筆記



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【シンイ二次】颶風 7



入城の際に手引きに協力をすることと、元王朝内部の情報と引き換えに、
高麗への帰国を許してほしい、とイ・ヤチュンのもとへ申し出があった、
と書状にはそう書いてあった。

親書の中に、本来の目的を秘匿した手紙では、それ以上の詳しいことはわからず、
この件を今すぐどうこうするということはできない。
チェ・ヨンは心の中に生まれたくすぶるような気がかりに苛つきながら
王のもとから下がった。回廊を兵舎へと歩いていく道すがら、ユ・インウは
世間話のように徳興君についてさらりと尋ねる。

「あやつをどうしてやりたい」

チェ・ヨンは急ぎ足で前を向いたまま、不穏な口調で言う。

「ぶっ殺してやりたいです」

ユ・インウが思わず、くくく、と笑う。
若い頃に威勢のいいところはあったが、血気盛んなチェ・ヨンなど、
ここ十年ほども見たことがなかった。
身体の横で密かに握り締められた拳に、ちらと目をやる。

「お前の情人は徳興君の許嫁だったそうじゃないか」

どこでそれを、とチェ・ヨンは尋ねようとしてやめる。
これほどの地位にあるものが、それくらいのことを知らないほうがおかしいのだ。

「それは間違いです。私の懸想しておりました女人を脅して、
無理に婚約をはかったのであって、私が奪ったのではございません」

冷静に言ったつもりだが、声音に怒りが出てしまって、それにまた苛立った。
まあそれならよかろう、とユ・インウは興味がなそうに言い、
急にチェ・ヨンの腕をつかんだ。

「私情など、儂にはどうでもよいことだ。頭を冷やせ、お若いの。
儂はお前を見こんでおるゆえ、この度は役立ってもらうぞ」

チェ・ヨンはゆっくりと礼を失しないよう、ユ・インウの手を自分の腕から外す。

「王の悲願、我が私情で汚すことなど、決してありませぬ」

チェ・ヨンが静かにそう言うと、ユ・インウは満足そうにうなずき、
チェ・ヨンの腕を、手のひらで強く叩き、一人先に行ってしまった。

ふう、とため息がチェ・ヨンの口から漏れ、顔をあげると于達赤の兵舎に
向かって、歩き出した。


「テマン」

于達赤の兵舎に入るなりそう言うと、すでに立ち上がりかけていたテマンが
まるで子犬のようにチェ・ヨンの元へと駆け寄る。
衛兵がチェ・ヨンの姿を見るなり兵舎に駆けこんで知らせたので、
だらりと座っているものなど一人もおらず、それぞれが何かしら仕事を
しているように、見える。

「はいっ、テホグン」

開京への帰還後すぐに屋敷に戻ったチェ・ヨンに、何かあったらすぐに知らせるため、
テマンは昨日から兵舎に留め置かれていたのだ。
チェ・ヨンが入ってきたときには、入り口近くの卓に行儀悪く腰掛けて、
トクマンとともに皇宮の図面を広げていた。于達赤隊は近頃また増員をしたばかりで、
護衛の配置の検討を、いまや古株になりつつあるトクマンがまかされたのだ。

「今日は屋敷へ戻っていいぞ。俺は今から宗簿令殿と話がある」

そう告げると、じゃあお待ちして屋敷まで一緒に戻りますと言って、荷物を取りにと
于達赤の兵舎に当然のようにもらっている自分の寝台へと飛んでいった。

「チュンソクを呼べ」

そう告げると、手近にいた隊員が、駆け足で隊長室へと駆け込もうとしたが、
大護軍の来訪は当然のように告げられていて、チュンソクはすでに姿を見せていた。

「チュンソク参りました」

チュンソクが背筋を伸ばしてそう告げると、チェ・ヨンはあらたまったふうもなく、
ちょっとこいとチュンソクをそばに呼び寄せる。
無事のご帰還で何よりです、と生真面目に型通りの挨拶をするチュンソクを
手で制して単刀直入に言う。

「お前、紅巾のことは何か聞いているか?」

チェ・ヨンは腕を組み、額を付き合わせて、チュンソクに尋ねる。

「春頃から、都に出入りがあるのは知っております。
ただ、特に問題は起こしておらず、ご報告するには当たらないかと」

そう言われて、チェ・ヨンはわずかに考えこむ。
そうか、やはりその程度か、とつぶやいて、眉をしかめる。
チュンソクは、何か問題でもありますでしょうか、
という言葉が喉から出そうになったが、ぐうと飲みこんでこらえる。
自分が于達赤隊長になってより、この隊の長はあくまで自分である。
大護軍とて、うかがうような言動で自分を下げることはせぬ、と決めたのだ。
それでも長年の習慣で「テジャン?」と尋ねたい衝動に逆らうのは我慢がいった。

「いや、スリバンが持っていた一報もその程度だ。ただな、なんとはなしに、気にかかる」

近々また都を留守にするゆえ、火種はすべて潰しておきたい、とチュンソクに
言うと、チュンソクは低く、はい、と応えた。そのいつもは頼もしい落ち着いた
様子が、今日はなぜか、気に障る。
師叔と連絡を取れ、とチェ・ヨンが言うと、チュンソクは微かに口を開きかけて、
すぐに黙って目を見て深くうなずく。

「ああ、そうだったか」

とチェ・ヨンは小さく舌打ちをする。
チュンソクの様子で、すでにマンボ兄妹と連絡を取り合ってなお、
今の結論だとわかったのだ。
ふう、と息を吐いて、イ・ソンゲからの書状で波打っている胸の内を鎮める。

「そうだな、お前ならすでにそれぐらいの手を打たぬわけがない」

はいそうです、と言うわけにもいかず、チュンソクは、はっ、と恐縮して
頭を下げる。
まあいい、とにかく用心しろ、とそれだけ告げると、チェ・ヨンは
まかせたぞ、とチュンソクの肩を叩く。
チュンソクは、わずかに緊張を解いて、チェ・ヨンに向かってうなずいた。
それだけ言うと、チェ・ヨンは踵を返して、便殿近くに向かう。
上臣武官たちが会議をしているはずだ。

あのまま、王のもとから下がったときに、直接向かえばよかったのだが、
ひと呼吸置きたい気持ちがどこかにあった。
踵を返すと、于達赤隊の兵舎を出る。
双城総管府の攻略には、内部からの手引きがあるがゆえに、指示が通って
小回りの効く于達赤隊を連れていきたいと願い出ること、と心に覚え書き、
チェ・ヨンは便殿に向かって歩きはじめた。


「テホグン、また戦ですか」

馬に揺られながら、テマンがチェ・ヨンに尋ねた。
夕刻にも近い昼下がり、ようやくチェ・ヨンは皇宮から下がり、
屋敷へと向かっていた。
少しばかり考え事をしていて、チェ・ヨンは馬を走らせることもせず、
二頭の馬は並んで、かぽり、かぽりと緩いひづめの音をさせている。
ゆっくりと、テマンへ顔を向ける。

「ああ、そうなるな」

チェ・ヨンはテマンに向かってそう言った。
どこへ、とテマンが、目を輝かせて言う。
ふ、とチェ・ヨンは息を漏らして笑った。

「遊びに行くんじゃないぞ」

わかっていますよう、とテマンが口を尖らせる。
チェ・ヨンはそう言いながら、テマンの目の輝きがわかるような気がしていた。
双城総管府を乗っ取るぞ、と言うと、テマンはおお、と声をあげた。

