筆記



カテゴリ:火、狩人【シンイ二次】( 10 )


【シンイ二次】火、狩人10


「ならば」

チェ・ヨンはウンスの背中に声をかける。
ウンスはわけもなく、慌てて背筋をそらすように伸ばした。

「すまぬが、もう一杯」

わかったわ、と振り返ると、チェ・ヨンが自分をじっと見つめて、空になったジョッキを差し出している。よく見れば、汗なのか泥埃と混じりあった汗が顔に浮くように張り付き、手は傷だらけだ。
その薄汚れた風体の中に、目だけがやけに澄んでいる。

(俳優だけあって、さすがに端正な顔なのね。
でも撮影でここまで泥々になるものなの?)

ウンスは怪訝に思いながら、もう一杯水を注ぐ。
チェ・ヨンは受け取ると、待ちかねたように、一杯目よりは味わうように水を飲んだ。

(CMみたい…)

ウンスは、今度は見とれないように目を斜めに背けたが、それでも視界に入ってしまうその姿は、妙に絵になるのだ。

「それで」

チェ・ヨンが飲み終わり、皆のカップが空になったころ、ウンスが口を開いた。
いっせいに視線が集まって、その皆の視線のまっすぐさに、ウンスは気圧される。

(なんなのこの人たち。俳優だからなの? なんかみんな妙に目力強いんですけど…)

咳払いをして、気を取り直し、話し出す。

「それでね。その、あの女性のことなんだけど…」

静まり返ったまま、きっと自分を見る目が決まり悪い。こんなに真剣に話を聞かれたことなんて、講演会でだってないのだ。
なんていうか…映画の中で見た、軍隊の人間みたい、と思ってウンスは納得する。

(そうよね、この人たち、昔の武士の俳優さんなわけだから、こんなふうな様子なのかも)

「あのね、最初に言っておくと、警察に届けるつもりはないわ。
はっきり言って、巻きこまれたくないの。
治療費は…う、うん、まあいいわ。
それも、今すぐとは言わない。分割でもけっこうよ」

チャン・ビンの刺激するな、というようにかすかに細められた目を見て、ウンスは言葉を和らげる。

「どんな事情かも離してくれなくてけっこう。知りたくないし。
とにかく、一刻も早くここを出ていってほしいの。
あなたたちも、その、明日からでも仕事があるでしょう?」

あ、女優さんがこんな状態じゃ、撮影はいったん中止かしら、まあそんなことは私には関係ないしね、とウンスがべらべらと続けると、テマンとトクマンが困惑したように顔を見合わせる。
チェ・ヨンが数歩動いて、チョナの横に立つと、身体をかがめて何かを言う、とチョナの方も顔を上向け、二、三こと言葉を交わす。
ウンスがくいと顎をあげて、二人を指差す。

「そこっ、内緒ばなしをしない!」

チェ・ヨンは不躾なウンスの言葉に、かすかに顔をしかめて、黙って睨みつける。
チョナがウンスを見つめ、ウンスは何か不思議な威厳のようなものを感じて、自分でも気づかぬうちに、小さく頭を会釈するようにこくりと動かす。
チョナは顔をゆっくりとチャン・ビンに向け、口を開いた。

「そこなる医員、少しばかり尋ねたい」

チャン・ビンはウンスをちらと見ると、チョナの前に歩み出る。

「いいですよ。答えられることなら答えましょう」

そう言うと、後ろに手を回して左手で右手首をつかみ、顔をわずかに傾けて、話を聞く姿勢になる。
気を許しはしないが、医師として信頼してもらってかまわない、そういうチャン・ビンの独特の話を聞くスタイルだ。
威圧感拒絶感を与えるから、手を後ろに隠してはならない、と大学の対患者コミュニケーションの授業でそう習ったときに、すでに研修医として働いたチャン・ビンに指摘したことがあったが、とらえどころのない笑みを浮かべて、

「ウンス、患者と友達になる必要はない。信頼されるべきは自分ではなく、自分の技術だ」

と、わかったようなわからないようなことを言われてかわされてしまった。
チャン・ビンのこの方針は、独立した今も貫かれている。

「そなたの目から見て、女人の容態はどう出ておる」

チャン・ビンに意見を求めたチョナを見て、ウンスは少しばかりむっとしたように、頬を一瞬ふくらませたが、セカンドオピニオンってわけね、まあいいわ、と勝手に小さくうんうんとうなずく。

「先ほどウンスから説明があったように、容態は安定しています。命に関わる、という状況も脱していると言えます」

そうよ、とウンスが横から口を出す。

「その、医仙殿はすぐにもここを出よと言っておるが、動かして大事無いのか?
もし動かして大事無いならばすぐにも馬を調達させ、出てゆく。
馬が無理というのなら、馬車を用意せねばならぬため、少し時間がかかるゆえ」

チャン・ビンが少し黙り、ウンスの方を見る。
どう言うべきか、ためらうように口をきゅっと引き結ぶ。
思わず、ウンスが叫ぶように言った。

「馬なんて乗れるわけないでしょ? なに? ふざけてるの?」

トクマンがむっとして腰の刀に手をかけたが、チョナが目顔で留める。
ウンスは気づかずに喚き続ける。

「タクシーか、あなたたちの誰かの家まで行って車を取ってくればいいじゃない」

くるまとは…、とチョナがつっかえるように言うと、車は車に決まってるでしょ! とウンスが言う。
先ほどのまじないで動く馬車のことかあ? とトクマンがはっとしたように言うと、ウンスがそうよ! と答える。

「我らは、火急の用件にてこちらに来たゆえ、馬も馬車も、そのくるまも持ち合わせておらぬのだ」

く、くるまなんて持ってねえ! とテマンが後ろで言う。

「とにかく」

と騒がしくなりはじめた空気を落ち着けるように、チャン・ビンが少し声高に言った。

「あの女人は四十八時間は、絶対安静が必要です」

だね、とチャン・ビンが言うと、ウンスは渋々うなずく。

「四十八時間の集中管理の後、バイタル、血液の炎症値計測の後、問題がないとこちらの医仙」

どの、と少しからかうようにウンスを呼ぶ。
ウンスはいーっと、と口を横に引き伸ばす仕草をしてみせる。

「医仙殿が判断されたら移送が可能です。
ですから、とにかくあと二日はここにいた方がよいでしょう。
その二日間のあいだに、あなた方はよそに移す手段と移す先の場所を確保する」

それでいいかい、とチャン・ビンが顔を向けると、そうね、妥当だわ、すっごく嫌だけど、とウンスがうなずく。

「それでよろしいですか?」

チャン・ビンがチョナにそう尋ねる。

「二日で、支度できるか」

チョナが男たちに向かって、そう言うと、男たちはいっせいに、はい、と声を揃えて答えた。






by kkkaaat | 2016-04-09 20:26 | 火、狩人【シンイ二次】 | Comments(16)

【シンイ二次】火、狩人9

「大丈夫、よく寝ているわ。バイタルも安定してる」

部屋から出てきたウンスは、部屋の入口で覗きこんでいる
チェ・ヨンとチュンソクを押し戻すようにして扉を閉めかけて、
念のため細く開けたままにした。

「張り番に立ちます」

とチュンソクが短く言うと、チェ・ヨンは無言で素早くうなずき、
足早に部屋の前から立ち去る。
チェ・ヨンは廊下をリビングへと行きかけて振り返り、
ついてこいというようにウンスに向かって頭を傾けた。
ウンスはヒゲの男チュンソクに何か言おうか迷ったが、モニタもつけたし、
と思い直して部屋から離れる。

「言われなくてもそっちに行きます。
言っときますけど、わたしのうちなんですからね」

なぜか廊下の途中で待っていたチェ・ヨンに、ツンと顎を上げ言う。
聞いているのか聞いていないのか、チェ・ヨンはふいと顔をそらすと
リビング扉へと進んでいってしまった。
一歩の幅が大きくて、背筋を伸ばして数歩進むと、
すりガラスのついた扉の前についてしまう。
扉を押し開けると、4、5人座れるほどの自慢の革張りのソファセットには
中央にチョナだけが、所在なさげにちょこんと座っている。

テマンと呼ばれていた青年は、電灯の下で見ると、
ほとんど少年と言ってもいいように見える。
チョナの後ろには、トクマンという石像の後ろから最後にあらわれた青年が
控えているが、ひどく眠たそうで、出かけたあくびを噛み殺している。

ウンスがチェ・ヨンの後ろから部屋に入ると、
チャン・ビンだけが立ち働いていて、リビングにつながったキッチンの入口から
出てきたところだった。

「借りたぞ」

何かと思ったが、手に持ったトレーの上には、湯気の上がったマグカップが乗っている。
かまいません、と答える前に、尋ねられる。

「どうだ」

とチャン・ビンが尋ねると、いっせいにウンスに視線が集まった。
ウンスが凝った肩をほぐすように首を回しながら、チャン・ビンに歩み寄る。

「清拭をやりなおして、セファゾリンを点滴で入れたわ」

輸血ができないから、気休めだけど鉄剤、なんとか経口投与できたから、
とウンスはしゃべりながら、マグカップをトレーから取り、
両手を温めるように持つと、ちらりとチェ・ヨンを見ながら話す。

先輩が移動用のモニタをお持ちでよかったわ、と続けると
チャン・ビンを除いた男たちは意味がわからずこっそりと目で見交わす。
わたしの、とそこにアクセントを置いて言う。

「腕がよかったから、あんな場所だったけど、縫合跡も悪くないし、
脈拍がちょっと早いけど、オキシも正常値。
四十八時間高熱がでなければ、あとはたぶん大丈夫」

ということですよ、安心してください、とチャン・ビンがウンスの肩ごしに
チョナに告げる。
ウンスも気づいて顔を上げ、振り返ってチョナに向かい、
力づけるように笑いかける。

