「何をしているんですかっ!」
救急車から降りてきた救急隊員が、びっくりしたように大声を出した。
当たり前だ。救急車を降りてみると、目の前で倒れた女性とその傷口に
なにやらしている二人組。
そして…、怪しい、いや、ふざけた格好の男が三人。
ウンスとチャン・ビンはちらりと目を上げたが、
そのまま視線を患者である女人に戻した。
血管の縫合はすんだが、それでもまだ危うい綱渡りをしていることには
変わりなく。
「あの、いま、手が離せなくて!
ちょっとこっちへ来てもらえませんか」
マスクをしたまま、もごもごと救急隊員へ、顔も向けずにどうにか伝える。
はあ? と救急隊員は大きなマスクの影で眉をひそめる。
「どういうことなんですか? 患者はその女性ですか」
電話をくれたのはあなたですか、と二人の救急隊員のうちの一人が、
ウンスを目指してかけよろうとしたときだった。
その二人をさえぎるように、チェ・ヨンとヒゲ男が
すばやく剣を抜き、かまえる。
救急車の回転灯が刀身に反射して、赤い光を放つ。
救急隊員は、勢いよくのけぞって、一人は尻もちをついた。
「なっ、なんだね君たちは」
さすがに場慣れした救急隊員だけあって、後ろには引かずにそう尋ねる。
チェ・ヨンはまっすぐに二人に目を据えて動かさず、
もう一人ヒゲ男の方は、一瞬小柄な男と女人に目を配り、
すぐにまた目を前へ戻した。
「お前らこそ、何者だ」
ヒゲ男が、落ち着いた声で問い返す。
「はああ? 救急車呼んだの、おたくらでしょう。
なんだそれは、模造刀かね。時代劇みたいな格好して。
それで怪我をしたのか」
救急隊員が、呆れた声でそう返答するが、言葉の意味がわからず、
チェ・ヨンとヒゲ男の二人は怪訝な表情で表情で視線を交わし合う。
あの赤き光はなんでしょうか、燃えるように閃いておりますが、
とヒゲ男が救急隊員を無視して、チェ・ヨンに問いかける。
チェ・ヨンは、皆目わからぬ、とぼそりと言いながらも、二人から目を離さない。
「あの馬車、馬がおらぬのに動いておりました。
何かこの者、まじないのたぐいを使うやからではないかと」
ヒゲ男が、救急車を指さして言う。
ウンスが、ちょっと、その人たち通して、助けに来たのよ、
と手を動かしながら言うが、二人は道を開けない。
「まことに不思議な馬車である。妖術のたぐいか」
二人の後ろの小柄な男がそうつぶやくと、
チェ・ヨンの剣を持つ手に、ぎゅうと力がこもる。
ヒゲ男も、くん、と顎を引く。
「あああっ!」
救急隊員の一人が、大きな声を上げて、
前でかまえるチェ・ヨンとヒゲ男が、はっ、とかまえなおす。
声を上げた救急隊員は、今までは強ばった顔で、
なんとかウンスたちのところまでたどり着こうとしていたが、
棒立ちになったあと、急に怒りだした。
「わかりましたよ。これ」
テレビの番組でしょ、と救急隊員の一人が言う。
もう一人も、ははーん、と途端にうなずいた。
「カメラはどこですか。こんなふざけた真似をするのは
どこの局だ、ああ!?」
怒り出した一人を尻目に、もう一人はヘルメットの位置を直したり、
白衣のしわを伸ばしたりしはじめる。
キョロキョロと、辺りを見回して、落ち着きなく視線をさまよわせながら、
救急隊員は抗議の声を上げ始めた。
「こういうのはね、問題ですよ、大問題です。責任者はどこですか。
いたずらじゃすまないんですよ! まったく、嘆かわしい!!」
テレビなら何をしてもいいと思ってるのか、だから俺はテレビが
嫌いなんだ、とぶつぶつと文句を言い続ける救急隊員に、
あの、違うんです、ちょっと話を、とウンスが途切れ途切れに
話そうとするが手を止められない。
しかたなしにウンスの横でチャン・ビンが立ち上がった。
その途端、後ろに目でもついているのか、チェ・ヨンがすばやく呼ぶ。
「テマン」
途端に、どこからか人が降ってきて、チャン・ビンの前をふさぐ。
続けていただくように、と言葉だけは丁寧だが、その実質は脅しだ。
そのテマンと呼ばれた身軽な青年は、どこからか短刀を取り出して、
チャン・ビンの前でちらつかせる。
チャン・ビンはそのテマンという青年をじっと見つめた。
「な、な、なんだ」
テマンは口を尖らせて、そう言った。
いや、何でもないが、とチャン・ビンは答えると、ため息を一つついて、
すぐにしゃがみこみ、ウンスの作業の補助に戻る。
救急隊員は何度かウンスたちに近づこうとしたが、チェ・ヨンとチュンソクに
威嚇されて近づけないままだった。
身なりを気にしていた方は、少し感心したような声で、それにしても
なかなかよくできてますね、などと言っている。
剣に手を伸ばそうとして、どん、と踏み込んだチュンソクに
睨みつけられても、いやあ、役者さんはかっこいいなあ、
あれあなたのこと、見たことありますよ、なんのドラマだったかなあ、
などと勘違いしている。
「ちょっとね、おたくら、こんなことしてただじゃすまないですよ。
どこの局かなんて、すぐにわかるんですからね。
いたずらの通報は、罰金ですよ!」
終始腹を立てている一人は、腕を振り立ててかんかんに怒っていたが
時間の無駄だ、と吐き捨てると、救急車の乗り込んでしまった。
もう一人はその後も少しだけいたが、オンエア決まったら、
教えてくださいよ、と病院名を告げると、車に戻る。
「ねえ、ちょっと! 戻って、戻ってよお!」
ようやく傷口の縫合を終えて、よろよろと立ちあがったウンスが
叫んだときは、すでに救急車の赤い光は遠く小さくなってしまっていた。
「終わったのか」
チェ・ヨンがつかつかと歩み寄ると、その頭のてっぺんからつま先まで
をじろじろと眺めて、ウンスは前に立ちはだかった。
「ちょっとお、あなた何、これ泥? ん、血だらけじゃない!