「とうとう、ですか」

早くてひと月、長引けば参月、いや半年かかるやも、とテマンに話す。
内通者がいるゆえ、長引かぬだろう、さほど難しいお役目とはならぬはず、
と話すと、テマンはにこりと笑いながら言う。

「長くても短くてもかまいません。
俺はテホグンの行くところなら、どこでもついて行きますから」

チェ・ヨンは苦笑いとも照れともとれる笑いを浮かべたが、
その笑みは中途半端で、少しばかり浮かぬ様子に見えた。

「何か気がかりが?」

テマンが察して、チェ・ヨンに馬を寄せる。
いや、とチェ・ヨンが顔をあげると、テマンはその表情を読み損なって、
にやにやと口元を緩ませた。

「ああ! そりゃあ離れるのはお嫌でしょうけど。
まあ、都にいる間にたんとかわいがってあげればいいんですよお!」

チェ・ヨンは一瞬目を見開いてから眉をしかめて、テマンを見る。
それから、は、と息を吐きながら笑って、手綱を切って馬を寄せる。
にやつくテマンの後ろ頭を思い切りはたくと、テマンは後頭部を手でさすりながら
顔をしかめてチェ・ヨンを見る。

「おまえ、どこでそういう物言いを覚えたんだ、トクマンか? チュモか?」

嫁取り前の小僧が一人前の口をきくな、とチェ・ヨンが笑いながら言うと、
テマンは頭を掻いてぺこりと頭を下げた。



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by kkkaaat | 2013-11-30 16:17 | 颶風【シンイ二次】 | Comments(16)

【シンイ雑記】ドラマの中の史実

いつも当ブログの話をお読みいただき、ありがとうございます。

さて、現在「颶風(ぐふう)」という話を書いてお見せしているわけですが、
まずはタイトルの説明を。

「颶風」というのは、強く激しい風、台風などを差す古い名の気象用語です。
その名の通り、これまでの比較的穏やかな話とは少しばかり違いまして、
ストーリーの中でも嵐が吹き荒れます。


そのストーリーを進めていくうえで、高麗末期のいくつかの史実をからめて
書いているのですが、すでに「紅巾の乱(こうきんのらん)」という言葉が
出てきています。え、なに?? と思われた方も多いかと。


本来なら話の中で自然な形で史実が説明されるのが望ましいというのは
重々承知ですが、私自身が知識不足なのと、それほどの筆力がないのと、
そこまで長く皆さんお読みになりたいパートでもなかろう、ということで、
本筋に入る前に、簡単な説明をさせていただいちゃおう~、
というのがこの記事のねらいです。


まずは、ドラマ内で登場したいくつかの事件が史実的にどうなのか、
を簡単に記させていただきますね。
(ネットで調べた知識が中心なので、間違いがあると思います。
もし正しい内容をご存知の場合、ご指摘いただけるとありがたいです!)


●1351年 王様、元から高麗へと戻って即位●
これは史実も、ドラマ内も一緒です。

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●1352年 チョ・イルシンの乱●
これも史実、ドラマ内ほぼ一緒。ですが実際のチョ・イルシンは、
朝廷内でかなりの権力を持つにいたり、王に反逆し、粛清されます。
ドラマ内のチョ・イルシンは王への気持ちは残しつつ、徳興君に惑わされ、
罪を着せられ殺されます。
史実では、この乱を平定することでチェ・ヨンは有名になったようです。

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●1355年 鴨緑江西域の八つの軍事基地を奪還●
これも史実とドラマ内がほぼ同時です。
ドラマ内ではウンスが100年前にいた四年間に、チェ・ヨンが天門の地を、
元から奪還して(もともと高麗が高句麗という国だったころには領土だった土地で、
うちの二次の中で「故地」と呼ばれている土地の一つです)、
その地でウンスを待っていますが、それが史実のこの戦とリンクしているわけです。
鴨緑江(アムノッカン)とは、現在の北朝鮮東北部を流れる河で、
中国との国境になっています。

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●1356年 奇轍(キ・チョル)の乱●
キ・チョルは姉が元王朝の王の后であることをバックに、
高麗王朝の実質的な権力を握っていましたが、
ドラマ内では1351~1352年あたりに乱を起こし、
天門にて命を落とすことになりました。
史実では、1356年(ウンスが四年を経て戻ってきた年あたり)に乱を起こし、
それを平定されて死を迎えています。
つまりウンスの存在により、4,5年ほど死の時期が早まったことになります。

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●1363年 元が徳興君を王位に就かせようとする●
ドラマ内では1351~1352年時に、元より王位の冊封を受けるトックンですが、
史実ではそれはかなり先のこととなります。

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ここまでが、ドラマ内に出て来る主な事件です。
このあとが、「颶風」であつかう史実となります。

●1356年 双城総管府陥落●
もともと高麗の地である元と国境を接する辺りを、元の出先機関として、
植民地として支配する行政機構である双城総管府(ドラマではサンソン地区、
と書かれていた模様)。
イ・ソンゲもお父さんのイ・ヤチュン(ドラマではイ・チャチュンと発音?)も、
ここに千戸長件達魯花赤(ダルガチ)としてお勤めです。
(ですから、ドラマの中でも、二人共胡服を来て、元風の出で立ちをしていました。)

それを奪還しようしているのが恭愍王で、枢密院副使の柳仁雨(ユ・インウ)
をもって攻略、奪還します。
そのときに元から寝返って入城の手引きをしたのが、チェ・ヨンをいずれ
殺すことになるという、イ・ソンゲとそのお父さんイ・ヤチュン。
史実ではこの双城総管府攻略にチェ・ヨンは参加していませんが、
颶風の中では、チェ・ヨンはユ・インウに率いられて大護軍として遠征いたします。

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●1351~1367年 紅巾の乱●
元の圧政に対する、農民の反乱で、漢民族・白蓮教徒がその中心となっています。
目印に赤い布をつけて戦ったので、紅巾と呼ばれました。
ドラマ内でも、1351年の皇宮で、ウンスとヨンが天穴へと逃げている最中、
アン・ジェを禁軍の長として任命するときに、
「元では紅巾族の反乱がひどい」というような報告がありました。

何度か高麗にも攻め入り、1357年には一時開京を占拠しますが、
イ・ソンゲたちの反撃で、開京を明け渡します。
(イ・ソンゲはこの前年の双城総管府陥落により、高麗での地位を得て、
高麗のために戦っています)
1359年には平壌を占拠しますが、チェ・ヨンなどがこれをほぼ全滅させます。
1361年には、開京を翌年まで占領し、王は福州へと避難します。
これもまたチェ・ヨンを総指揮官とする高麗軍によって、奪還されます。

ちなみにドラマの中で、チェ・ヨンは1351年のドラマオープニング時に
29歳という設定だそうですが、史実では35歳です。

それから、ドラマ内ではさらりとチェ・ヨンを将来殺すことになる、
と言われたイ・ソンゲですが、この人は日本で言えば、徳川家康みたいな人で、
韓国最後の600年も続く李氏朝鮮王朝の開祖となる人
(この600年というのも徳川家康っぽいですね)です。
歴史上では最後の最後で、チェ・ヨンとたもとを分かつことになりますが、
それまでは高麗王朝のためにともに戦った仲間であり、最後にチェ・ヨンを
殺すときも、決して本意ではない、と涙を流したという話もあるそうです。

さてキ・チョルの死亡年齢もウンスの影響によって変わって行きました。
徳興君の登場時期も早いです。

シンイワールドでは、高麗の歴史もちょっとずつずれたり
違ったりしているのではないかな、と想像しています。

そんな想像も含めて、これから「颶風」少しずつアップしていきたいと思いますので、
読んでいただければ幸いです。


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by kkkaaat | 2013-11-29 01:18 | シンイ雑記 | Comments(22)