チョナは黙ったまま、静かに顎を引いて力なく口だけに礼めいた微笑みを浮かべた。
明るいところで見ると、顔にまで泥はねや、得体のしれない黒ずんだ汚れが散っていて、
目の下の隈が濃く、顔も青白い。
ウンスはそれを見て、チャン・ビンの手元からもう一つマグカップを
持ち上げると、冷蔵庫に歩み寄る。
牛乳を出すとコーヒーに加え、砂糖もふた匙入れてかきまわすと、
チョナに歩み寄る。

テマンがすい、と行く手をさえぎる。
ウンスが避けようと横に動くと、合わせてすい、すい、と動くので
邪魔されているのだとようやく気づく。

「ねえ、わたしこれをチョナくんに渡したいんだけど」

な、なんでだ、あ、あとチョナくんって言うなっ、とテマンが
ウンスを睨みつけながら言う。
威嚇されているのはわかるが、その幼さの残る眼差しに、
ウンスはぷっと吹き出す。

「な、な、なんだ! ふふふざけるなっ!」

ウンスはカップをテマンの鼻先に持ち上げて、
カップ越しにテマンの目を覗きこむ。

「あのね、これを渡して飲んでもらって、一息ついてもらおうと思っただけよ。
あの女性、この人の奥さん役なんでしょ? 
たぶん、この人が一番心配して、精神的に疲れてると思う、ね?」

そう子どもに言い聞かせるように言うと、テマンは精一杯の威嚇の持って行き場が
なくなって、いや、あの、と言いながら、チェ・ヨンの方を、ちらっちらっと見る。

「それは、なんだ?」

扉の前のリビングが見渡せる場所で、仁王立ちになったままのチェ・ヨンが、
ウンスの後ろから尋ねる。
振り返って、ウンスは小さくため息をついて答える。

「あのね、ただのカフェオレ。あったかいし甘いし、疲れが取れるでしょ」

そのようなものは知らぬ、とチェ・ヨンが突っぱねると、
チャン・ビンが助け舟を出した。

「豆を炒ったものを煎じた飲み物で、疲労をとって目を覚まさせると同時に、
心を鎮める効果がある薬草茶だ。心配なら、毒見でもなんでもしてかまわない」

ウンスも飲んでいる、と言うとウンスは片手で持った自分のカップを
顔の前に掲げてみせる。
チェ・ヨンは少しだけ目を別の方に向けると、すぐにウンスに戻す。
そのままウンスをじっと見つめたまま、テマンに一言毒見せよ、と告げた。
テマンが、おおお俺ですか、と自分の顔を指さす。

ウンスがわざとらしくにっこりと笑って、テマンにカップを手渡す。
テマンはカップを受け取ると、恐る恐る口を近づける。
カップに集中するあまり、目が真ん中に寄っている。

「あっつっ!」

テマンがカップにつけた口をぱっと離すと同時に、
チェ・ヨンとトクマンの手が剣にかかる。

「だ、大丈夫っす。熱かっただ、だけです」

テマンが慌てて言うと、二人の手がゆっくりと剣から離れる。
その大げさな様子に、ウンスとチャン・ビンはこっそりと目を合わせて肩をすくめた。
ふーふー、と何度か吹いて、今度こそテマンはカップから一口すする。

「あ」

と一言発して、もう一度一口飲んでテマンは顔を上げた。

「これ、苦いけどうまい、う、うまいです、これ」

もう一口とカップを口元に運ぼうとしたところに、チェ・ヨンの声がかかる。

「テマン、チョナに献上せよ」

テマンは、はっと顔を上げて、そろそろとカップをチョナの元へと運ぶ。
チョナは運ばれたそれを受け取って、しばらくじっと見ていたが、
意を決して持ち上げると口をつけた。
口の中にカフェオレが流れこむと、一瞬目を大きく見開いて、
カップを離し、むせて咳こむ。

「大丈夫ですかっ!」

チェ・ヨンが大声で駆け寄るのと、テマンとトクマンが剣を抜くのが同時だった。
ウンスが飛び上がってチャン・ビンの後ろに隠れるのと、
チョナの手が上がるのがほぼ同時だった。

「待…て…」

咳の合間に絞り出すように言うと、剣を構えたままテマンとトクマンが
チョナの様子をうかがう。
なんとか息を整えて、チョナが言葉を続ける。

「大事ない、…はじめてのものゆえ、驚いただけである」

ご無理なさらなくても、とチェ・ヨンが言うと、チョナは弱々しくではあったが笑った。

「いや、悪うない。甘く、なにやら効きそうであるぞ」

そちたちも飲むがよい、とチャン・ビンのトレーを指し示す。
三人は顔を見合わせる。まずテマンが口を開いた。

「も、もっと、甘くできるか?」

チャン・ビンの後ろから、顔だけを覗かせているウンスがこくこくとうなずく。
じゃあ、俺も、とトクマンがおずおずと言う。
ウンスは牛乳と砂糖を大目に入れて、三つのカフェオレを作ってやる。
テマンはすでに待ちきれない様子で、傍らまで来て待っていて、
いそいそとウンスの手からカフェオレを受け取る。

「あ、待って!」

急にそう言われて、テマンはカップを持ったまま、ぴたりと動きを止めた。
ウンスが冷蔵庫から、スプレーを取り出す。

「サービスよ」

ウンスはテマンのカップにスプレーの生クリームを絞る。
シューという音とともに盛り上がる白い塊に、テマンは目を丸くした。
チェ・ヨンが止める間もなく、指をつっこみペロリと舐める。

「うっまい!」

テマンはホイップに鼻をつっこんで、夢中で飲み出す。
ウンスが、カフェオレを飲むチョナの後ろで待つトクマンまでカップを運ぶと、
トクマンもおっかなびっくり受け取って、俺も、とひそめた声でスプレーを指差す。
最後に、チェ・ヨンのもとにカップを運ぶ。

「俺は、飲まぬ」

チェ・ヨンはカップから目をそらし、受け取らない。
ウンスはむっとして口をぐっと歪める。

「別に欲しくない人には、あ・げ・ま・せ・ん!」

顔だけを突き出して、言葉を区切りながらウンスがそう言うと、
うまいですよ、とトクマンが横から口をはさみ、
チェ・ヨンに睨みつけられて首をすくめた。

「そちも飲んでよいのだぞ。毒ではなく、休まる」

チョナに静かな声でそう言われて、チェ・ヨンはふう、と息をつき、

「それでは、そこのおん……医仙殿、水をいっぱいもらえぬか」

カップを流し脇にドンと置くと、お水ね、と忌々しげに言ったウンスは、
棚からグラスを取り出したが、それを一度棚に戻すと、大きなジョッキを取り直す。
冷蔵庫から出したミネラルウオーターを棚から出したジョッキになみなみと
そそぐと、チェ・ヨンに向かって、はいっとぶっきらぼうにつき出す。

「かたじけない」

ぼそりとそう言うと、チェ・ヨンは水を受け取る。
大きなジョッキが、この背の高い男が持つと、わずかに小さく見える。
あまりにも透明なガラスに一瞬目を奪われて、かすかにチェ・ヨンの口が開くのを、
ウンスは怪訝な顔で見つめる。
ウンスの視線にうながされるように、チェ・ヨンはジョッキに口をつけ、
また一瞬動きを止めた。
それから堰を切ったように飲み出す。

ウンスは睨みつけるようにチェ・ヨンを見ていたが、
大きなジョッキいっぱいの水を一息ですべりこませ、
ごくり、ごくりと動くその男にしては白い喉に、
そのうちにぽかんと見惚れていた。

「これは…」

飲み終わると、手の甲で口元をぬぐって、チェ・ヨンは思わず呟く。
はっ、と我に帰ったウンスは、目をさまよわせながら、何よ、と聞き返す。

「このように、氷のように冷たく、うまい水は」

初めてだ、とぽつりと言う。
ウンスの予想とは違った言葉がチェ・ヨンの口から転がりでる。

「そ、それは――それは、よかったわ…」

ウンスは毒気を抜かれて、それしか言えず。
しばらくチェ・ヨンと向かい合っていたが、続く言葉が見つからず、
くるりと背中を向ける。

「水くらい、いくらでも飲んだらいいと思うけど!」

ウンスはなぜか喉がつまって、そう言うのが精一杯だった。



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by kkkaaat | 2014-10-11 11:12 | 火、狩人【シンイ二次】 | Comments(12)

【シンイ二次】火、狩人8

バンの扉がスライドすると、まずチュンソクとトクマンが素早く飛び降り、
あたりの様子を伺った。狭い扉に身体をねじ込むようにして、チョナを
かばうようにしてチェ・ヨンも足を踏み出す。

「テマン」

チェ・ヨンは低くそう言うと、助手席の青年は身軽に後部座席を飛び越えて、
こんこんと眠る女性の横に膝をついて控えた。
最後にチョナが、ゆっくりと道路に足を下ろす。
その硬く平らはな感触に、足元に視線をやり、ならされたアスファルトの
うえで足をかすかに動かして確かめる。
おもむろに顔を上げたチョナが口を開く。

「ここが、そなたの屋敷か」

チョナがそう尋ねると、ドアに向かいかけていたウンスが振り返る。
腰に手を当てて、少しだけ顎を上げる。

「そうですけど!」

この年齢の女性が、事務所付きの一軒家を買うのは、
そうそうできることではない。

「仕事場もかねた住居なの。いわば、わたしの城、ってとこかな」

ウンスはチョナの口から何かしら褒め言葉が出るのを当然のように待って、
片頬を得意げに少しだけ上げた。

「そうか…」

眉を得意げに上げ下げするウンスの顔を、城? とかすかに眉をひそめて見ながら
チョナが黙っていると、チェ・ヨンが目顔でチュンソクに合図を送る。
チュンソクがウンスを押しのけるように一階の事務所部分についている
ガラス扉に近づき、数秒不思議そうに中を覗きこみ、ドアノブを引く。
ガタガタと揺れるドアを見て、ウンスが慌ててかけよった。

