横たわって自分の腕を枕にして、ソッパジを履いてゆるく胸帯を結んだウンスが、薄く目を開ける。
ヨンの姿を見ると、身体を起こし、髪がゆるやかに肩から胸へと落ちる。
「テマンとチュンソクが、届けに参りましたよ」
微笑みながら膝をつき差し出すと、ウンスは目を開いて、手を差し伸べる。
抱きとりながら、涙の跡のある顔をしげしげと見て、指でそれをぬぐいながら、
「あらあら、ずいぶんあの二人を困らせたんじゃないの?」
と話しかける。
腹がすいたようです、とヨンが告げると、よく頑張ったわね、とウンスは赤ん坊の頬に顔を押し付けた。
「えーと…」
ヨンはチョゴリをそっと広げると、ウンスの肩にかける。
そのまま横から、泣きながら濡れたおしめを替えてもらっている赤ん坊を覗きこんでいたが、ウンスが少し困ったように声を上げると、はっと背を向けようとした。
「えっと、そうじゃなくて」
ウンスが慌てて言葉を足すと、怪訝な顔で振り返る。
そうじゃなくて、と繰り返した後、ウンスは少しの間言葉を切ってから言う。
「見てみる? すごく、かわいいから」
ヨンはかすかに目を見開いて動きを止めたが、しばらくしてこくこくと小さく二度うなずいた。
ウンスは胸帯を押し下げると、お腹すいたね、とつぶやきながら抱き寄せる。
含んだ口が何か食べているかのように動く赤ん坊を、ヨンは魅入られたように動きも息も止めて、眺める。
その口元が抑えられずに、笑みの形を作る。
赤ん坊が、手を伸ばして乳房にその木の葉のような手のひらを当てると、おお、とつぶやくように感嘆する。
「ね、かわいいでしょ? 見せてあげたかったんだけど、なんかね、ちょっと恥ずかしくて」
ウンスが赤ん坊を驚かせないよう小声で横にいるヨンに話しかけると、ヨンは前に垂れて赤ん坊にかかりそうなウンスの髪をそっとかきあげて、耳にかける。
それから、動いている赤ん坊の頬に指でそっと触れる。
赤ん坊が気にしないとわかると、何度かつついて、ウンスにたしなめられた。
飲み終えると、ウンスは赤ん坊をヨンに手渡す。
ヨンは縦に抱くと、頭を自分の肩にもたれかからせて、背中をごく弱く何度も撫ぜる。
その間に、ウンスが胸帯を直し、チョゴリもチマもさっと着直すさまを、ヨンは名残惜しげに横目で見る。
「もっと強くとんとん、って叩いていいのに」
ヨンのおずおずとしたやり方に、笑いながらウンスが言うと、ヨンは断固として首を振る。
「強くして身体に障りでもあってはいけませぬ。
こうして根気強くさすっておれば、いずれ出ます」
真剣にそう主張するヨンに、ウンスはふふと笑って、それ以上は言わない。
あぐらをかいてゆっくりと手を動かすヨンを眺めながら、ウンスのまぶたはすぐに降りてくる。
自分の着物の上に寝そべり、肘で頭をささえて微笑みながら目が細くなっているウンスを見て、ヨンも微笑んだ。
「さあ、もう休んで」
そう言われるとウンスは、うん、と小さな声で答えながら、自分の手のひらを重ねてそこに頬を乗せると、身体の力を抜いて目をつむる。
すぐに寝息が聞こえてきて、ヨンはほっと息を吐く。
「ああ、おまえも眠たいな」
ヨンの大きな肩に頭を乗せて、ミョンソンは浅い眠りを漂いはじめる。
自分の身体をウンスの脇に横たえて、ヨンは二人の間に赤ん坊をそっと寝かせる。
着物の端でくるむと、赤ん坊もまた寝息をたてはじめる。
ヨンは赤ん坊とウンスを包むように腕を二人にそっとかけると、自らも目を閉じた。
「うーん、いい天気ね」
小屋の前に出たウンスは、ひとつ大きくのびをして、まだ浅い夜明けの潮風に目を細める。
昨日見たときには黒々と見えた海が、今朝はもう深い藍に輝いている。
「ハナ、トゥ、セッ、ネッ、ハナ、トゥ、セッ、ネッ」
ウンスは、硬い網とヨンの着物で作った寝床でこわばった身体をほぐそうと、浜辺で体操をはじめる。
腕を動かして胸をそらしたり、足を屈伸させて、気持ちがよさそうに伸ばす。
身体を横に倒して脇を伸ばしていると、背後で音がした。
「何をしているのですか」
身体をひねって振り返ると、ヨンが少し眉をしかめて、体操をするウンスを見ている。
その胸にはまた、赤ん坊が抱かれていて、ヨンの手が背中をさすっている。
「体操してるの、身体が強ばっちゃって。あなたもしたら?」
ごめんこうむります、と言いながらヨンは笑って、ウンスの横にならぶ。
ほら、いい眺めじゃない、気持ちいいわよ、というウンスの横で、ヨンもまた海を眺める、とその目が急に真剣なまざなしを帯びる。
と、同時に。
「テジャーン!」
後ろの山側の道から、テマンの叫ぶ声が聞こえた。
二人が振り向くと、転がるように草を分けて走り下りてくるテマンの姿が見える。
「船が、き、きました!」
砂を蹴立てて二人に近づきながら、テマンが言う。
ウンスが振り返ると、ヨンはすでに海を向いていて、手を額にあてて遠くを見ている。
岬を回って、沖に小さく船影がちらついている。
「た、たぶん、あれだからテジャンに知らせろって、プ、プジャンが」
ああ俺もいま気づいた、とヨンが言うと、テマンはよほどの速さで走ってきたのだろう、両膝に手をついて、はあはあと息を整える。
沖合の船から、きらりきらりと何かの反射か、光がちらつくのを見て、ヨンはウンスに赤ん坊を渡すと、小屋の中に入り、すぐに着物の紐を結びながら出てきた。
遅れることわずかで、チュンソクが雑木をかき分けて、姿をあらわす。
「合図がありました」
ちょうど小屋から出て、身支度を整えているヨンに、チュンソクが告げる。
間違いないあれだ、とヨンがつぶやくと、チュンソクもこくりとうなずいた。
ヨンがウンスに顔を向ける。
「船が到着したようです。浜の端から小舟で渡ります」
ウンスはやや緊張した面持ちで、生真面目にうなずいてみせる。
「大丈夫です、風も追い風ですし、外海にも出ませんから揺れもたいしたことはありません」
チュンソクが力強くそう言うと、ウンスはまだわずか強張りを残したまま、それでも微笑む。
「ミョンソンは俺がおぶいます。船に乗り移るときに危ないから」
そう言って、テマンがウンスの手から赤ん坊をそっと抱きとると、慣れた様子でひょいと背負う。
気づけば、ヨンとチュンソクがそれぞれに荷物をすでに抱えている。
「馬はどうするの?」
ウンスがふと気づいて、ヨンの顔を覗きこむ。
ヨンはゆったりと笑んで、安心させるように説明する。
「チュホンは船に乗せます。一頭ならなんとか乗せる場所も確保できる。
残りの馬は、この村の者に与えます。我らのことを目をつぶるかわりに」
ウンスはこくり、とヨンの目を見ながら首を縦にふる。
ヨンはウンスの目を見つめたまま、ゆっくりとうなずきかえすと、顔をあげた。
「出発しよう」
一行は船に向かって歩きはじめた。
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