【シンイ二次】颶風 6



翌朝、チェ・ヨンは長和殿への回廊を、急ぎ足で進んでいた。
皇宮より近づいてくる早馬の蹄の音が、眠るチェ・ヨンの目を覚ましたのだ。

「イ・ソンゲから書簡が届いた」

王の横に立って話していた枢密院副使、柳仁雨(ユ・インウ)は、
チェ・ヨンの姿を見るなり、厳しい表情でそう告げた。
奇轍(キ・チョル)の支配下をも切り抜けて王朝に使え続けてきた
その老武官の顔が緩むところなど、チェ・ヨンは一度も見たことがなかったが、
その男の声に、隠しようのない興奮がにじんでいた。

早春の平壌での王とチェ・ヨンが見せたまやかしの一件から、
父親の千戸長である李子春(イ・ヤチュン)の代筆で、
何度かまだ二十の歳を越えたばかりの若きイ・ソンゲと
密書のやりとりが進んでいた。

王の顔を恐れの入り混じった興奮が覆い、目が強く光っている。
チェ・ヨンは入り口で一度頭を下げ、進み出ようとするが、
書簡を手に握り締め、つかつかと王自らチェ・ヨンに歩み寄り、それを渡された。

「読んでみよ」

ひどく長々しい漢詩のようなその文の中に隠された、イ・ソンゲからの本当の
知らせを探して目が泳ぐ。まず飛びこんできたのは、その中に組みこまれた、

李親子はそろって高麗王との取り引きに応じることを決めた、

という一文だった。そこにさらに幾人かの双城総管府の役人の名が連なる。
双城総管府総監、趙小生の叔父、趙轍の名を見つけて、並みのことでは
動じることのないチェ・ヨンの目が、それとわかるほど見開かれた。

もともと高麗国の領である広大な土地を、元の出先として滑べる双城総管府に
仕える官達は、高麗人や、女真族なども多く、イ・ヤチュンもその一人だ。
元王朝への忠誠心など名分だけで、実権を求める者がほとんどで、今や
沈みゆく元から寝返りたくて、焦れたようになっている者も少なくない。
それに追い討ちをかけるように、高麗の王に、神意がくだるのをその目で
見たのだ。

それでも、双城総管府が設置されてより長くその長を務めた趙家の者までが、
高麗への内通を望むとは、思っていたよりもずっと、内情は乱れているのかも
しれないと、チェ・ヨンはそのことを頭に入れた。

入城の手引きをするのと引き換えに、イ・ヤチュンが求めているのは東北兵馬使の役。
チェ・ヨンは気づかれぬほどに、鼻で笑う。
高麗の東側一帯を指揮下に置き、実質双城総管府総監に成り代わることになる。
高く出たな、とチェ・ヨンは内心でつぶやく。

しかし、王とともに引き換えとしてはかっていたものの範疇であった。
李親子の裏切りによって戻ってくる高麗の故地の広大さを思えば、
あながち過大な要求とも言えまい。
この五年、王とともに、そのために戦ってきた。
高麗を、高麗として自立させることこそ、自分が元から伴った王が、
目指すものだ。

イ・ソンゲからの書簡には、その手はずを整えたく、
こちらから密使を送るとの知らせも書き記してある。
あの、俺の鬼剣を持ってみたいと子どものように言った若者が、
一人前に謀反の申し出を送ってくるとは、とチェ・ヨンは薄く笑った。

「この書状は」

チェ・ヨンがいったん目を上げる。
重くのしかかる恐れめいた石が、腹の中に落ちて居座った。
であるのに、血が沸き立つように騒ぐ戦さ前の火が、同時に胸に灯る。
これは、双城総管府に攻め入り、陥落させるまで、取り除かれることがないだろう。

「そうだ、待っていた返事だ」

王が深くうなずく。
ユ・インウが、はああ、と強く息を吐く。
腹の中で燃え立つ熱さを口から煙のように吹き出しそうな勢いだ。
チェ・ヨンは見定めるように、じろりとこの老将を見た。

「それではユ・インウ殿が指揮を」

ここにいるということは、そういうことであろうと当たりをつける。
ユ・インウは狡猾そうな口角をにやりと上げて、逆にチェ・ヨンを品定めするように
じろじろと見た。
しかし抜け目のなさそうな口元とは裏腹に、目の奥の光には何とも言えぬ情味がある。

「まだ任じてはおらぬが、ユ・インウを東北兵馬使にするつもりだ」

王はチェ・ヨンにそう言った。
東北兵馬使として双城総管府を攻略し、その任を寝返ったイ・ヤチュンに手渡して、
生きて戻ればさらに高位を任ずる。そういうことだろう。

「妥当でしょう」

チェ・ヨンがそう言うと、なぜ若造にそんなことを言う権利が、というように、
ユ・インウからむっとした空気が流れたが、それでも王とチェ・ヨンとの信頼を知る
ユ・インウは黙ってそれを見守った。

老いてなお、時流を見る力は衰えずか、とチェ・ヨンは胸に思いとどめる。

「もう一枚を…見よ」

そう言った王の声音が少しばかりに気になった。
何かに強ばっているが、それが恐れなのか、高ぶりなのか、判別がつかない。
今読んでいた一枚目の下からするりともう一枚を引き出して、読み始める。
目が目当ての内容を探して、紙の上をさまよう。
チェ・ヨンの視線が、書簡のある部分を焦がすほどの勢いで、見入る。

いったい。悪い夢でも見ているのだろうか。

ユ・インウがふん、と鼻を鳴らす。
チェ・ヨンの目尻が上がる。憎々しげ、と言ってもいいほどの目つきだ。
それこそ、見たことのないチェ・ヨンの表情に、ユ・インウの目が細まる。

「徳興君が、和州にいると」

書簡を握りつぶしそうになって、チェ・ヨンは我に返り、すいと
また平生の顔に戻って、もう一度そこに書かれていることを丁寧に検めた。
ちっ、と盛大に舌打ちをする。

「戻ろうというのですか、高麗に。あの野面皮」

仮にも王の叔父上ですぞ、例え罪人でも、とユ・インウが心のこもらぬ声で
そう言った。

「叔父上は、赦免を求めておる」

チェ・ヨンは、爪が喰いこむほど強く、拳を握った。



紅巾についてご質問いただいたので、「颶風」を読んでいただく上で、
必要そうな史実についてまとめたものを、今晩か明日までにアップ
いたします~。


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by kkkaaat | 2013-11-28 13:35 | 颶風【シンイ二次】 | Comments(14)

【シンイ二次】颶風 5

颶風5

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by kkkaaat | 2013-11-26 22:51 | 颶風【シンイ二次】 | Comments(42)

【シンイ二次】颶風 4

「それで、どのような子細でこうなったのか、とにかく一から話せ」

チェ・ヨンは屋敷の部屋に寝床を延べて横にならせたシウルの横で、
膝を立てて座り、詰め寄るように顔を覗きこんだ。
秋の短くなった昼間は瞬く間にすぎて、もう外は日暮れかけていている。
話を聞こうとするチェ・ヨンをウンスが押しとどめて、押しとどめて、
ようやく話してもよい、となったばかりだった。
ウンスは迫るようなチェ・ヨンの物言いに、軽く胸を押して下がらせる。