「ちょっとお、そこのヒゲ男、勝手に触らないでよ! 
鍵を開けてないんだから、開くわけないでしょ!」

ひ、ヒゲ男…っ、と目を見開いてウンスを見ながらつぶやくチュンソクを
今度はウンスが押しのけて、鍵を開ける。
鍵ががちゃりと回るやいなや、チュンソクがウンスをさらに押しのけ返して、
先に事務所の中に足を踏み入れた。

「な、なにすんのよ!」

と文句を言いながらドアをさらに開けるウンスを突き飛ばすようにして、
チェ・ヨンが中に押し入る。

「ねえねえ、ねえ! ここわたしの家なの。勝手に入らないでよ!
ちょっと、あんたたち失礼じゃないの!!」

ようやくチェ・ヨンに続いて中を覗いたウンスの口から悲鳴めいた声が上がった。
車から降りてきたチャン・ビンが足早に駆けよる。
どうした、とウンスの後ろに立ったチャン・ビンが尋ねる間もなく、
ウンスの口から怒声が上がる。

「靴を脱いでよ!」

土足は事務所まで、奥の部屋はちゃんと脱いで! と言いながら、
ウンスも事務所の中に入ろうとすると、戻ってきたチェ・ヨンにまた
押し返される。
後ろによろけてチャン・ビンにぶつかり、なんとか転ぶことはなかった
ウンスは両手の拳を握りしめて、わなわなと言葉を失っている。

「チョナ、屋敷の中に人影はなく、安全です。
ワンビママをお連れしますので、先に中へ」

チェ・ヨンがそう告げると、むさくるしいところですが、
どうぞお入りください、とチェ・ヨンに変わってチョナの前で周囲を
うかがっていたトクマンが扉へと手ですすめる。
うむ、とチョナがうなずくと、チェ・ヨンが開けている扉を
物珍しそうに眺めながら足を踏み入れる。

「む、む、むさくるしい…ですってえ」

震える低い声が、ウンスの口から漏れたが、
この時代錯誤な男たちは、屋敷の持ち主をまったく無視して中に入ってしまった。

「ウンス」

まずは怪我人を運ぶのが先だ、とチャン・ビンの落ち着いた声がして、
後ろから慰めるように肩をぽんぽん、と二度叩かれる。

「今だけ、今だけよ…落ち着いたら、すぐに出ていってもらうんだから…!」

ウンスはぎゅっと拳を握り直すと、車に向かって踵を返した。



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by kkkaaat | 2014-10-03 00:14 | 火、狩人【シンイ二次】 | Comments(11)

【シンイ二次】火、狩人7


車の中は、重苦しい沈黙に満たされていた。

「ねえ、別に話とか、してもいいの…よ?」

後部座席のウンスが恐る恐る口を開いたが、
誰ひとりとして口を開くものはいなかった。

「っていうか、あのね、結局あなたたち、あそこで何をしていて、
こんなことになったのかしら」

横のチェ・ヨンに顔を向けて、ウンスが話しかけるが、
隊長(テジャン)と皆に呼ばれるその男は、じっと前方を見ていて、
微動だにせず、ウンスの言葉を無視している。
ウンスは少々むっとして、声のボリュームを上げた。

「ねえ、警察に突き出そうってんじゃないのよ。
その、わたしの手術の件もあるから、おおごとにするつもりはないの。
わかるでしょ? でもね、ここまで協力させておいて、だんまりは
ないと思わない? でしょ? 事情くらい話してもいいでしょう」

そこまで一気にまくし立てるウンスに、チャン・ビンが穏やかに
呼びかける。

「…ウンス」

バックミラー越しに目が合うと、チャン・ビンは短く言った。

「よく見ろ、ウンス。皆さん」

怯えているんだ。
チャン・ビンが静かにそう言うと、チョナの左側にじっと座っている
トクマンと呼ばれている男が、何をと気色ばんで、
運転席と助手席の間からチャン・ビンに向かって身を乗り出した。

「怯えてなどおらぬ」

そう言うと、助手席のテマンの肩をつかんで、なあ、
と同意を求める。テマンはドアの窓に子どものように顔を貼り付けて、
外の景色をむさぼるように見つめている。
トクマンの言うこともろくに耳に入らぬようで、生返事をする。
助勢がえられぬので、トクマンは一人でチャン・ビンに向かって、

「ウダルチのテジャン、プジャンに向かって無礼を働くと許さ」

と抗議の声をあげかけたところで、チャン・ビンがため息をついて、
強くアクセルを踏んで、エンジンをふかしてハンドルを揺らす。
エンジンに伝わる振動とエンジン音が、急に大きくなって、
ウオンウオン、と唸るような音が二度あがる。

「うおっ!」

威勢良く前に出していた身体を、反射で座席まで引いて、
トクマンはアームレフトに両手でしがみついた。
チャン・ビンはそれをちらりと振り返って、満足そうに微かに笑った。

よく見ると、チョナの右側に座っているヒゲ男は平静を装っているが、
すでに片手をアームレストにかけていて、指に力が入って赤くなっている。
落ち着いて見える、真ん中のチョナも、よく見ると膝の上で両手の
こぶしをぎゅっと握って耐えている。
ウンスが後ろから覗きこむと、目をつむって、
何やら経のようなものを小声でぶつぶつと一心に唱え続けている。

「あら」

あらららら、とウンスはようやく気がついて、
横のチェ・ヨンにも目を向けた。彼だけは平然とした顔を保っている。

とその時、こめかみを一筋汗が流れ落ちていくのに、ウンスは気づいた。
よく見れば、横顔の口元も妙にこわばっていて、ごくたまに、
ぴくり、ぴくりと痙攣のように震えている。

「なんで? え、なんで?」

そうつぶやきながら、もう一度、ルームミラー越しにチャン・ビンを見ると、
だろ? というように目が動いたので、ウンスはわかりました、
とうなずいた。

大の男たちがそろいもそろって密かに怯えているのがおかしくて、
ウンスは思わず笑いをかみ殺した。
なぜ車なんかがそんなに怖いのかわからないが、
ウンスは気の毒にさえなってきて、ごそごそとポケットを探った。

ウンスがこめかみに手を伸ばすと、チェ・ヨンはびくりと肩を引いた。
それから照れ隠しなのか、ウンスを軽く睨む。

「ただのハンカチよ。汗をかいているから」 

ウンスがなだめるように言うと、チェ・ヨンは、はっと気づいて、
気まずそうに、手の甲で汗をぬぐった。
汗をぬぐったあとの肌が白く筋になって、浅黒いと思った肌は、
泥だか埃だかで汚れているのだとウンスはその時に気づいた。
そう気づいてから一同を見回すと、皆が身にまとっている衣装は
それは見事なもので、観光地などで着ることのできるそれらしい
ものとは少々出来が違う。
なのに、そこらを転げ回ったように薄ぼんやりと汚れ湿っている。

ウンスはチェ・ヨンの汚れをハンカチで拭ってやろうと、
もう一度手を伸ばしたが、チェ・ヨンはゆっくりとその手をつかむと、
無言で押し戻した。
ウンスは、そのかたくなさに肩をすくめる。

ハンカチをポケットに戻すと、横たわっている女性の脈をとった。
そらされていたチェ・ヨンの視線が、ウンスなのか女性なのか、
そちらの方向にようやく戻される。

「ねえ」

ウンスは下を向いたまま、チェ・ヨンに話しかけた。
チェ・ヨンは今度は顔をそらさずに、そのまま顔を向けて、
女性を診察するウンスの様子を見張っている。

「いい加減、なんの撮影だったか教えてよ。そんなに汚れて。
一日中だったの? KBS? それともSBSのドラマ?」

こちらを見ている気配はあるのに、答えはない。
ウンスはそのまま、質問をつづける。

「とにかく、この人の怪我が何で切られたかだけは教えてよ。
今後の治療に関係することなんだから」

ウンスがそう言うと、テジャン医仙殿に答えよ、と前の席の
中央から細い声がした。
チョナと呼ばれる青年が、経を唱えるのと一時やめて、
チェ・ヨンに命じてくれたのだ。ありがと、とささやくと、
チョナは青ざめた顔で小さくうなずいた。
ウンスがチェ・ヨンを見上げると、小さなため息の後に、
ようやく説明がはじまった。

「刀で斬りつけられた傷です。剣の刃で引き切られたのではなく、
剣先でえぐるような形で斬られました」

だから傷口が深いのね、とウンスがひとりごちる。
撮影用の模造刀なのかしら、それにしては傷口がきれいだけど、
と尋ねられて、チェ・ヨンは言葉に詰まる。

「おっしゃっていることの意味がよくわからないが」

だから、何で切ったのか正確に知りたいのよ、とウンスが
苛立ちを抑えて言うと、チェ・ヨンはますますわからない、
というように眉をしかめる。

「ですから、敵方の剣です」

ウンスの眉間に、この微妙な噛み合わなさに不穏なものを感じるように、
徐々に皺が寄っていく。

「あのね、剣がドラマ上の味方ものものだろうが、敵のものだろうが、
どうでもいいの。わたしが知りたいのは、純粋に医療的な目的なの。
おわかり? どういった形状の刃で斬られたかによって、経過が
変わってくるの。だから知りたいの。ドューユーアンダスタン?」

そう言ってウンスは、こんこんと眠る女性を見る。
チェ・ヨンは、首を振って、はあ、とため息をつくと、

「あなたの言うことはわけがわからない。
敵の剣など、手元にないのですから、見せようがありませぬ。
強いて言うなら、この者の持つ剣と似たものです」

おい、チュンソク剣を出せ、とチェ・ヨンが言うと、
前の座席のチュンソクと呼ばれたヒゲ男は、
アームレストを握り締めていた指を、
それでも素早く外して、自分の剣を鞘ごと差し出した。

