何度目になるのだろうか、天穴の中を抜ける感覚はいつも微妙に違う気がした。
天穴自体が違うのか、それとも、通る自分が違うのか、定かにはわからない。
ただ強く、想う。
その先にあってほしいものを。
あらねばならないものを。
願うのではなく、乞うのでもなく、想うのだ。
ウンスは、粘り気のある風の中を手で掻くように、進んだ。
このように、押し戻されるような感覚を感じたことは今まで一度もなかった。
息が、詰まりそうになる。
ふと、前から吹いていた風が、急に弱まり、後ろからびゅうと吹き付けた。
背中を強く押し出されるようにして、ウンスはつんのめり、
その途端に足元が固まった。
今の今まで何も見えていなかった視界に、出し抜けに地面と岩と夜空が現れる。
強い風がウンスの髪を、その夜空へと巻き上げた。
その暗さに目がまだ慣れず、辺りをよく見ることもできなかったが、
それでもそこが、先ほど飛びこんだ天門と同じ場所であるということはわかった。
少なくとも、江南ではない、とほっと息をつく。
「ふう、寒い」
夜の冷えこみに、腕を身体に回す。
それでも、飛びこんだ時よりも夜が暖かい気がして、わずかに期待する。
暖かいならば、飛びこんだ日付よりも、早い時期の可能性が少しだけ高い。
翌年のその時期か、百年前のその時期かもわからないが。
身体に腕を回したまま、二、三歩踏み出して、立ち止まる。
「さてと」
意味もなく、口にして、何も思いつかぬ頭に、呆然と暗闇を眺めた。
「これからどうするかよ、ウンス。
このまま双城総管府に向かってがむしゃらに歩き出す、とりあえずの選択肢ね。
でも何の旅支度もないわ。じゃあどうするの。あの飯屋にとりあえず行ってみる?
時代によっては、駐屯の兵舎があるわ。
まず、いつに来たのか、それだけは知らなきゃいけない。そうでしょ」
回らない頭を動かすために、ぶつぶつと口に出して考えてみる。
身体の痛みと、指先まで溜まった疲労が、頭を鈍らせている。
ああ、もう、とぎゅっと目をつぶる。
考えようとするのに、ウンスの頭はすぐに一つのことに戻ってしまう。
そのことが頭に浮かぶと、すぐに目に涙が滲んだ。
たった今、あの人は生きているのだろうか。
「泣いている場合じゃないでしょう、ユ・ウンス」
潤みかけた目をごしごしとこすって、両手で頬をぱんぱんと叩く。
それから、はっと気づいて振り返って、安堵の息を吐く。
天穴は消えず、光と風をともなって回っている。
ウンスはふと、眉をしかめた。
「気のせいかしら」
微かに首を傾げる。いや、気のせいではないようだった。
天穴のその光は、入ったときよりも、以前見たときよりも随分と弱々しい。
ウンスはあっ、と小さな声を上げて口を手で押さえた。
最初に高麗に来て治療を終えて、チェ・ヨンが天穴まで送り届けてくれたときに、
消える前の天穴の様子が、これに似ていた。
それよりはまだ、わずかに勢いがあるようだったが。
「急いだほうが、いいということね」
そう呟いたその時だった。
丘の下から、人の声がした。
暗がりに、松明の赤い火が二本ほど揺れながら、上がってくる。
ウンスは咄嗟に身を隠そうと思ったが、火明かりの方から、
あそこに人が、とこちらに気づいた声がした。
「あの青き光はなんでしょうか」
「おお、確かに、天門が開いております!」
がやがやと数人が近づいてくるようだった。
天門という言葉を聞いて、ウンスは逃げるのをやめた。
不思議な光に導かれて近づいた旅人でも、天女の振りでも、
必要なら何でもしてみせようと決めて、人を待つ。
ウンスの姿を見とがめた兵が二人、鎧をかちゃかちゃと鳴らしながら、
駆け上がってきた。一人は松明を持っている。
鎧を見て、ふう、と嫌なため息が出た。
元軍の鎧であった。
「それじゃあまだ、ここは高麗の領土じゃないってこと」
ひどくがっかりして、足から力が抜けて倒れこみそうになる。
また百年前に来てしまったのだろうか。
でも、悪くはないわ、だって過去にこれたんだから、と自分に言い聞かせる。
自分とチェ・ヨンを開京に戻らせた、フィルムケースに入った過去からの手紙を、
ウンスは思い浮かべた。過去ならば、打つ手はある。
ウンスは必死に足を踏ん張るよう、自分を叱咤する。
「女、ここで何をしておる!」
兵がすらりと剣を抜き、ウンスに向けて、警戒の色もあらわに睨みつけた。
松明を持った兵の方は、怪訝な顔をして、照らすために火をウンスに近づけた。
ウンスの姿が、炎に浮かび上がる。
「正体のわからぬ妖しきもの。しばしこちらでお待ちください」
と、とどめる声に、いやあれは魍魎のたぐいではなく、珍しき天仙じゃ、
と低く答える声がした。
ウンスは思いもよらない言葉に息を飲んで、暗がりを見つめる。
手前の火が明るすぎて、その奥にいる人物の顔は見えない。
兵の後ろのひと塊になっている人影が、近づいてくる。
「これは、これは、お懐かしい顔だ。
こんなところでお会いするとは、あなたには驚かされる、医仙殿」
松明の光の輪の中に入ってきた男の顔を、ウンスは目を見開いて見つめた。
心の内を表に決して出さない相手の男も、さすがに驚きを隠せずにいる。
ウンスに牙があったら、直ちにその喉を噛み破っていただろう。
ここは元の領土なんかじゃない。
今は百年前なんかじゃない。
「徳興君」
ようやく一言、その名前だけが、ウンスの口からこぼれた。
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