「ねえ、シウルは心臓が止まりかけたのよ? わかってるの!?
元々のものではなさそうだから、大丈夫だとは思うけど…。
まだ絶対に無理させないでね」

ウンスと知り合った頃に短かった髪は、肩ほどに伸びて幾分大人びたが、
細面はそのまま、身体も小柄なままなので、少年のようでウンスはつい
シウルをかばってしまう。
そんなことはわかっております、とチェ・ヨンが急いたように言うと
少しぐったりした様子のまま、シウルが口を開いた。

「今聞かなきゃ、俺をこんなめに合わせたやつが、逃げちまうって言いたいんだろ」

ジホがそう言うと、チェ・ヨンは、わかってるじゃないか、とうなずいた。
シウルとマンボ姐はチェ・ヨンの真向かいに、ジホを挟んで座っている。
シウルとは反対に、ジホはずいぶんと背が伸びて、チェ・ヨンと並んでもさほど
引けをとらぬほどだ。
その図体ばかり大きくなった身体を、乗り出して心配げにシウルを見ている。

「俺とジホで、成均館の近くをうろついてたんだ」

チェ・ヨンが近くとはどのあたりだ、と問いただすと、まだ苦しそうな
シウルからジホが話を引き取った。

「南大門から子男山の麓の街道を抜けると、成均館の南側の通りに出るだろう。
あの辺りだよ。あそこの辺りは、儒生がうろうろしているからな」

マンボ姐が、儒生さんの中には口が軽いやつもいてね、面白い話がたんと聞ける、
とウンスに耳打ちした。

「あいつら、いいとこの貴族のご子息ばっかりだからな、
俺とシウルはよく通りをぶらついたり、茶を飲んだりするんだ。
まあ酒房が一番当たりを引ける」

だから今日も昼間から、酒と肴を出す店に入って、腹ごしらえをしていたんだ、
酒が入ると、高官の親たちが握ってる秘密をぺらぺら吹聴するやつがたまにいるんだ、
とジホは小馬鹿にしたような口調でそう言った。

「その酒房に、そいつらがいたんだ」

シウルが、寝床でそう言った。
そいつら、とチェ・ヨンがつぶやく。

「もちろん儒生じゃないさ。刀をさして胡服を来ていた。刀に赤い布を巻いて」

チェ・ヨンが顔をしかめる。

「そう紅巾さ」

マンボ姐が吐き捨てるように言った。

「紅巾…紅巾の乱、えーと1357年。白蓮教による農民の反乱、だっけ?」

ウンスが思い出すように言うと、皆がいっせいにウンスに視線を向ける。
ああ、何でもないの、とウンスは顔の前で手を振った。
チェ・ヨンの眉間に皺がよる。
しばらくなりを潜めていたはずなんだが、と低い声で言う。

「ここんとこ急にだよ、ちらほらと見かけてさ。
特に悪さもしないで、貿易商人に混じって人足としてやってくるから、
こっちも見てるだけだったんだ」

なのに、とジホが悔しそうに言って、床を拳でどんと殴った。
マンボ姐がたしなめるように、ジホの背中に触れた。

「今日に限って、シウルに絡んできやがって。
喧嘩の発端なんて、もうよく覚えてねえよ。
あいつらの卓にシウルがぶつかったとかそんなことだ」

言いがかりだ、とジホは大声で言って、シウルに寝床の中から、
ジホ、うるさい、とつぶやかれて、ごめん、と肩を落とす。

「絡まれて面倒くさかったから、シウルは屋根に上がったんだ。
それで屋根の上から、そいつをからかったんだよ」

お前らみたいな鈍臭いやつらに俺が殴れるか、って、とシウルは自分で言った。
そうしたら奴らの一人が飛ぶように上がってきて、しまったと思ったときには、
とシウルは言葉を切って、両手を上に向かってそろえて突き出して、
こうやって突き飛ばされた、とやって見せた。
ジホが無念そうに、ぎゅうと拳を握る。

「それで、そいつらはその後、どうした」

チェ・ヨンが尋ねると、ジホが少しうろたえたように答える。

「それが、シウルが気を失って、俺、慌てちまって…」

チェ・ヨンは一つため息をついたが、ジホを責めるようなことは言わなかった。
とにかく、とチェ・ヨンは二人に向かっていう。

「金吾衛に知らせて、少し調べさせることにする。手裏房でも探りを入れてもらいたい」

そりゃあ、仲間をこんな目に合わされて、黙っちゃいないよ、とマンボ姐が言った。
ジホはうなずきもせずに、きつい眼差しでシウルを見ている。
話の切り上げどきだと見計らったウンスが、話に入る。

「今日はシウルはここに泊まっていらっしゃい。一晩は様子を見たいし。
シウルの横に、ジホの床を延べさせるわ。悪いけどジホ、夜の間、シウルの様子に
注意を払ってほしいの。わたしも何度かは見に来るから」

ジホがこくりとうなずく。

マンボ姐さんは、わたしの部屋に床を並べればいいわ、とにかく皆さんお腹がすいたでしょ、
夕飯を作ってもらってるから、もう少し待ってね、シウルは重湯だけよ、
とこの屋敷の女主人らしく、ウンスがてきぱきと話を進める。

「手裏房の皆さんには、いつかお礼をしたかったの。特にマンボ姐さんには」

昼間のうちに言いつけて、少しばかりご馳走を用意した。
ウンスが元にまで知れ渡った医仙ではなく、外つ国から大護軍がかどわかしてきた女人で、
だから風変わりなのだ、で通っているのは、手裏房の力が大きかった。

出征の地で激しい恋に落ちたのだとか、いや無理やりさらったのだとか、
ウンスが親兄弟のために命乞いをしてついてきたのだとか、
今でも多くの噂がウンスにつきまとってはいるが、
それに覆われて医仙という言葉は聞かれない。
噂話を集めるのが手裏房なら、噂話を広めるのも手裏房だ。

大護軍の奥方で、偉い医員の先生に、直接噂を問いただすものはごく少なく、
ウンスはさあどうかしら、と微笑んでみせたことが数度あるだけだった。

とにかくお腹いっぱい食べていってね、とウンスはマンボ姐の手をぎゅっと握る。
マンボ姐は、そんなこと気にしないでいいのに、と照れたように言った。
ふと顔をあげると、チェ・ヨンが何か言いたそうな顔で、ウンスを見ている。

「なあに? わたし何か忘れてるかしら。ほかに差配したほうがいいことある?」

ウンスが指を折りながら考えこむと、チェ・ヨンは少し慌てたように、いや何も、と目をそらす。
心なしか表情に陰りがある。シウルのことが心配なのね、とウンスは心が痛んだ。
それから、皇宮に使いを出す、と言ってチェ・ヨンは場を離れた。
気づいたことがあったら言ってね、とウンスが背中を追いかけるように言うと、
床のシウルがすまなそうに言った。

「ユ先生、ヨンのやつ、ひと月半ぶりに戻ったばかりなんだろ? ごめんな」

なぜ謝るの、とウンスは首を傾げたが、ひと呼吸置いて、シウルの言葉の意味を飲みこんだ。
さっきのヨンの顔の意味がわかって、みるみるうちに、ウンスの顔が紅潮する。

動きを止めてしまったウンスの背中を、マンボ姐がぽんぽん、と慰めるように叩いた。



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by kkkaaat | 2013-11-25 14:15 | 颶風【シンイ二次】 | Comments(26)

【シンイ二次】颶風 3



「厨屋で腹ごしらえでもしていてください」

チェ・ヨンはそう言うと、厨屋の裏手の水桶のところに行ってしまった。
本当に、湯などいらないと言い張るのだ。
厨屋では屋敷に一人きりの男の雇い人ヨンシクの母親が、食事の支度をしている。
陽気でよく笑い、明るい気立てだが、口数が少ない。
息子のヨンシクも同じような気立ての男で、こちらはさらに口数が少ない。
チェ・ヨンがこの母子を雇い入れた理由が、ウンスにはわかるような気がした。