「ほら、これです」

ぐい、と前に横一文字に差し出された剣を、ウンスは口を尖らせながら
最初からこうすればよかったのよ、と言いながら受け取った。
鞘から抜こうとして、扱いかねて、手を天井にぶつける。

「あいてててて」

手を振りながら顔をしかめるウンスを見て、チェ・ヨンは呆れたように
ため息をついた。

「お貸しください」

そういうとウンスの手から剣を取ると、狭い車内であるのに、
すらりと剣を抜いた。

「おおっ、うまいわね」

大げさに手を叩かれて、チェ・ヨンはなんなんだ、というように、
眉をしかめて顔をそむける。それからウンスの目の前に剣をかかげる。
ウンスは剣を受け取ると、うつむいて刃のあたりを慎重に指でさわってから、
険しい顔になって、顔を上げて、ねえちょっと、と斜め前に座った
チュンソクと呼ばれたヒゲの男の肩を叩く。
チュンソクは、え? と戸惑った顔で、振り返った。

「これ、本物の剣じゃないの。さっき、この人も」

ウンスが、この人と言ってチェ・ヨンを指さすと、チュンソクはぎょっとしたように、
目を開いてチェ・ヨンではなく、ウンスの顔を見た。

「この人の剣も、本物だったわ。ねえねえねえ、危ないじゃないの!
なんなのよもう、撮影では本物を使うの? だからこんな大怪我するんだわ。
絶対だめよ、そんなの! 危険だわ。ねえ、組合ある? 訴えるべきよ!」

まくし立てられて、チュンソクはその勢いに動きを止めて固まっていたが、
ウンスが、ねえ、聞いてるの! と詰め寄ると、はい、聞いております、
となんとか答える。

「に、偽物の剣では、チョナをお守りすることが、か、かないませんので」

チュンソクがそう答えると、ウンスは、ああもう、と苛立ちをあらわにして、
ドン、と車の内壁を拳で叩いて、また、いてててて、と手をぶらぶらとさせる。
言葉数も、見せる表情もあまりにも目まぐるしく、チェ・ヨンはウンスのことを
思わずに凝視している。
気づくと、チョナとトクマンも、振り返って恐れるようにウンスを見ている。

「ちょっとあなたたち、その役者根性は認めるけど、ものごとには
げ・ん・ど、というものがあるの! 何? そんなに素晴らしい監督?
有名な人? わたしに言わせたら俳優をこんな目に合わせて―」

ウンス、と低く呼ばれて、ウンスは言葉を詰まらせて、
何ですか! と少し怒ったように、返答する。
チャン・ビンは何も言わずに、目で外を示した。
何ですかもう! そう言いながらウンスが窓の外を見ると、

「あ」

ついたぞ、と車内の皆を見回しながら、チャン・ビンはそう告げた。




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by kkkaaat | 2014-02-19 22:46 | 火、狩人【シンイ二次】 | Comments(17)

【シンイ二次】火、狩人6


「ま、ま、任せてください、もし、こ、こいつが
少しでもおかしなことをしたら、俺がくく首をかっきってやります」

助手席の上にしゃがんで、運転席のチャン・ビンに向かって短刀を
かまえているのは、テマンと呼ばれてどこからともなく現れた
革鎧の青年である。
かちゃりとシートベルトをしめたチャン・ビンは、ハンドルに両手をかけて、
横でナイフを自分に向けている青年を見て、深いため息をついた。

「いや、テマン。無礼なまねはよすのだ」

大きめのシルバーのワンボックスカーの二列目の座席の中央に、
ヒゲ男と背の高い男に挟まれて、頭一つ分へこんで座っている、
小柄な男が静かな声で止める。
その小柄な男が彼らの中でもっとも地位が高いのは、
他の者たちが彼を守るように動いている様子から推測できた。

このような怪しげ輿(こし)だか、馬車だか見当もつかぬ代物に、
乗るわけにはいかぬ、と言い張る周囲の言い分を振り切って、
このものたちの世話になるよりほかに方法はなかろう、
と皆に告げたのは、この小柄な男だった。
悲痛な面持ちでスライドドアから中に足を踏み入れようとするのを、
チェ・ヨンはすばやく腕で止めると、俺が先に、と短く告げて、
明らかに強ばった形相でステップに足をかける。

「お待ちを!」
「俺が先に!」

ヒゲ男とテマンが同時に声を上げる。
いや、俺がまず危険がないのを確認する、としごく静かな声で、
チェ・ヨンが言っうのを、まるで死地に赴くのを見送るかのように、
二人が固唾を飲んで見つめている。
ウンスは呆れて腰に手を当てて、早くしてよ、演技はもういいから!
と声をかけて、三人にぎろりと睨まれた。
これじゃあこの女性が消耗してしまうわ! とウンスがぶち切れて、
ヒステリックに騒ぎ始めた頃にようやく、チェ・ヨンから皆に
車に乗ってよいという許しが出た、その時だった。

「トクマン! こちらへ来い。場所を変える」

そこでチェ・ヨンがまた別の名前を呼んだので、
ウンスとチャン・ビンはぎょっと目をむく。
すると、公園のシンボルである石像のあたりから、
もう一人今度は背の高い青年が現れる。

「ねえちょっとこれで最後でしょうね、これ以上は無理、定員オーバー!
第一、撮影が終わったんならもう帰ったっていいんだから!」

とウンスが念を押すと、チェ・ヨンは
これで最後だ、と辺りを油断なく見回しながら答えた。

それからも、ハンドルのある席は、運転をするものが
乗るのだと説明して先頭に居座ろうとするテマンをどかしたり、
誰がどこに座るか等々、揉めに揉めたが、それも、
この小柄な男が自分の位置を決めると、その周囲を守るように
他の者が着席して、なんとかドアをしめることができたのは
つい先ほどのことだった。

「ここ天界では我らはよそもの。こちらにおられる女人は
天の医術で我が妻を助けてくださった恩人であるぞ。
この男も先ほどから、この女人…」

ウンスはその言葉を聞きながら、フラットにした三列目の端に
膝をついて、うん、うん、そう恩人よ、わかってるじゃない、
と力強く同意のうなずきを続けている。
真ん中には、先ほど手術が終わってこんこんと眠っている女人の
姿があった。彼女を挟んでウンスとは反対側にチェ・ヨンがやはり
天井に頭をつっかえさせながらわざとらしくうなずくウンスを
むっとした顔で眺めている。

そこまで言葉をつむいで、小柄な男は言葉をと切らせた。

「女人、ではなかったな、ユ・ウンス殿と名乗られておったか。
いやそのような呼び方では足りぬ、…医仙殿とお呼びしよう」

小柄な男が肩ごしにそう言うと、ウンスは、わたしのこと? 
と自分の鼻を指差して、それから、えっ医仙? 大げさじゃない?
と思わず照れた声を出した。

「そこの男も医仙殿を助け、天の医術の手業(てわざ)を
持っているよう見受けた。あたら粗末に扱うでない」

そう言われると、助手席のテマンと小柄な男の両側の男は、

「はい、チョナ!」

と声をそろえて、いっせいに頭を下げる。

「ねえわかった? このチョナくんの言ってること聞こえた?」

とウンスが女性を挟んだ向かいのチェ・ヨンに言う。
“チョナ(殿下)”とはたぶん役名なのだろうが、
とにかくこのチョナの言うことであれば、
皆が指示に従うということだけはウンスにもわかってきた。


「チョナ…くん? だと…?」

チェ・ヨンはウンスに目をすえる。口からもれた言葉に、
微かに呆然とした響きがある。
チョナって王様だっけ、それとも皇太子、まあどっちでもいいけど、
とウンスは肩をすくめている。

「ウンス、動かすぞ」

チャン・ビンがそう言ったので、ウンスに何かを言おうとした
チェ・ヨンの言葉は打ち切られる。
ウンスは横たえられた女性が動かないように手を添えた。

「ほら、チェ・ヨン、チェ・ヨンさんって呼べばいいのかしら。
しっかり支えててよね。身体が横転したら傷口が開いちゃうから」

ウンスが、つっかかるようにそう言うと、チェ・ヨンは
ちらりとウンスを睨むように見たが、黙ったまま、ウンスと
同じように手を添えた。

そしてチャン・ビンがキーを回し、唸るようなエンジン音が響いた瞬間。

「何をする!」

テマンの短刀が、目にも止まらぬ速さでチャン・ビンの喉もとに
突きつけられた。

「チョナをお守りしろ!」

チェ・ヨンの鋭い声に、チョナと呼ばれている男の両脇の二人は、
この狭い車内で脇の剣を抜いたが、どこに剣を向けていいのかわからず、
車内中のあちらこちらに夢中で目を向けている。
チェ・ヨンは用心深くゆっくりと剣を抜き、フラットシートや天井に、
恐る恐る手を触れて、その振動を感じてびくりと手を引っこめた。

「ちょ、ちょっとお、あ、危ない、あぶなっ!」

ウンスが前の席のトクマンと呼ばれた男の剣先がふらふらと動くのから
身体をそらす。
さすがのチャン・ビンも、喉の柔らかい皮膚にくいこむ金属の感触に
目を見開いて、息を呑んだ。
なんとかキーを指先だけで回して、エンジンを切ったが、
音がやんでも、テマンの手はチャン・ビンの前から動こうとしない。

「皆のもの、剣をおさめよ、落ち着くのだ」

二人の護衛の背中でぎゅうぎゅうと押されて小さくなった男が、
押しつぶされたような声でなんとかそれだけ言った。
しかしテマンは手を引こうとはしない。

「お、恐れながらチョナ! こ、こいつが、て、手を捻ったら、
この馬車が急にま、ま、魔物のような唸りを、上げ出しました!」

テマンが、チャン・ビンを睨みつけたまま、そう言い返す。
チョナと呼ばれる男がもう一度口を開きかけたとき、チャン・ビンが
ゆっくりと顔をテマンに向ける。

「いいか、きみ、よく話を聞いてほしい。
この馬車は、私の、まじないで動いている」

チャン・ビンは噛んで含めるような言い方で、話し出す。
テマンは油断のない目つきでチャン・ビンに目をすえている。
ウンスはまじないと聞いて驚いて、ぽかんと口を開けた。

