ヨンは言葉を失ったウンスに向かって続ける。
「イムジャ、一生お守りするといった言葉に嘘はありませぬ。なにゆえ身ごもられたか、言いたくなければ、話さなくてもかまいませぬ。俺は、俺はあなたとこの赤子をお守りします」
けれどもし。
「けれどもし、この四年の間に情を通じた父親がいるならば、俺は……俺は…」
行かせましょう、という言葉がかすれて言葉にならなかった。
ヨンの声がかすかに震え、肘をつかむ指に、火のような力がかかる。
四年もの間、女一人でどのように、苦難を乗り越えたのか。
だれとどのような時間を過ごしたのか。
無体な目にあったのではないか。
そのどれ一つとして、ヨンの意に沿うものはなかった。
不憫さと嫉妬がヨンの腹の中で煮えくりかえる。
「まって、ちょお、ちょちょちょっ、まって」
ウンスがヨンの心乱れた様子に気づいて、慌ててさえぎる。
「ねえ、よく見てよ、この子、あなたの娘なんだってば」
………は?
ヨンの口から、おかしな空気が漏れる。
今、この方はなんとおっしゃったのか。
なぜ、大きな口を開けて笑っておられる。
「こっちでは四年も、四年も…すぎていたのよね」
ウンスは笑い止むと、ふうと息をついて、噛みしめるように言った。
あのね、聞いて、とウンスは続ける。
「私は百年前の昔に飛ばされて、一年間そこで過ごして、天門を何度もためして、それでこの時間にたどり着いたの。私、あれから一年過ぎただけなの」
一年間、とヨンはウンスの口元をじっと見つめて、言ったとおりをそっくりそのまま繰り返す。
一年という言葉がゆっくりと、頭にしみこんでくる。
ヨンは急に、冷えていた手足に血が流れこんでくるような気がした。
だけっていっても、戻れるかわからない一年間、不安は不安だったのよ? つわりだって気づくまでは、気持ちが悪い日が続いて解毒がうまくいってなかったのか心配だったし、お腹は大きくなってくるし、それから周産期医療センターもないし、立ち会い出産なんかねえ、立ち会ってくれるあなたがいないから当然無理なわけだし。初めてのお産だっていうのにマタニティブルーになってる暇もありゃしないのよ!?
もうこういうときは開き直るしかないのよね、とウンスはしゃべりだすとさまざまな苦労がよみがえってくるようで、止まらずにまくしたてる。
「そうでしたか」
ヨンはウンスの話したことの半分も理解できなかったが、勢いに気圧されたように同意した。
が、我に返って自分の最初の問いかけを思い出し、言葉を続けた。
「し、しかし、それにしてもなぜ赤子が……、あっ!」
自ら思い当たって、ヨンが大声で叫ぶ。
ウンスは、びっくりするから大声出さないでよ、とびくりと身体を震わせた赤ん坊をなだめる。
「ああっ、ああ! あの!」
ヨンの目が大きく見開かれ、視線がさまよう。
そうよ、とウンスがうなずきながら、うっすらと顔を赤らめる。
「イムジャを取り戻し、宿屋に、ともにまいったあの晩なのか?」
うん、とウンスが嬉しそうにうなずく。
翌日には天穴を抜け、流れ着いた百年前のその地で十月十日を過ごし、そこで産まれたのならば計算が合う。それならばこの乳飲み子は。
ヨンの顔にみるみるうちに血色がもどる。
いや、そうか、そうなのか、そうか、とヨンは壊れたように半笑いで繰り返す。
「突然、赤ちゃんを連れてきたから、びっくりしたわよね。ごめんね――」
ウンスがそう言い終わらぬうちに、ヨンは夢中で赤ん坊ごとウンスをかき抱いた。
あまりの勢いに、ウンスは驚いて目をパチパチとまたたかせる。
「謝ることなど何もありませぬ。一人の身でよくぞ、よくぞ」
どうやってそれを乗り越えたのか、まだ聞いてもおらぬのにため息が出て、ヨンはウンスの背中を何度も強く抱きなおす。
ウンスはようやく暖かい腕の中におさまって、ほうっと肩の力を抜いた。
「ということで、はじめまして、かな」
女の子は父親に似るっていうでしょう、ほんとによく似てるんだから、と言いながらウンスはちょうど二人に挟まれている赤ん坊の顔をヨンに見せ、それに見入るヨンの顔を見つめて、ほっとしたように微笑んだ。