うるさいのはわたしだけで、十分というわけね、とも思って肩をすくめる。
椅子に腰掛けていると、すぐに茶と小ぶりの餅菓子が並べられる。
診療の合間にここに立ち寄るときには、何かちょっと甘いものを口に入れたいときなのだ、
とすっかりウンスの癖をのみこんでいる。
今日は少しばかり違うけれど。

「ありがとう」

そう言うと、にこりと笑って、手を動かし続ける。
たぶん、普通なら旦那様がお戻りになって嬉しいですねえ、などと
こちらが気恥ずかしくなるようなことを言われるのだろうが、
ありがたいことに、黙ったままだ。

それでも身支度をする夫を待っている様子を見られるのは落ち着かなくて、
ウンスは厨屋を出る。
さっきから、顔の赤みが引かないのは、久しぶりに戻ってきたチェ・ヨンの
気配が身近にあるのだからしようがないのよ、そんなふうに自分に言い聞かせる。
屋敷の裏手から水をかぶる音がして、チェ・ヨンがぞんざいに身体を洗っている姿が目に浮かんだ。
寝屋で待とうか、あまりにもあからさまだろうか、と迷っていると、
急に表が騒がしくなった。

「ユ先生! ユ先生いるか!!」

うろたえてひっくり返った甲高い声が、ウンスを呼んでいる。
門口を荒々しく蹴るような大きな音がして、また別の声がウンスを呼ぶ。

「ヨン、ヨンいるかい! 先生を呼んどくれ。シウルが、シウルを助けとくれ!」

手房裏のマンボ姐の声だ。チェ・ヨンがまだ帰らない一週間前に
クッパを食べに行ったばかりなのだから、聞き間違えようがない。
ならばあの裏返ったような声はジホだろうか。
ウンスは急いで駆け戻って厨屋を通り過ぎると、屋敷の門口に向かった。

屋敷の入り口の前に、シウルを背負ったジホが、うろうろとどうしていいかわからぬ
様子で立っている。マンボ姐がウンスに駆け寄って、手をつかんだ。

「先生、あの、シウルがね、ああ、ちょっと見てやっておくれ!」

こっちへ、とウンスは門口のあがりにジホを寝かせる。
急いで胸の紐を緩めて、背中に当たる矢筒を脇に置いた。
ジホが肩がぶつかる勢いで、ウンスの横に手をついて、シウルを覗きこむ。
その手が、置いた矢筒にぶつかって、数本の矢がばらりと転がった。

「心の臓が動いてねえみたいなんだよ」

邪魔な矢を慌ててかき集めながら、ジホがウンスにそう告げる。
泣きそうで声が震えていた。
ウンスは脈と息を確かめる。
微かに息はあるが、確かに脈がない、いやある。が、乱れている。
ウンスはジホに早口で尋ねた。

「どうしてこうなったか、思い出せる?」

ええと、シウルと市をぶらついていて、とジホがぶるぶると震えながら話しはじめるので、
ウンスはジホの手を握って、質問を変えた。

「ジホ、息を吸って、それから吐いて」

ジホが必死に息を吸って、吐く。
ウンスもそれに合わせて深呼吸をして、自分を落ち着かせる。

「急にこうなったの? それとも、身体を強く打つとか、何かを食べたとか、
思い当たる理由があるかしら」

そう質問を変えると、ジホは先ほどよりはましになった口調で、答える。

「喧嘩で、揉み合って、屋根から落ちた」

わかったわ、そのときどこを打ったか見てたかしら、と尋ねると、ジホが何度もうなずく。

「頭は打たなかった。ちゃんと手で抱えてたから。ただ突き飛ばされた勢いが
すごくて、背中から落ちて、胸と腰をひどく打ち付けたと思う」

それが聞きたかったの、ありがとう、とジホの手を叩くと、
急いで衣の胸を開いて、耳を当てる。
心の臓が、と声を上げかけるジホをマンボ姐が、しいっ、とたしなめる。
ジホはウンスのやっていることに気づいて、ぐっと言葉も泣き声も押し殺した。

「何事ですか」

最低限の動きで視線をあげると、濡れ髪濡れた身体に
着物を急ぎまとったチェ・ヨンが立っていた。
意識のないシウルを見て息を飲み、眉をしかめて膝をつく。
ウンスは刹那で視線をシウルに戻した。

「胸部強打による心室細動」

身に染み付いた習慣で、症名が出る。エコーも、聴診器さえここにはないが、多分そうだ。
ウンスの目が、またチェ・ヨンへと上がる。
その目が細まり、何かを思いついたように見開かれる。

「いいところに来たわ」

立ち上がると、ウンスはチェ・ヨンの腕をつかんで、シウルの胸の横に座らせた。
チェ・ヨンは一瞬問うようにウンスの顔を見たが、何も聞かずに素早く腰をおろした。

「手が濡れてる。なんて好都合かしら」

シウルの右肩と左の腹にチェ・ヨンの手を置かせる。
雷功を今すぐ使える、と尋ねると、何も言わずにチェ・ヨンは目を閉じて集中しはじめた。
わたしが一、二、三、と言ったら、右手から雷功を流してほしいの。
左手に向かって流せるかしら、そういうことってできるの? と尋ねると、
チェ・ヨンの目がわずかに何か考えこむ。
わからないが、やってみましょう、と言う。
相手が痺れるくらいの強さよ、と言うと、チェ・ヨンはいいから数えて、と言った。

気づくとヨンシクと母親、屋敷のほかの雇い人たちも周りにいる。
離れて、と言って自分も少し後ろに下がる。
マンボ姐とジホが不安そうに、数歩後ずさりした。

「ハナ、トゥ、セッ」

ウンスが言うのと同時に、チェ・ヨンの手が光り、シウルの小柄な身体に小さな稲妻が走る。
シウルの身体が弓なりにこわばり、チェ・ヨンがはじかれたように、後ろに転んだ。
微かな焦げくさい匂いが、ふいとウンスの鼻をつく。

ウンスは素早く駆け寄ると、シウルの身体の様子をうかがった。
シウルの口から、大きな呼吸が吐き出される。それから、身体をよじるようにして、
うめき声を上げた。
マンボ姐がはああ、と止めていた息を吐いて、ぺたりと座りこんだ。

ジホが、シウルよお、と半べそで言いながら、シウルの傍らに膝をついて顔を覗きこむ。
シウルは、目をぎゅうっとつむって、胸を抱えこむようにしていたが、
ウンスが止める間もなくジホが身体を揺さぶると、やめろよお、と弱々しく
言いながら、目を開ける。
と同時に、うう、と低く呻きながら、チェ・ヨンが身体を起こした。

「いまのは、いったい」

チェ・ヨンが目を何度も瞬かせながら、ウンスに尋ねた。
ウンスは、シウルの瞳孔反応を確かめたり、身体の様子を診察しながら、
口の端を得意げにあげる。

「ユ・ウンス考案、高麗式AEDってとこかしら」

訳のわからない言葉に、チェ・ヨンは苦笑いを浮かべ、自分の手足を確かめている。
こっちがすんだら、そっちも診察するからね、
とウンスはすっかり医者の声で言った。



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by kkkaaat | 2013-11-24 06:52 | 颶風【シンイ二次】 | Comments(25)