「この車…馬車を動かせるのは私だけだ。
まじないを知っているのは私だけだから。
きみが私になにかすればこの馬車は操れなくなって、
暴れて止められなくなる」

ゆっくりと低い声で話すチャン・ビンの言葉を聞いて、
“チョナ”の両脇の二人は、頭越しに目を合わせて、
やはりとうなずきあう。

「危険な目にあうのは、きみたちだ。
その“チョナ”を守りたいのならなおさら、運転中…まじないをしている
私に手を触れてはならない。私の言っていることがわかるか」

テマンの顔から攻撃的な表情がみるみるうちに失せ、
チェ・ヨンの方を何度もうかがうように見る。
チェ・ヨンが自分の剣を鞘におさめながらうなずくと、
テマンは渋々短刀をチャン・ビンに向けるのはやめたが、
それでもしっかりとそれを手に握っている。
“チョナ”を守る二人も、チェ・ヨンが目を合わせて無言でうなずくと、
剣をしまう。

「ま、まじないって…」

何もそこまでなりきらなくても、とウンスはつぶやくと、ははっ、
と笑いともため息ともつかぬ息を吐いた。
とにかく、邪魔だけはしないでくれ、本当に危ないから、
とチャン・ビンは念を押すと、いいか、唸り声を上げるが害はない、
と後ろを振り向いて、他の者たちにも向かって言う。

「飼いならされた、いい魔物だ。心配はない」

大真面目な顔でチャン・ビンがそう言うと、他の者たちはごくりと
喉を鳴らして、こくり、とうなずく。
ウンスはその様子に、思わず吹き出しそうになったが、
笑うな、と目顔で言うチャン・ビンの視線にあって、
何とか笑いを飲みこんだ。

「それじゃあ、出発するぞ」

チャン・ビンはようやく、車のキーを回すことができた。



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by kkkaaat | 2014-02-11 22:09 | 火、狩人【シンイ二次】 | Comments(32)

【シンイ二次】火、狩人5



「何をしているんですかっ!」

救急車から降りてきた救急隊員が、びっくりしたように大声を出した。
当たり前だ。救急車を降りてみると、目の前で倒れた女性とその傷口に
なにやらしている二人組。
そして…、怪しい、いや、ふざけた格好の男が三人。

ウンスとチャン・ビンはちらりと目を上げたが、
そのまま視線を患者である女人に戻した。
血管の縫合はすんだが、それでもまだ危うい綱渡りをしていることには
変わりなく。

「あの、いま、手が離せなくて! 
ちょっとこっちへ来てもらえませんか」

マスクをしたまま、もごもごと救急隊員へ、顔も向けずにどうにか伝える。
はあ? と救急隊員は大きなマスクの影で眉をひそめる。

「どういうことなんですか? 患者はその女性ですか」

電話をくれたのはあなたですか、と二人の救急隊員のうちの一人が、
ウンスを目指してかけよろうとしたときだった。
その二人をさえぎるように、チェ・ヨンとヒゲ男が
すばやく剣を抜き、かまえる。
救急車の回転灯が刀身に反射して、赤い光を放つ。
救急隊員は、勢いよくのけぞって、一人は尻もちをついた。

「なっ、なんだね君たちは」

さすがに場慣れした救急隊員だけあって、後ろには引かずにそう尋ねる。
チェ・ヨンはまっすぐに二人に目を据えて動かさず、
もう一人ヒゲ男の方は、一瞬小柄な男と女人に目を配り、
すぐにまた目を前へ戻した。

「お前らこそ、何者だ」

ヒゲ男が、落ち着いた声で問い返す。

「はああ? 救急車呼んだの、おたくらでしょう。
なんだそれは、模造刀かね。時代劇みたいな格好して。
それで怪我をしたのか」

救急隊員が、呆れた声でそう返答するが、言葉の意味がわからず、
チェ・ヨンとヒゲ男の二人は怪訝な表情で表情で視線を交わし合う。
あの赤き光はなんでしょうか、燃えるように閃いておりますが、
とヒゲ男が救急隊員を無視して、チェ・ヨンに問いかける。
チェ・ヨンは、皆目わからぬ、とぼそりと言いながらも、二人から目を離さない。

「あの馬車、馬がおらぬのに動いておりました。
何かこの者、まじないのたぐいを使うやからではないかと」

ヒゲ男が、救急車を指さして言う。
ウンスが、ちょっと、その人たち通して、助けに来たのよ、
と手を動かしながら言うが、二人は道を開けない。

「まことに不思議な馬車である。妖術のたぐいか」

二人の後ろの小柄な男がそうつぶやくと、
チェ・ヨンの剣を持つ手に、ぎゅうと力がこもる。
ヒゲ男も、くん、と顎を引く。

「あああっ!」

救急隊員の一人が、大きな声を上げて、
前でかまえるチェ・ヨンとヒゲ男が、はっ、とかまえなおす。
声を上げた救急隊員は、今までは強ばった顔で、
なんとかウンスたちのところまでたどり着こうとしていたが、
棒立ちになったあと、急に怒りだした。

「わかりましたよ。これ」

テレビの番組でしょ、と救急隊員の一人が言う。
もう一人も、ははーん、と途端にうなずいた。

「カメラはどこですか。こんなふざけた真似をするのは
どこの局だ、ああ!?」

怒り出した一人を尻目に、もう一人はヘルメットの位置を直したり、
白衣のしわを伸ばしたりしはじめる。
キョロキョロと、辺りを見回して、落ち着きなく視線をさまよわせながら、
救急隊員は抗議の声を上げ始めた。

「こういうのはね、問題ですよ、大問題です。責任者はどこですか。
いたずらじゃすまないんですよ! まったく、嘆かわしい!!」

テレビなら何をしてもいいと思ってるのか、だから俺はテレビが
嫌いなんだ、とぶつぶつと文句を言い続ける救急隊員に、
あの、違うんです、ちょっと話を、とウンスが途切れ途切れに
話そうとするが手を止められない。
しかたなしにウンスの横でチャン・ビンが立ち上がった。
その途端、後ろに目でもついているのか、チェ・ヨンがすばやく呼ぶ。

「テマン」

途端に、どこからか人が降ってきて、チャン・ビンの前をふさぐ。
続けていただくように、と言葉だけは丁寧だが、その実質は脅しだ。
そのテマンと呼ばれた身軽な青年は、どこからか短刀を取り出して、
チャン・ビンの前でちらつかせる。
チャン・ビンはそのテマンという青年をじっと見つめた。

「な、な、なんだ」

テマンは口を尖らせて、そう言った。
いや、何でもないが、とチャン・ビンは答えると、ため息を一つついて、
すぐにしゃがみこみ、ウンスの作業の補助に戻る。

救急隊員は何度かウンスたちに近づこうとしたが、チェ・ヨンとチュンソクに
威嚇されて近づけないままだった。
身なりを気にしていた方は、少し感心したような声で、それにしても
なかなかよくできてますね、などと言っている。
剣に手を伸ばそうとして、どん、と踏み込んだチュンソクに
睨みつけられても、いやあ、役者さんはかっこいいなあ、
あれあなたのこと、見たことありますよ、なんのドラマだったかなあ、
などと勘違いしている。

「ちょっとね、おたくら、こんなことしてただじゃすまないですよ。
どこの局かなんて、すぐにわかるんですからね。
いたずらの通報は、罰金ですよ!」

終始腹を立てている一人は、腕を振り立ててかんかんに怒っていたが
時間の無駄だ、と吐き捨てると、救急車の乗り込んでしまった。
もう一人はその後も少しだけいたが、オンエア決まったら、
教えてくださいよ、と病院名を告げると、車に戻る。

「ねえ、ちょっと! 戻って、戻ってよお!」

ようやく傷口の縫合を終えて、よろよろと立ちあがったウンスが
叫んだときは、すでに救急車の赤い光は遠く小さくなってしまっていた。

「終わったのか」

チェ・ヨンがつかつかと歩み寄ると、その頭のてっぺんからつま先まで
をじろじろと眺めて、ウンスは前に立ちはだかった。

「ちょっとお、あなた何、これ泥? ん、血だらけじゃない!
患者に近づかないでちょうだい。感染症の危険度が増すわ。
まあ屋外で手術してる時点で危ないんだけど。
っていうかもうどうしてこんなことしてるのよ、わたし!」

チェ・ヨンは、チャン・ビンが様子を見ている女人に
ウンスの肩ごしに目をやって、終わったんだな、と念を押す。
ウンスは手袋やマスクを外して袋に入れながら、うなずく。

「ええ、終わりましたよ、ご満足? こんな場所でこんな大きな
手術させて、ああもう、こんなに緊張したの、久しぶりよ。
ストレスはね、身体に悪いのよ! 第一、こんな場所で手術される、
この人の身にもなりなさいよ」

まくしたてるウンスに、憮然として言葉を挟めないでいるチェ・ヨンの
横に、小柄な男が歩み出て、口を開いた。

「天の医員殿、まことに感謝する。これでワ…あの女人は、助かったのだな」

ウンスは、幾分表情をやわらげて、顔を小柄な男に向ける。
やれることはやりましたが、これから感染症を予防する処置をとらなくて
てはなりません、薬は持ち合わせがないので、と言うと、
男の顔がまたかすかに曇る。

とにかく、これから病院に搬送しないと、もう一回救急車呼んで
来てくれるかしら、とつぶやきながら、自分のバッグに近づこうと
ウンスが歩き出したところを、後ろから腕をつかまれた。
振り返ると、チェ・ヨンが肘のあたりをぎゅっと握っている。
なによ、っと睨みつけると、チェ・ヨンはわずかな間の後に、言った。