患者に近づかないでちょうだい。感染症の危険度が増すわ。
まあ屋外で手術してる時点で危ないんだけど。
っていうかもうどうしてこんなことしてるのよ、わたし!」
チェ・ヨンは、チャン・ビンが様子を見ている女人に
ウンスの肩ごしに目をやって、終わったんだな、と念を押す。
ウンスは手袋やマスクを外して袋に入れながら、うなずく。
「ええ、終わりましたよ、ご満足? こんな場所でこんな大きな
手術させて、ああもう、こんなに緊張したの、久しぶりよ。
ストレスはね、身体に悪いのよ! 第一、こんな場所で手術される、
この人の身にもなりなさいよ」
まくしたてるウンスに、憮然として言葉を挟めないでいるチェ・ヨンの
横に、小柄な男が歩み出て、口を開いた。
「天の医員殿、まことに感謝する。これでワ…あの女人は、助かったのだな」
ウンスは、幾分表情をやわらげて、顔を小柄な男に向ける。
やれることはやりましたが、これから感染症を予防する処置をとらなくて
てはなりません、薬は持ち合わせがないので、と言うと、
男の顔がまたかすかに曇る。
とにかく、これから病院に搬送しないと、もう一回救急車呼んで
来てくれるかしら、とつぶやきながら、自分のバッグに近づこうと
ウンスが歩き出したところを、後ろから腕をつかまれた。
振り返ると、チェ・ヨンが肘のあたりをぎゅっと握っている。
なによ、っと睨みつけると、チェ・ヨンはわずかな間の後に、言った。
「俺からも、礼を言う」
突然チェ・ヨンがそう言ったので、ウンスは驚いて眉をしかめて、
それから腕を揺すって、チェ・ヨンの手を振りほどく。
「別にお礼なんて、いいのよ。やるべきことをしただけ」
それからチェ・ヨンにくるりと背を向けると、
電話を探してバッグをかきまわす。
その肩にそっと置かれた手があった。
「ウンス、もう一度救急に電話をするのは、
賢明とは言えないかもしれないぞ」
だって、患者をあのままにはしておけないし、とスマホを持った手首を
チャン・ビンが握った。
ウンスが、どうして、と言うようにチャン・ビンの顔を見上げた。
「私も法律にはあまり詳しくないので、はっきりしたことは言えないが、
この手術、たぶん問題になる」
そりゃ問題になるでしょうよ、こんな屋外の設備もないところで、
頚動脈の縫合だなんて、緊急性が高かったらしょうがなかったですけど、
でもやっぱりまずいでしょうね。裁判になったら勝てないし。
それにこの馬鹿たちが、救急車も追い返しちゃってますしねえ。
なによ、睨んだって怖くないんだから。これがうちの病院にばれたら、
わたしの出世の話だって白紙になるでしょうし、そうしたら独立の話も―
ウンスの声は尻つぼみに小さくなり、顔色がみるみるうちに悪くなる。
「チャン・ビン先輩、これまずいかも…どうしよう」
手を口で覆って、動揺した様子のウンスを、おかしな格好の男たちも
不安そうな目でじっと見て、それから困ったように視線を飛び交わす。
「今見たところ、患者の様態は思ったよりも安定している。
年齢も若いし、もともとの体力があるのだろう」
うん、うん、とうなずくウンスに、チャン・ビンが続ける。
「まず、事務所に運び、そこで休ませて、様子を見よう。
私の病院から薬、点滴や必要機材を運ぶ」
うん、うん、と来て、ウンスの頭が止まる。
ゆっくりとウンスの首が傾げられる。
「事務、所?」
聞き間違いであってくれ、と願うような小さな声でウンスが言う。
チャン・ビンはゆっくりとうなずいた。
「事務所ってまさか、わたしの、じゃないですよね?」
問い直すと、チャン・ビンが、いや君のだ、と静かに答える。
あそこなら、広さもある程度あるし、確かレストベッドももあったな、
彼女を休ませるのに最適だ、私のマンションはワンルームで無理だろう、
そう冷静に説明するチャン・ビンの顔を、ウンスはポカンと口を開けて見ている。
というわけで、君の家に、患者を運ぶぞ、とチャン・ビンが
ウンスの両肩を、ぽん、と元気づけるように叩いた。
「えっ、ええー!?」
夜空に今日二度目のウンスの絶叫が、響き渡った。
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