【シンイ二次】颶風 2



屋敷まで数十歩、急ぐほどの距離ではないのだが、チェ・ヨンの足は速く、
ウンスもそれを追いかけるように早足になる。
裏庭の見えるウンスの部屋は外に向かって両開きになる戸窓で開け放てる。
その戸窓をつかむと、チェ・ヨンは一枚だけを手前に引いて開けると、
履物を蹴散らすように脱いで中に上がった。
ウンスが履物を脱ぐやいなや手を引いて、部屋の中の戸横の陰に引き込むと、
夢中でウンスの顔を両手で包み、ぶつけるように口を合わせると、ただ無言で
何度も角度を変えた。
ウンスを飲みこもうとでもするように、舌が口の中を強くこすりあげる。

「お会いしたかった」

性急だった口づけが、ようやく少し落ち着きを取り戻す頃、頬をつかむようにしていた手を、
ウンスの身体に下ろして抱きしめながら、チェ・ヨンはそう言った。
口づけで紅潮していたウンスの顔が、さらに首元までかすかに赤らむ。
屋敷を空けた後に戻ると、チェ・ヨンは必ず第一声そうウンスに言うのだ。
気の利いた言葉でもなんでもないが、率直に告げられる気持ちに、
ウンスはいつも頭に血を上らせてしまう。

ウンスが何か答える前に、また口はふさがれて、戸にもたれたままずるずると、
二人して座りこむ。
しばらくすると時折口が離れて、見つめ合う時間が増えてくる。
唇が遊ぶように、触れたり離れたりを繰り返しながら、
チェ・ヨンはウンスに尋ねるのだ。

「このひと月半、都に何かかわりはありませんでしたか」

開京のことなど、手裏房やら于達赤から逐一報告を受けていて、知らぬことなど
ひとつもないはずなのに、数日でも屋敷を空ければいつも律儀にそう尋ねる。

「診療所に、少しずつ人がきてるの。やっぱり今でも病気の人はあまり来ないけど、
怪我人はずいぶん運びこまれるようになったわ。お屋敷のユ先生のところに行くと
身体を縫い針で縫われるが、その代わり血が止まって傷口も腐らないって評判よ」

高麗の人々は薬を信用しないので、ひどく嫌ってなかなか飲もうとはしない。
ウンスの診療所にも、最初は木戸の外から中を覗くひとばかりが多くて、
患者などひと月ほども一人も来なかった。
仕方がない、女の医員というだけでひどく珍しいし、何よりは大護軍のお屋敷だ。

ただウンスが、石鹸やら歯磨き粉やら自家製のクリームやらを、屋敷の使用人にまず配り、
それの評判が広まると、女たちがちらほらと覗きに来るようになり、
そうした女たちの子どもや夫の怪我を診てやるうちに、
ごくわずかずつだが患者が増えてきたところだった。

「それはよかった」

チェ・ヨンは心からほっとしたようにそう言った。
婚儀を上げた皐月の末に診療所を開き、竹春のころまでのウンスの退屈ぶりといったら
なかったのだ。
夏の暑さもあいまって、戸窓を開ききって、部屋の縁に座って脚をぶらぶらとさせて。
皇宮から屋敷に戻って、チマをまくりあげ、膝下を白くあらわにして庭に向けて
放り出したままぼんやりと寝転がっているウンスを見たときは、
チェ・ヨンは思わず駆け寄って、乱暴にチマを引き下ろした。
ウンスは、いいじゃない、自分の家なんだから、と不満顔だったが。

「あなたが出立の前に、元医仙の診療所、と看板を書こうか、と言い出したときは
どうしようかと困り果てました」

冗談に決まっているでしょ、とウンスが口を尖らせる。
チェ・ヨンは嬉しそうにそれを指でつまもうとして、ウンスに嫌がられて、笑う。

これまでも数日、十日程屋敷を開けねばならぬことはあったが、このたびは
重陽の佳節(九月九日)の翌日から、ひと月半もの間、慶州に行かねばならなかった。
することがないウンスが何をしでかすか、チェ・ヨンは口には出さなかったが、
気が気ではなかったのだ。

そんな風なとりとめのない話を聞きながら、チェ・ヨンはウンスの髪を触ったり、
唇を指でこすったり、指に触れたりと忙しい。
それでいて目はじい、とウンスにすえたままだ。
聞いてるの? とウンスが聞くと必ず、聞いております、と答えるので、
ウンスはもう大分前に尋ねるのも止めてしまった。

ウンスの声が言葉よりも、意味のない息遣いばかりが多くなるころ、
ねえ、とウンスがしゃべるのをやめる。

「どうする、寝屋に行きたい?」

そう言いながら、顔を前に出してチェ・ヨンの下唇を少しだけ、噛む。
すると、チェ・ヨンの目をすぐに熱が覆い、また手を両頬に添えて、
何度かウンスの唇を深く吸った。
だというのに口を離すと、真面目に考えこんで黙ってしまう。

「どうしたの?」

思っていたのとは違った反応に顔を覗きこむと、目があった。

「実は、寝屋に行くには、少しばかり障りが」

と言うチェ・ヨンの声は妙に深刻そうだ。
急に心配になって、ウンスはチェ・ヨンの額に手を当てる。
熱はない、顔色もよい。

「慶州から開京まで八日ほど、風呂にも入れず、水浴びもできておりません」

何を言い出すのかと思っていれば、チェ・ヨンはそんなことを言い出した。
雨にも降られましたし、かと思うと秋も深いというのに日射しが強く汗ばむ日も、と続ける。
ウンスの目が細められ、何が言いたいのと、微かに苛つきがよぎったのを見て、
チェ・ヨンは、結論を言う。

「何が言いたいのかと言うと、俺はちとばかり」

ウンスから視線が外れ、がっかりしたような表情がチェ・ヨンの顔に浮かぶ。

「きたない」

ぷっ、とウンスが噴き出す。
それなら、ヨンシクに湯浴みの支度をしてもらいましょう、とウンスは立ち上がる。
準備ができるまで、何か食べて待っていればいいわ、
と厨屋に行こうとするのを座ったまま、手をつかんで引き止めて。

「湯など沸かさずとも、水でかまいませぬ」

と言い放つ。そのせっかちな言葉に、ウンスは思わず笑った。
それから、チェ・ヨンの腕を引っ張り上げて立たせると、くん、と鼻を鳴らした。
そして、からかうように言う。

「なんなら、ご一緒しましょうか」

チェ・ヨンは目を見開いて、一瞬言葉を失った後、噴き出した。

「まったく、あなたという人は」

そう言ってひとしきり笑った後、笑みを収めてウンスに顔を寄せ、真面目な顔で
わざとらしく思い悩んだ口調で言う。

「本気でおっしゃったのですか、それとも戯れ言か。
看板の件があるので俺には判断がつきませぬ」

今度はウンスが噴き出して、チェ・ヨンの胸を拳でとん、と叩いた。



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by kkkaaat | 2013-11-22 22:19 | 颶風【シンイ二次】 | Comments(24)

【シンイ二次】颶風 1

ここは王のいまします都、開京。
北に玄武の首龍山を従え、南に朱雀の松獄山と正対する王城の城下にて、
日々人々の暮らす同じ光景が繰り返される。

しかしこの今日という日は、少しだけ違ったことが起こっているようだった。

「あれ、あんた今日は膝の湿布薬をもらいに行く日じゃないのかい?」

妻が夫に声をかけると、夫はゆっくりと首をふる。

「先生んとこは、今日はお休みだろうて」

はて、七日に一度のお休みは、今日ではないはずだが、と妻が首をかしげると。

「ほら、今日は大護軍のご帰還の日だろうが」

ああ、と妻は膝を打つ。
それじゃあ今日はお休みだあね、と言うと、夫もうんうんとうなずいた。
そしてここでも同じような光景が。

「あれ、みんなどうしたんだね、ぞろぞろと」

城下の南、文臣たちの住まう屋敷の一角にある小さな診療所。
その木戸から、老人、女、子ども、怪我をした男、両手より少ないくらいの人数が
いっせいに出てきた。
これからその木戸をくぐろうとしていた女が、見知った顔を見つけて
そう尋ねる。