「俺からも、礼を言う」

突然チェ・ヨンがそう言ったので、ウンスは驚いて眉をしかめて、
それから腕を揺すって、チェ・ヨンの手を振りほどく。

「別にお礼なんて、いいのよ。やるべきことをしただけ」

それからチェ・ヨンにくるりと背を向けると、
電話を探してバッグをかきまわす。
その肩にそっと置かれた手があった。

「ウンス、もう一度救急に電話をするのは、
賢明とは言えないかもしれないぞ」

だって、患者をあのままにはしておけないし、とスマホを持った手首を
チャン・ビンが握った。
ウンスが、どうして、と言うようにチャン・ビンの顔を見上げた。

「私も法律にはあまり詳しくないので、はっきりしたことは言えないが、
この手術、たぶん問題になる」

そりゃ問題になるでしょうよ、こんな屋外の設備もないところで、
頚動脈の縫合だなんて、緊急性が高かったらしょうがなかったですけど、
でもやっぱりまずいでしょうね。裁判になったら勝てないし。
それにこの馬鹿たちが、救急車も追い返しちゃってますしねえ。
なによ、睨んだって怖くないんだから。これがうちの病院にばれたら、
わたしの出世の話だって白紙になるでしょうし、そうしたら独立の話も―

ウンスの声は尻つぼみに小さくなり、顔色がみるみるうちに悪くなる。

「チャン・ビン先輩、これまずいかも…どうしよう」

手を口で覆って、動揺した様子のウンスを、おかしな格好の男たちも
不安そうな目でじっと見て、それから困ったように視線を飛び交わす。

「今見たところ、患者の様態は思ったよりも安定している。
年齢も若いし、もともとの体力があるのだろう」

うん、うん、とうなずくウンスに、チャン・ビンが続ける。

「まず、事務所に運び、そこで休ませて、様子を見よう。
私の病院から薬、点滴や必要機材を運ぶ」

うん、うん、と来て、ウンスの頭が止まる。
ゆっくりとウンスの首が傾げられる。

「事務、所?」

聞き間違いであってくれ、と願うような小さな声でウンスが言う。
チャン・ビンはゆっくりとうなずいた。

「事務所ってまさか、わたしの、じゃないですよね?」

問い直すと、チャン・ビンが、いや君のだ、と静かに答える。
あそこなら、広さもある程度あるし、確かレストベッドももあったな、
彼女を休ませるのに最適だ、私のマンションはワンルームで無理だろう、
そう冷静に説明するチャン・ビンの顔を、ウンスはポカンと口を開けて見ている。
というわけで、君の家に、患者を運ぶぞ、とチャン・ビンが
ウンスの両肩を、ぽん、と元気づけるように叩いた。

「えっ、ええー!?」

夜空に今日二度目のウンスの絶叫が、響き渡った。



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by kkkaaat | 2014-02-04 01:49 | 火、狩人【シンイ二次】 | Comments(25)

【シンイ二次】火、狩人4

「結んで…カット」

チャン・ビンが素早く、頚動脈をつなぎ合わせた縫合糸を切る。
ウンスは、傷口を広げていたクランプ(鉗子)を手早く取り出すと、
続けてフック(開創器)を慎重に傷口からどかした。
女人の傍らに、大きく広げたタオルの上には、
ウンスのキャリーバッグに入っていた、
学会での模擬手術に使用した手術道具がひとそろい、
並べられている。

ウンスは、額に手を上げて、展示会場で買ったばかりのライト付きの
ルーペの角度を変えると、今度は傷口の縫合のための針と糸の準備を
始めた。

サイレンの音が遠くから近づいてくる。
(いまさら、遅いのよ)
ウンスは心の中で毒づいたが、無駄口は叩かず、
黙って手を動かすことだけに集中する。
今度は、傷口の縫合だ。
手術の山場は越えた、あとは患者の体力次第ね、と
ウンスは少しだけ、肩の力を抜いた。





「こ、こっ、ここで、ですか?」

激しく言葉をどもらさせながら、ウンスは言った。
見合っていたチェ・ヨンとチャン・ビンが、
ウンスに目を戻して同時にうなずいた。

「こ、ここで…?」

ウンスは、屋外であるこの場所と、患者の女人に目をさまよわせ、
是とも否とも言えずに、ここで、と繰り返しながら、ほとんど
無意識のうちに、キャリーバッグを引き寄せて、そのジッパーを
引き開けはじめる。
が、手術道具に手が触れると、熱いものにでも触ったかのように、
急いで手を引っこめて、無理無理無理、と独り言のように言って、
頭を抱えた。

「世からも、お願いする」

天の医員殿、と言われて顔を上げたウンスが見たのは、
小柄で利発そうな青年の姿だった。
どこから出てきたのだろうか。
ウンスは思わず辺りをキョロキョロと見回した。
群青のフード付きのマントですっぽりと身体を覆っていて、
頭の後ろにおかしな編み髪をたらしている。

その後ろには、チェ・ヨンと名乗った男と似た装束の髭の男が
周囲に油断なく目を配りながら、立っている。
この男はまた別の、“髷(まげ)”頭だ。
(やっぱり時代劇の撮影だわ!)
ウンスはわずかに不安が緩むのを感じた。
しかしこのヒゲ男、腰にチェ・ヨンと同じように剣をさしていて、
いつでも抜けるようにか、しっかりと手をかけている。
あれも真剣なのだろうか、と考えると再び不安がおそってくる。

「ちょっと変なのがまた、ぞろぞろ出てきちゃってるんですけど!」

ウンスは泣きそうな声でそう言ったが、小柄な男の目が
いかにも悲しげな光を帯びているのを見て、騒ぐのを止めた。
もしや、と口を開く。

「あの、ご親族の方ですか? ご心配なのはわかりますけど、
勝手に手術なんてしたら、わたし、下手したら免停になっちゃうんです。
それにね、こんな場所でなんて、この人のためにもならないわ。
ね、この人とわたし、二人のために、わかってください」

早口で顔を突きつけるようにしてまくしたてるウンスの前で、
小柄な男は戸惑ったように目を見開いたが、ウンスの言葉が
途切れると、今度はチャン・ビンに目を向けた。

「そちらの天の医員殿は、この傷を治すことはできぬのか」

私は内科医ですから…、とチャン・ビンが静かに告げると、
またすぐに、ウンスを見上げた。

「天の医員殿、これより方法がないようです。
あなたの力をお借りしなければならぬ」

そう男が、か細い声なのに妙に力のこもった声で言うのと同時に、
チェ・ヨンの剣がまた、ウンスの首元に横から当てられた。
よせ、と小柄な男が言っても、チェ・ヨンは剣を下げず、
ただ低い声でウンスに言う。

「王命だ。治療をせよ」

世からも、重ねてお願いする、とその男が言う。
オウメイ? この男はいったいに何を言っているの、
とウンスが戸惑って、黙ってしまうと、
横からチャン・ビンのため息に続いて低い声がした。

「しかたない、私がやろう」

えっ、とウンスは大きな声で驚く。
チャン・ビンは、はったりでも冗談でもないようで、
ただ静かにウンスのキャリーバッグを開け始めた。

「血管の縫合なんてしたことあるんですか?」

ない、とチャン・ビンはこともなげに言う。
続けて、とびこみでやってきた怪我人の傷口の縫合くらいしか
経験はないが、きみがやらないなら、私がやるしかないだろう、
と言って、じっとウンスの目を見つめた。
ああ先輩そういう人でしたよね、
とウンスはがっくりと肩を落として小声でつぶやく。

チャン・ビンのクールな外見や振る舞いとは裏腹に、
ひとは彼を熱するところのない人間だと思いがちであるが。
このウンスの先輩は大層行動の熱い人物で、大学院を出てから二年ほど、
海外の医療ボランティアに行ったこともある。

ウンスは、わかった、わかったわよ、わたしだって助けたいのよ、
助けたいんだから、と甲高い声で言った。

「わたしが、―やります」

ウンスはそう言って、今度は恐る恐る剣を指で自分の身体から押しやって、
チェ・ヨンをキッと一回睨むと、チャン・ビンが開けたキャリーバッグから
手術道具を取り出し始めた。

「ありがたい。感謝する」

小柄な男が、まだ強張りのとけぬ声で、そう言うと、
後ろのヒゲ男が、直立不動になって、深々とお辞儀をする。
ウンスだけ聞こえるくらいに、チェ・ヨンはふん、と鼻から息を吐いて、
剣を小さな音を立てて、鞘に戻した。



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by kkkaaat | 2014-02-01 23:22 | 火、狩人【シンイ二次】 | Comments(17)

【シンイ二次】火、狩人3


「この方をお助けできるのか」

チェ・ヨンは、胸に剣を突きつけて、迫るようにそう言った。

「チャン・ビン先輩、なんなんですかこのヒトォ!」

もうウンスはチェ・ヨンの顔を見もせずに、先ほどと同じように剣を押しのけ
ようとして、刀身を軽く握ったと思うと声をあげた。

「痛いっ!」

それから、自分の手のひらに目をやって、薄く皮が切れて、
わずかに血が滲んでいるのを見て、ぴたりと動きを止めた。
じっとその血を見つめたあと、無言のままチェ・ヨンに背を向けて、
キャリーバッグをかき回しながらウンスは、
横のチャン・ビンに顔を寄せて、ささやく。

「せ、先輩、…この剣、本物です」

チャン・ビンは圧迫止血を試みながら、ああそうだな、
と冷静な声で答える。
気づいてたんですかっ、とウンスが食ってかかると、
ああ、あなたはよく平気だなと思っていたよ、と言う。
まさか、この人が犯人、と自分で言って、ウンスは青ざめる。
サイコ、と呟いて、怖々と顔をしかめたが、それでも手だけは
止めなかった。

