「ね、どうしたの。何が嫌なの」
ウンスは、自分自身が半べそをかきながら、小屋の中をうろうろと歩き回っていた。
腕には先ほどから泣き止まないミョンソンがいる。
乳もよく飲み、お腹は膨れ、ゲップもし、濡れて気持ちの悪いところもなく、熱もない。
ただうまく眠りに入れないのか、抱いても揺らしても、ぐずぐずと泣き続ける。
ウンスはもう一度、お腹を触診したり、口の中を見てみたり、手足を確かめたり、赤ん坊の体の具合を見てみるが、どこにも悪いとこはない。
こういうふうに、赤ん坊がだらだらと泣き続けることがあるというのは、お産を手伝ってくれた村の女たちが教えてくれてはいたし、これまでにも経験してきた。
しかし、今のようにできれば静かに身を潜めたい時に、こうも長く泣かれると、自分もわっと泣きたいような気持ちにおそわれる。
「疲れちゃったかな、大変だよね、寝たいんだよね」
分かれ道からまる一日、先を急ぎたいと、あまり休みも取らず、この小さな集落まで来た。
五、六の家族が集まっただけの漁村で、そこの港とも言えぬほどの小さな入江で、船軍の迎えの船と落ち合う手はずになっていると言う。
――アン・ジェに船軍から漁船に偽装した船を一艘出すよう、手配を頼んである。この三日のうちには船影が見える手はずだ。
そうヨンが説明したのはこの漁村に向かう道すがらで、着いたのはもう暮れた後だった。
ウンスと赤ん坊が過ごせる場所を見繕うと、
「この漁村の人間は、高麗側に利する者ですから、ここは安全ですが、念のため、テマンとともに隠れていてください。」
と言って、ヨンは入江を見渡す浜子屋に、チュンソクは岬の突端で見張りをと、すぐに出て行った。
ウンスは、テマンとともに、浜から少しだけ登った、今は使われていない寺の建物の中に身を潜める。
火を焚くこともできない廃屋は、暗く心細く、それがまた赤ん坊に伝わって泣くのじゃないか、とウンスは自らを叱咤する。
「自分が泣いてちゃだめでしょう。このくらい、大丈夫、大丈夫」
そう言ってぐいと目元をぬぐう。
少し、子守歌でも歌ってみようかと口を開きかけたところで、辺りをぐるりと見て回ってきたテマンが、戸口に立って手招きをする。
「な、泣きやみませんか?」
ウンスが歩み寄り、口をへの字にしてうなずくと、テマンはその腕に抱かれた赤ん坊を覗きこむ。
「こんなこと、めったにないのよ」
それがまるで自分の責任でもあるように、ウンスはテマンに言いわけする。
テマンは、ちょっと貸してみてください、と言うと、少し涙をためたウンスからひょいと赤ん坊を受け取る。
そして、するりと懐から帯紐を出すと、慣れた様子で背中におぶってしまった。
首がすわったばかりなので、ウンスは手を少し伸ばしてみたり、赤ん坊の顔を覗きこんでみたり、テマンの回りをうろうろするが、当の赤ん坊は、急にぶんと背中に担ぎ上げられたのに驚いて泣き止み、きょろきょろと辺りを見回している。
「テジャンの、う、上衣を一つ、かしてください。あまり厚くないやつ、お願いします」
テマンが頼むと、ウンスは言うがままにこくこくとうなずいて、奥の荷物に小走りに寄って、上衣を両の手に一枚ずつ持ってくる。
こっちがいいです、とテマンは薄手の方を手に取ると、ふわりと自分ごとその衣を羽織って、前紐を緩く結んだ。小さく揺さぶられている背中の赤ん坊は、夜の静けさと春の風、そしてテマンの背中の温もりに頬を寄せて、先程までのグズグズが嘘のようになんだか眠そうにしだしている。
何がなんだかよくわからないまま、言うなりになっていたウンスに、テマンはにこりと笑ってみせる。
「お、俺はすこしばかりあたりを散歩してきます。
こんなにあったかい夜ですから、風邪も、ひ、ひかせやしません」
夜に赤子が泣いてどうしても泣き止まないってときは、おぶって外を歩いてやれって、まえにマンボ姐のところで子守をさせられたときにならいました、とテマンが話す。
客の赤子が泣くと、ゆっくり食えないから、お前ひとまわりしてきなって背負わされるんです。
「そのかわりに、お、おわったら、ク、ク、クッパが食えるんだ」
クッパを食べる仕草をしながらテマンは言う。
木にのぼったりしやしません、いま何にもいないのも見回ったばっかりです。
ただ、ゆーっくりこのあたりを歩くだけ、とテマンは上目遣いで、安心させるように手をくるりと回してこの近辺というのを示すと、ウンスをなだめるように言う。
「眠ったら、ここに戻って、ちょっとだけ寝かせます。腹が減ってまた泣いて、どうにも乳が恋しいようだったら、連れていきます。こ、これっぽっちも危ないめにはあわせません」
約束します、とテマンがぐっと力をこめて言うと、ウンスは気圧されるように、うなずいた。
ミョンソンはテマンの背中が心地よいのか、今のところ泣き止んでいる。
「じゃあ、ちょっとばかし出かけてきます」
テマンは軽快な足取りで、開け放した建物の扉から赤ん坊を揺らさないよう滑らかに出る。
それから一度、どこかにむかって歩き出し、姿が見えなくなった。
が、すぐに数歩戻って顔を見せると、ぼさっと突っ立っているウンスに向かって
「少なくとも二刻か三刻は戻りません。朝まで寝てくれりゃあ一番いいんだけど」
だから、その、時間はあります、あと一人でいると危ないからテジャンのところに行ったほうがいいです、と言い残して今度は本当に姿を消す。
無言のままそれを見送ったウンスは、たったいまテマンが口にしたことの意味をようやく飲みこんで、少しだけ頬が熱くなるのを感じた。
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