「今日はもうおしまいだよ」

男の子どもが聞かれもせぬのに、かけて来て言う。
手首にくるくると白い布を巻いているが、治りかけなのか痛がる様子もない。
なんで、と女が尋ねると、初老の男が腕組みしながらにやついた。

「テホグン殿がけえってきやがったからな」

ああ、そうだった、と女は合点する。

「腕をつかんで先生を屋敷の方へ引っ張っていっちまったよ。
ありゃあ朝まで出てくるまいて」

あらあ、と女が口に手を当てる。
今度はどんくらい行ってなさった、と誰がか言うと、
たしかひと月半にならあな、と答える声がする。
ああ、そりゃあ辛いねえ、と誰かがしみじみと言った。

「ユ先生も、たいへんだ」

年嵩の女がそう言うと、あれが相手じゃあなあ、と男がつぶやいて、
皆いっせいに屋敷の方を遠い目で見た。


時は半刻ほどさかのぼって。

「おっ」

診療小屋の入口の近くに並んでいた男が驚いたように声を上げる。
横に座っていた子連れの女が、男が見たのと同じ方を見て、慌てて子どもの頭を
押さえて、頭を下げさせる。
並んでいる人々は、次々に倒れる子どもの板遊びのように、気づいては頭を下げ、
と皆がその人物に向かって丁寧にお辞儀をした。

小屋の中からは、早口で言い聞かせるような説明が、聞こえてくる。

「見せて、うん、よくなってるわ。ほら、ちゃんと傷口が閉じてる。
あとは化膿させなきゃ大丈夫。ええと、三日後にもう一度来てね。糸を抜くから」

軟膏は足りてる? ちゃんと使ってよ、高麗の人たちは本当に薬嫌いで困るわ、
トギが作る薬はそりゃあよく効くのよ、という言葉が続いて聞こえてきた。
皆にお辞儀を受けた人物は、軽く頭を下げると、列の前を通り抜け、
小屋の入口を覗きこむ。

「ユ先生、ありがとうございました」

後で娘がお礼を持ってうかがいます、と男が言うと、ウンスはああいいの、いいの、
と手を顔の前で振りながらも、ちょっと身を前に乗り出して、
もしかして前に頼んでたやつかしら、と小さい声で男に言う。

「はあ、あの、先生がこしらえてほしいとおっしゃってた、こう肩にかけるずた袋のような…」

ずた袋ってちょっと人聞きが悪いわねえ、肩掛けバッグって言うのよ、とウンスが言うと、
男ははあ、と答えて頭を下げた。
急がないからね、娘さんによろしく伝えてね、とうきうきした声で言うと、
それじゃあ次の方、とウンスが顔を上げた。

顔を上げた先に、チェ・ヨンがいた。
小屋の小さな入口に頭をぶつけそうにして、少し屈んで、覗き込んでいる。
ウンスの顔がぱっと明るくなって、腰を浮かす。
そして、並んでいる患者に気がついて、微笑みながらも腰を下ろしたが、
我慢できずに跳ねるように立ち上がると、チェ・ヨンのもとに駆け寄った。

「おかえりなさい。今日戻るとは聞いてたけど、こんなに早く皇宮から引き上げられるなんて」

はしゃいだように言うウンスをじっと見るチェ・ヨンの口の端が、抑えられないように上がる。

「明日また早く出仕せねばなりません。今日は、チョナに特別にお許しをいただいて、
屋敷に戻していただきました」

そうだったの、じゃあ午後は休診にしましょう、屋敷にあがって休んでいてね、
今患者さんを診てしまうから、とウンスが早口にまくし立てると、
もう何人かは帰り支度をはじめている。

「あら、いいのよ。ねえ、大丈夫だから。遠慮しないで」

とウンスが引き止めるが、別に急ぎなわけではないから明日また来ます、と皆が頭を下げる。
子連れの女だけが、それは申し訳なさそうに、薬だけもらえればと言ったが、
チェ・ヨンは少しばかり顔の紅潮した女の子どもを、自分の脇の下を通して、
ウンスの方へとそっと押しやった。

診察をすませて薬を渡すと、気にして待っていた何人かと一緒に親子は木戸を出て
いくが、木戸が閉じる音もしないうちに、チェ・ヨンはウンスの腕をつかんで、
屋敷の方へと歩き出す。

「明日も午前中は、お休みかもしれんねえ」

ウンスにいつもの「石鹸」を貰おうと並んでいた若い女が、
やはり同じ目的で連れ立ってきていた女にそう言うと、
二人はくすくすと含み笑いながら、木戸を離れた。



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by kkkaaat | 2013-11-21 22:32 | 颶風【シンイ二次】 | Comments(21)

【シンイ二次】ウダルチ五番勝負 3



「わかるか」


チェ・ヨンに手短かに尋ねられて、チュンソクは、はい、ともっとも短い言葉を返した。
夕暮れの山中、山道は元軍に固められている。
友軍は麓だ。そこに于達赤もいる。
今ここにいるのは、隊長チェ・ヨンと副隊長チュンソクただ二人だけだった。

密使と会うために山を越えた場所へチュンソクのみを伴った。
密命とはいえ、さほど難しくもない任であり、警戒も薄かった。
けだし戻る途中で、焼き討ちの準備をする元軍に気づいたのは幸い中の幸いであろう。
この二人なら、どんな事態もどうとでもなる。

二人ならな、とチェ・ヨンはため息をつきながら、チュンソクの背中を見る。
ついでに腕の中も。
チュンソクは背中に体格のいい中年の女を背負っている。
それだけではない。その女は背に小さな子どもをくくりつけている。
さらにチュンソクは腕に、五つくらいだろうか、男の子どもを抱きかかえているのだ。

目立たぬように、林の中を降りていた。
見つからぬよう獣道を通って下山することも、于達赤の一番手、二番手である二人なら、
さほど難しくないことのはずだった。
ところが、山の中腹に樵の小屋を見つける。
二人は顔を見合わせた。静かに近寄って中を覗くと、女と子が二人。
なんてことだと、チェ・ヨンが顔を覆って、ため息をつく。

「このまま捨て置けば、焼き討ちの巻き添えになるは必須」

チュンソクがたまらずに、チェ・ヨンにささやいた。
チェ・ヨンは、わかっている、と眉をしかめる。

「連れて、降りるしかない」

二人は目を合わせて、うなずきあった。
はじめチュンソクとチェ・ヨンが姿を見せると、女はひどく怯えたが、
チュンソクが丁寧に説明すると、なんとか落ち着きを取り戻した。
いつもの麒麟の紋様も気高い于達赤の鎧も、今日は身分を隠すためにつけておらず、
二人はどこぞの雇われ私兵のような気安さがあったのもよかったのだろうか。
見るものが見れば、この私兵を雇うにどれほどの大枚が必要か、とわかっただろうが、
女から見ればなんとなく頼りがいのあるといった程度のものだった。