「お助けできるのか、と聞いている」

自分を無視する二人に、男が声を大きくする。
怒鳴りつけようとするウンスに、チャン・ビンが静かにささやいた。

「刺激しないほうがいい」

ウンスは、はっとして、開けかけた口を一度閉じ、
それから肩ごしに言った。

「重傷だわ。でも、緊急手術を行えば、助かる、と思う」

そこにかぶさるように、チャン・ビンの口から言葉がこぼれた。
まずい、脈拍が弱まっている、と言いながら、顔を上げる。

「その、きんきゅうとやらは、お前はできるのか」

とチェ・ヨンがウンスの目を見ながら、言う。
深く水底まで見通すようなまなざしだ。

「できるけど、でも救急車がくれば、搬送先の病院の担当医が
手術をしてくれますから、安心してください」

ウンスがそう言うと、チェ・ヨンは言葉を返す。

「そっちの男は、まずい状況だと言ったが」

ええ、そうね、多分出血量が多いから、その、一刻を争うのは確かよ、
とウンスはつっかえながら、正直にそう言った。
相手の機嫌を損ねぬように、と思うのだが、このチェ・ヨンという男の
目を見ると、なにやらうまく言葉をつなぐことができなかった。

「お前、できるのだな」

チェ・ヨンが念を押すように言う。
ウンスは背筋に、嫌な予感が這い上がってくるような気がした。

「いえ、わたしの専門は美容整形だから、やっぱり血管の縫合手術は
ちょっと無理っていうか、そんな簡単なもんじゃないっていうか」

しどろもどろに、言いながら、ウンスは立ち上がって患者から
後ずさりはじめた。
そのままくるりと後ろを向いた瞬間に、腰のあたり、何か鋭いものが
付き当てられたのを感じる。

「ひっ!」

降参とでもいうように、ウンスが両手を上げた時だった。
チャン・ビン先生が声を上げた。

「ウンス、まずいぞ」

ウンスとチェ・ヨンの顔が、同時に女人に向く。
なんですか、とウンスが悲鳴のように答える。
このままでは、救急車が来るまで間に合わない、
とチャン・ビンが言った。
冷静さの後ろに切迫感が感じられる。

「ちょ、ちょっと。どうしましょう、先輩」

ウンスが情けない声を上げて、結局チャン・ビンの横に
またかけ戻った。
ここは町外れだ、救急車の到着までかなりかかる、患者の衰弱が激しい、
とチャン・ビンがウンスに告げるのを、チェ・ヨンはじっと見ている。
嫌ですよ、そんな、見殺しとか、と叫ぶように言いながら、
ウンスはぐしゃぐしゃに髪をかきました。

「ここで応急手術を」
「ここで、やれ」

チェ・ヨンとチャン・ビンが、ほとんど同時に言って、
それから、むっとしながら顔を見合わせた。
ウンスは、一瞬ぽかんと口を開ける。

「えっ、ええー!?」

夜空にウンスの絶叫が、響き渡った。



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by kkkaaat | 2014-01-30 14:23 | 火、狩人【シンイ二次】 | Comments(28)

【シンイ二次】火、狩人2


「テジャン…」

男は水の中を歩いているような気がしていた。
粘りつくような冷たい光の中を、一歩一歩、明るい方へと進む。
自分の周囲に水面のように揺らめくそれの中でも、息はできた。

自分を呼ぶ声がした気がして、声の方に向かって歩いていた。
ふと、身体が軽くなる。
見回すと、そこはすでに、光の中ではなかった。

「テジャン、ご無事で」

強ばっていた小柄な男と並び立つ髭の男の表情が、
見る間にほっと緩むのが見えた。
男はまず女人の首に目をやった。
先ほど流れ出るようだった傷は、わずかに勢いを緩めているが、
それが良いことなのかどうかの判断もつかない。
顔を上げて、辺りを伺う。

立派な石柱に囲まれて、先ほど見た仏像は、より大きなものへと
挿げ替えられている。
床は磨き上げられたような石床で、このような立派な石造りは、
皇宮でさえ見たことがなかった。

「テジャン、あちらに明かりがたくさん見えます。
あちらに街があるのではないでしょうか」

石床の端に立って見下ろすと、夜の暗闇を打ち消すほどの明かりが
眼下に広がっている。
なんだ、ここはどこだ、そう呟いた瞬間に後ろから革鎧の青年が
まろび出て、そのままつんのめるよう走って男の横に並んだ。

「うわぁ」

青年は子どものような声を上げた。
テジャンと呼ばれている男は、背の高い若い男に、
天穴を見張れ、とひと言命ずると、腕の中の女人を石床の上に横たえた。



「チャン・ビン先生、そう思われませんか?
ですからね、やはり美容医療のこれからは、
心のケアと内科的な処置や服薬との、複合的な――」

先ほどまで行われていた、美容外科学会での講演の成功に
気をよくしたウンスは、やや興奮気味で、もう何度か語っていることを、
大学の先輩で内科医のチャン・ビンに早口でまた話している。
キャリーバッグをがらがらと引き摺りながら、
開いた手を空中にふらふらと彷徨わせながらしゃべるのがウンスの癖だ。
背の高いチャン・ビンは、もう何度目かになるその話であるのに、
きちんとウンスの顔を見つめ、丁寧にうなずきながら聞いている。

手を慌ただしく動かしまくしたてながら歩いていたウンスの
足と口が、ぴたりと止まった。
目が細くすがめられ、少し先に目を凝らす。
チャン・ビンは追いかけるように、ウンスの視線の先へと
目を向けた。

「ねえ、あれ」

止まっていたウンスの足が、ゆっくり一歩、二歩と前に出て、
それから早足になる。

「人が、倒れてません?」

チャン・ビンは黙ったまま、ウンスとともに足を踏み出し、
そのまま駆け足になった。



「テ、テ、テジャン、人が来ます」

皮鎧の青年は石床の端から、辺りを見回していたが、
その丘の下を通る固い石の道から、女が一人、男が一人、
走り寄ってくるのに気がついた。

「追っ手か」

跪いていた男が顔を少し上げて問うと、青年は暗い中に
目を凝らす。

「わかりません。で、でも、武器は持ってません。女の方が何か
に、荷を持っています」

それから、呟くように、なんだあれ、旅芸人か、と
不思議そうに言う。
テジャンと呼ばれている男は素早く立ち上がると、
髭の男と背の高い若い男に顔を向けた。

「チュンソク、チョナを物陰にお隠しせよ。お前も共に隠れ、
なにがあってもお守りしろ。トクマンは引き続き天穴を見張れ。
追っ手が出て来るようであれば殺せ」

チュンソクと呼ばれた髭の男と、トクマンと呼ばれた背の高い
若い男は、イエ(はい)、とうなずくと、即座に動く。

「テマン、お前は樹に登って、俺を援護しろ」

革鎧の青年は、まるで人技とは思えない身軽さで、
この石の祠の横の樹上に音もなくのぼった。

「テジャン、王妃は」

チュンソクという男にうながされた小柄な男が、一瞬立ち止まって、
細い悲痛さをにじませたような声で、尋ねた。

「どうにかいたします。まずは我が身をお守りください」

男がほとんど振り向きもせずにそう言うと、小柄な男は歯を食いしばって
物陰に走り込んだ。
と同時に、女と男が石床に続く階段のたもとにたどり着き、
駆け上がり始める。
男は跪いて、もう一度女人の息を確かめると、また立ち上がり、
腰に差した剣に手をかけた。



「あの、大丈夫ですか?」

ウンスは、はあっ、はあっ、と息をきらしながら男に話かける。
男は一瞬にして女の様子を見て取った。
見たこともないような、赤い髪。
胸元の開いた身体の線が浮かび上がる、淫らな異国の衣、
夜でもわかる抜けるように白い肌。
微かに男の目が見開かれる。

このような時であるのに、
男は女の口元に目が吸い寄せられるのを感じた。
見たこともないような色の紅だ。
美しい、という言葉が頭のどこかをかすめたが、
そう意識する前に振り捨てた。

「ね、その人、ああっ!」

女は首の傷に気がついたようで、手を口に当てた。
悲鳴でも上げて逃げ出すかと思っていたのに、女は傷を見ると、
さらに急いで駆け寄ってきた。
テジャンと呼ばれた男を押しのけるように、女人の傍に滑り込む
ようにして膝をついた。
男の方は、その半分まで駆け寄ったが、女人と男の異様な風体に
気がついて、密かな警戒の表情を顔に浮かべて、数歩を残し立ち止まった。
女は懐から小さな真珠色の板札を取り出したと思うと、
耳元に押し当てて、何かをしゃべりだした。

「救急車の出動を一台要請します。患者は若い女性、
首中程に鋭利な何かで切りつけられた外傷、7センチ程度で、ええ、
静脈が傷ついています。至急血管縫合手術が必要だと思われ――」

男は板札にしゃべり続ける女を一蹩すると、その後ろの男に顔を向けた。
帯剣もしておらず、一風変わってはいるが、武人の身なりではない。

「この近くに、医員はおらぬか」

男がそう言うと、ウンスの後ろのチャン・ビンが口を開く前に、
ウンスは男には目もくれずに、女人に首筋の傷に触れ、確かめながら
しゃべりだす。

「わたしが医者よ。今、救急車を呼びました。
チャン・ビン先生、止血が必要です、わたしのキャリーバッグに―」

すらり、と男の腰から剣が抜かれた。
チャン・ビンの動かない表情が崩れ、目が見開かれる。
男は医者だと言ったウンスの横に立つと、怒りを孕んだ声で言う。

「何をする」

男はしゃがんでいるウンスの首元に、剣を当てた。
ウンスは臆する様子もなく、男を睨みつけながら、刃を手のひらで
ぞんざいに自分から押し遠のけた。
つい先ほどまで何十人もを斬ってきた剣を、素手で退けられて、
男は微かに戸惑ったよう瞳を揺らした。

