいると聞いて、
手続きも踏まずにここに立ち入ったのです、といつもは落ち着いたチェ尚宮が、
狼狽して手で額を押さえているのだから、テマンの様子はよほどおかしかったのだろう。
ウンスは、息が詰まったような、喉の苦しさを覚えた。

「何があったの」

と呟いて、やおら踵を返して、便殿へと走ろうとした。
テマンの口から直接、聞かねばならない、と思ったのだ。
その時に、離れた回廊から、お戻りになっていますが、取次ぎをお待ちください、
と慌てたように告げる声が聞こえる。
その声をすり抜けて、重いのに早い、乱れた足音が近づいて来る。
ユ先生、と呼ぶ声がぞっとするほどしわがれている。
いつもの猫のような歩き方が嘘のようだ。
よろめくような、それでもただひたすらに急ぐような。
ウンスは扉に飛びついて、開け放った。

「テマン!」

名前を呼んだつもりが、悲鳴になった。
角を曲がって現れたテマンの顔を見て、ウンスは心臓が一瞬止まる。
いつもの、ヨンが特に作らせたチェ家の兵服も鎧も身につけていない。
紅巾に紛れるためなのか、農人の着るような白茶の上下を黒い帯で結んでいる。
手足も顔も煤で汚れ、その顔の真ん中で、目が赤く充血している。
怪我はしていない、病の兆候もない。

けれども、その目の中にある絶望の色を、ウンスは一瞬にして読み取った。
泣いてはいない。
ただ、その顔からはすべての表情が取り払われていた。
あのいつも生き生きとして、ひと時もじっとしていない表情が、
黒く煤けてぴくりともしない。

「ユ先生…」

ウンスの姿を認めて、テマンが大きく息を吸いこんだ。
今まで息を失っていて、それを一息で取り戻そうとでもするように、一息だけ深く。

「ユ先生、…違う…違う、医仙さま、お助けください」

テマンはその後の言葉を、言葉として言うことができずに、
ウンスの顔に口を近づけて、息ほどの大きさで絞り出した。

ウンスの両手がまるで重い枷をつけられているかのように、
じりじりと口元まで上がり、指が瘧のように震え、

それからだらりと落ちた。




ちょっと長かったので切りました。
続けてもう一話あげます。


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by kkkaaat | 2013-12-10 23:52 | 颶風【シンイ二次】 | Comments(6)
Commented by aki at 2013-12-11 00:08 x
泣きそう…あたし
テマナの尋常じゃない様子に、息が出来ない
本読みながら泣くことあるけど不安で泣いてる、あー、何言ってる私…
ヨン、連れて帰ってこれてないよね…
ウンス、助けて…
Commented by グリーン at 2013-12-11 00:08 x
テマン、無事に戻れたのですね。良かった。
テマンの尋常じゃない様子からヨンの異変を悟ったウンス。

ウンスはヨンのもとへ危険を冒しても駆けつけるのでしょうか。
続きが、先が早く早くと、気ばかり焦ります。

何度ものぞき待っていました。  待ったかいがありました。
Commented by 比古那 at 2013-12-11 00:12 x
んなああああぁぁ~!!

開門開門!!天穴開いちゃって!!
Commented by みわちゃん at 2013-12-11 03:49 x
意識を失っただけかと‥‥息が止まったとなってたのを、死んだと理解しなくて、でも1日中何か不安な気持ちがあって、やっぱりヨンは命を落としたんですね。

わたし、悲しくて、涙がとまりません。

ウンス、もう一度天穴を通って、ヨンを助けようとしてるのね。

お願い。無事に、たどり着いて ヨンを助けて。
Commented by pekoe at 2013-12-11 06:51 x
ウンスなら、やり抜くはず。
ウンスの想いは届くはず。大丈夫よ…
といいきかせても、大丈夫じゃない自分がいます。
Commented by kkkaaat at 2013-12-14 22:50
皆様、ウンスの応援、ありがとうございます。
ウンス、なんとかやりとげた様子。
思い入れてかいてくださったコメントに、ウンスだけでなく、
私も励まされました。
まずはお礼を!
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