「こんなときに、ふざけないでよ! 何? テレビの撮影?
チャン・ビン先輩、見てないで手伝ってください。
この人の傷、かなり深いわ」

ね、撮影中の事故なの、責任者は、あなたは事情がわかるの、と
畳み掛けるようにしゃべりながら、ウンスは大きな荷入れから、
何やら道具を引き出し始める。
勝手に触れるな、と男が女の肩をつかんで押しのけようとすると、
女はいきなり立ち上がって、一歩前に出て男に詰め寄ると、
ドンと男の胸に両手を押し当てて、突き飛ばすようにした。

「ねえちょっと、何様だか知らないですけどね、
この人を助けたいんだったら、黙ってて!」

祠の横にそびえる見たこともない明るい白い灯火に照らされて、
女の髪は逆立って赤く燃えるようだった。
男は瞳の奥の強い光に、気圧されるようなものを感じた。
他人にそんなものを感じたことなど、この数年なかったことだ。

どうしよう間に合わないわ、と顔を歪めながら、ウンスは男に
背を向けると、この言い争いの間に女人に近寄り脈をとりはじめて
いたチャン・ビンの傍に膝をついた。

「医員なのか」

男が剣を持った手をだらりと、身体の横に下げたまま、
二人に問いかける。

「そうよ、さっき言ったでしょう!」
「そうだ」

ウンスは噛み付くように、チャン・ビンは落ち着き払った声で同時に答える。
それを聞いて、男は岩影に、一瞬目をやって戻す。

「名を、何という」

男は急に、はっきりと定まった声で、言った。
ウンスは苛々と身体を揺らしながら、顔だけ振り返った。

「ウンス、ユ・ウンスよ。江南の形成外科医よ。
そんなこと今はどうでもいいでしょう。
人に名前を尋ねるなら、自分が先に名乗りなさいよ!」

男は、すい、と目を細めた。
一歩、近寄る。

「俺の名はチェ・ヨン」

高麗国于達赤隊隊長、中郎将のチェ・ヨンと申す。
その男は剣をウンスの喉元に突きつけて、そう言った。



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by kkkaaat | 2014-01-23 22:48 | 火、狩人【シンイ二次】 | Comments(24)

【シンイ二次】火、狩人1

※この話は、ドラマ「シンイ」の登場人物をお借りし、展開のアイデアは別ドラマ「屋根部屋の○リンス」からお借りしています。現代ものパラレルです。ドラマの続きではなく、ドラマの一話目のあたりから、ストーリーを変えて話が始まります。主人公はチェ・ヨンとウンスです。こんなはじまりですが、ラブコメの予定です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「テジャン!」

そう呼ばれて男は、足で踏みつけた身体から、
剣を引き抜きながら顔を上げた。
呼ばわった髭の男よりも、まだ若い。
だのに、テジャン(隊長)と呼ばれていて、
周りの揃いの鎧を身につけた数人の男達は、
その男のことを頼るように見つめている。

口元に髭を蓄えていないので、まだ三十にもなっていないのだろう。
肩ほどの髪を後ろで無造作にくくり、長い前髪を額帯で上げている。
テジャンと呼ばれるのが当然と、本人も思っているのが見て取れる。
よほどの手練だろう、引き抜いた剣をひとふりすると、
刃先には血曇り一つない。

「乙は、どうした」

低く暗い声で、その男は尋ねた。
声を張り上げたわけでもないのに、辺りはその声で、しん、とした。

「乙のうち七名、戻りません。丘下から、登ってくる人影が数十名」

ちっ、と男が舌打ちをして、
すぐそばの岩影に佇む二人の人影に目をやる。

小柄な男が一人、すらりとした女人が一人。
小柄な男は雨避けの被り物をきつく身体に巻きつけて、
ただ一人、テジャンと呼ばれた男をじっと見つめている。

「チルサルにやられたと――」

髭の男が続けると、テジャンと呼ばれた男は空を仰ぐ。
空に沸き上がった雲から、不思議な赤い雷光が、
何度も光っているというのに音がしない。

「なんなんだ」

天帝がお怒りか。ならばどちらにか、と空を睨む。
赤く染まった雲が渦を巻き、丘のさらに上へと集まっている。
男は辺りを見回した。
麒麟の鎧をつけた兵が八名、岩影の二人、侍従らしき文官が数名。
部が悪い、と言わざるを得ない。

「どっ、どうにかしろ! チョナをお守りするのだ!」

雨避けから、紫の派手な衣が覗く年嵩の文官が、上擦った声で繰り返す。
男は、その男を無視して、髪の長い身体のがっしりした男に近づいた。

「あの大木の方へチョ・イルシン殿をお連れして逃げろ」

チョ・イルシンと呼ばれた文臣がぎょっとしたように、男を見た。
そう言ってから、男はほんの一瞬間を置いた。
そうして、髪を長く下ろした男の耳元に顔を寄せる。

「お前は、このようなことで、命を落とすには惜しい男だ。
時間を稼いだあとは、死力を尽くして遁走しろ」

はい、と髪の長い男はその双眸に光をみなぎらせて、
強くうなずいた。
男は、チョ・イルシンにつかつかと歩み寄る。

「ウダルチ四名とともに、臣の方々はお逃げください」

囮にしようというのか、と震える声が抗うように言った。

「奴らの狙いは、お二方です。共にいれば巻き添えをくう」

男がそう言うと、急に文官たちは押し黙った。
チョナをお守りせねば、と誰かが弱々しく言うと、
男は、あなたがたがいても足でまといだ、と切り捨てる。

「こちらへ」

髪の長い男が、誘うと、文官たちは戸惑いを顔に残したまま、
チョナどうかご無事でと小声で言っておずおずと走り出す。
男は、岩影に走り寄る。

「こちらへ」

岩陰の男と女を、丘の上へと誘いながら残った三名の兵と登りだす。
あのものたちは、と小柄な男が尋ねると、男は事も無げに答える。

「囮としました。幾名かでもあちらを追ってくれればよいが」

小柄な男は、一瞬痛ましげに顔をしかめたが、すぐに前を向いて
必死に男についていく。女はひと言も口を聞かずに、ただ、
足早に丘を登った。
なぜだろう、男は鳥肌が立つような不思議な感覚をおぼえていた。
空気が何かを含んだように、ぴりぴりと肌を刺す。
この先に、この先に活路がある、何かがそう告げている。

「テジャンっ」

子どものような顔の、一人だけ別の革鎧を身につけた青年が、
樹上から飛び降りながら悲鳴のような声をあげた。
追っ手だ。
丘の下からわらわらと、数十名、いやそれ以上か。
舌打ちする余裕もなく、一行はひたすらに丘を登る。

山陰を回り込むと、大きな岩壁が見えた。
なぜだかわからぬが、そこへと皆が引き寄せられるように走った。
びゅうびゅうと向かい風が吹き、木の葉が舞い上がっているというのに、
足が止まらない。

「あれは…?」

初めて、女人が口を開いた。
細いが気丈そうな声が、戸惑いで震えている。
男以外の者の足が、一時止まった。

「天門が、開いている」

小柄な男が、驚きを秘めて、そう呟いた。
天門、と問い返したのは誰の声だったか。

「華陀が現れ、消えたという天穴なのか」

男の顔は驚き一つ表していなかったが、
それでも声に微かに畏怖が混じる。
仏像の足元に祠のように組まれた岩の庵の中が、
青白く光ながら渦巻いている。
あまりの驚きに、警戒が一瞬おろそかになった。

「テジャン!」

小柄な男が高い声で、叫ぶ。
丘の下からの追っ手とは違う、黒の装束に深く傘をかぶった
三十名近くの剣手が、岩壁の横から影のように走り出た。
テジャンと呼ばれた男は、一歩ずつにひと振りずつの剣花を散らし、
瞬く間に数人を斬り倒して、小柄の男のそばまで駆け寄ると、
腕を掴んで、髭の男の方へと放り投げるように押し出した。

それから、それよりも二歩ほど遠い女人が、男に手を伸ばした。
男はそれを掴まずに女人の背後の一人へと剣を突き刺し。

(あと、二人。)

もう一人の腕を切り落として、返す刀でその首元へと突き立てようと
して、間に合わぬ、と目を見開いた。
七殺(チルサル)の手の者らしき男が、
女人の首に刃を当てて引き斬るのと、
男の剣が殺者の首を貫くのが同時だった。

(この男が命汚ければ、間に合ったものを―)

男はきつく歯を食いしばる。
剣を引き戻しながら、倒れ込んでくる女人を腕に抱きとめ、
男はそのまま走り出した。

「天穴へ」

腕に抱えている女人の首傷から、鮮やかな赤が流れ落ちる。
滴るそれを、小柄な男は、走りながら凝視している。
小柄な男の目が、恐怖とは別の絶望で、黒々と曇った。
丘下から、さらに追っ手が加わるのが見える。

「入るのですか」

若い背の高い男が、また一人斬り捨てながら、叫んだ。
追っ手と天穴とを交互に見比べている。

「行くんだ」

テジャンと呼ばれた男は、確信を持って、そう命じた。
髭の男が小柄な男の腕を掴んだまま、迷いもなく走り込み、
姿が消えた。
続いて背の高い男が意を決したように飛びこむ。

革鎧の青年が、光の横で、髪を揺らしながら男を待っている。
男はちらと剣を構える青年に目をやってうなずくと、
腕に女人を抱いたまま、その中へと駆け込んだ。
青年は、男の姿が消えるのを確かめて、跳ねるように天穴へと身を投げる。

追っ手が岩壁を回って見たものは、そこに渦巻く青い竜巻のような渦と、
誰もいない草地の上を吹き抜けていく、寒々しい風の痕だけであった。



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by kkkaaat | 2014-01-21 19:41 | 火、狩人【シンイ二次】 | Comments(33)

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