この女の夫は商いの話をしに、近くの村落まで行って三日は戻らないという。
女は高麗人で、元軍の話をすると震え上がり、仕方なしに山を降りることを承知した。

山を下り始めてすぐ、チュンソクはこれが相当な難題だと気づいた。
女と子どもの足では、道なき道を行くのはほとんど無理な話であった。
このままでは、いつまでたっても麓につかないどころか、
手間取っているうちに見つかって、すぐに火をかけられる恐れもある。

「テジャン、私が彼らを背負います」

チュンソクがそう言うと、チェ・ヨンは俺もどちらかを、と言った。

「テジャン、それはいけません。一人は身軽で戦えないと共倒れです。
私より腕の立つテジャンが、私たちをお守りください」

そう言うと、チュンソクはチェ・ヨンの言葉を待たずに、女を背負い、
子どもを抱きかかえた。
さすがに于達赤副隊長、それでも少しもよろめいたりはしなかった。

また獣道を下り始める。
明るい足元が確かなうちに、できるだけ下っておきたかった。
ほとんど小走りのようになりながら、ひたすら下る。
一刻下っては少し休み、半刻下っては隠れしながら、半ばほども下ったところで、
とうとう日が暮れた。

「少し、休むか」

冷えこんできた山中にあって、チュンソクの額にはたまのような汗が浮かんでいた。
いえ、大丈夫です。それよりも先を急ぎましょう、とチュンソクが言う。
チェ・ヨンはしばらくじっとチュンソクの顔を見ていたが、
うなずくと、進み始めた。

山の日暮れは早い。みるみるうちに暗闇が辺りを浸す。
暗いほうが、見つからなくて好都合です、とチュンソクは言うが、
足元が見えなくなるので、危険でもあった。
女も子どもも黙って、辛抱強く担がれている。

あたりが真っ暗になってしばらく経った頃だろうか、チェ・ヨンがいきなり山の上の方に
顔を向けた。


「走りますか」

わかるかと問われて、チュンソクは何かの気配がいつのまにか周りを
取り囲んでいることに気づいた。

「まずい」

チュンソクは元軍に見つかったかと辺りを見回す。
人間じゃない、とチェ・ヨンはささやく。

「走るぞ!」

チェ・ヨンが言うと同時に、チュンソクは斜面を滑るようにして駆けはじめた。
チュンソクの後ろで、剣が鞘走る音がした。
続いて、ひう、と剣が振り下ろされる音がして、チュンソクの横をどおっと
何かの塊が転がり落ちていった。
山犬だ、と腕の中の男の子どもが、息を呑むように言って、
チュンソクにしがみつく手を強くした。

豺(サイ:アカオオカミ)の群れが、女子ども連れに目をつけて、あとをつけてきたのだ。
群れになって、走るチェ・ヨンとチュンソクの周りを取り囲むようにして、追ってくる。
時折背中や腹に飛びかかって噛み倒そうとするのを、チェ・ヨンの剣が斬りはらう。

すばしこく、樹木の茂った中から襲ってくるので、剣で斬って打って引かせたり、
追い払うことはできるが、仕留めることは難しくて、
なかなか数を減らすことができない。

「開けたところを探して、一度片付けるか」

走りながらチェ・ヨンがチュンソクに言う。
チュンソクは顔も身体も汗びっしょりである。
この長い距離を人を背負って駆け下りているのだから当然だ。
チュンソクは少し前の足元を一心不乱に見ながら、チェ・ヨンに言った。

「いえ、そうしている間にも新しい山犬が集まってくるやもしれません。
私のことなら大丈夫です」

確かにそうだ、とチェ・ヨンはうなずく。
ただ、ここから麓までまだ数刻、闇の中を走り続けることになる。
果たしてチュンソクの足が持つのか。
走らなければ、山犬はたちまちのうちに群がって、チェ・ヨンやチュンソクは
ともかく、女子どもには何かしらの被害があるだろう。

「本当に大丈夫です。それ以外に方法はありませぬ。
テジャン、やらねばならぬのなら、やるまでです」

走りながらそう言うと、チュンソクは自分の身長ほどもある岩から飛び降りて、
また走る。

「これから、揺れますが、なんとかこらえてください」

そう背中の女と手の中の子どもに言うとチュンソクは、転がり落ちるように
走り続けた。


「それで、こいつどうしたかわかるか」

ウンスは、この話の危機的状況に入りこんで、うっすらと涙まで浮かべている。
他の于達赤も、拳を握り締めて没頭して聞いている。
トクマンなど、クッパを持つ匙を空中で止めて、口をぽかんと開けたままだ。
皆がふるふると首を振る。

「それから三刻、麓まで脚を止めずに、走り通した。
最後には喉がひゅうひゅうと風のように鳴って、汗が傍らを走る俺まで飛んできてな」

ふ、と笑ってチェ・ヨンはチュンソクをちらりと見た。
皆も、目を丸くしてチュンソクをいっせいに見た。
チュンソクは、背筋を伸ばして、なんでもないという顔を作ろうとしたが、
すでに顔が赤くなっている。

走ってる最中、何度も足に噛み付かれたから、下山してから見たら、
脛から下が血だらけだった、とチェ・ヨンが言うと、皆がいっせいにチュンソクの足元を見る。
チュンソクは居心地悪そうに、足を少し手前に引いた。

「あれでよく走れたものだ。今でも傷が残っているだろう」

見せてくださいよ、とトクマンが言うと、チュンソクは、いやそんな見せるようなものでは、
と顔の前で手を振る。
トクマンとトルベとテマンがいっせいにチュンソクの足に取りつく。

「あ、お前ら、や、やめろっ!」

何をする、と蹴りつけるチュンソクの抵抗をものともせず、トクマンが羽交い絞めにして、
テマンとトルベで三人がかりで脛をあらわにする。

「あっ、すげえええ!」

テマンが感嘆の声を上げる。他の于達赤も、どれ見せてみろと、どやどやと
集まって、チュンソクの足を見ると、明らかに刀傷とは違う、獣の噛み傷、
爪傷の跡が無数に走っている。
あちこちから、おお、本当だ、これはすごい、と声があがる。

「おいおい、お前らいい加減にしろ」

そう言いながら、チュンソクは心持ち嬉しそうでもある。
男たちの人垣に、傷を見られなくて、ウンスはぴょこぴょこと飛び跳ねて、
後ろからチュンソクの脛を見ようとしていたが、痺れを切らして
わたしにも見せて! と大声を出す。
前に押し出してもらって、傷を見ると、ウンスは息をのんだ。

「これは、まあ、ひどい傷ね。神経に障りがなかったのが幸いだわ。
よくもまあ狂犬病にならなかったもんよね。
それにしても、さすがプジャンだわ。ほんと、わたし感動したわ!」

そうウンスが力をこめてチュンソクに言うと、チュンソクはもう顔を真っ赤にして、
いやいやいやそんなそんな、としか言えなくなる。

「それにしても、こんなすごい話、なんでみんな知らなかったの?」

とウンスが言うと、だって、プジャンから、そんな話聞いたことありませんでしたもん、
とテマンが言う。このようなこと、したり顔で自ら吹聴するようなものではございません、
とチュンソクが言う。

「でも、この話は、チュンソク、あなたとテジャンしか知らないわけでしょ」

ウンスは、腰に手を当ててチェ・ヨンの方に向き直る。
チェ・ヨンは、皆がいっせいに自分の方を見るのを、ん? と見返す。

「何が仕方がない、よ! あなたが話さなかったら、こんなすごい武勇伝なのに、
誰にもわからないでしょう!」

そうか、話していなかったか、と少し笑いながらチェ・ヨンが言うと、
チュンソクは、テジャン…、と小さくつぶやいた。
まったく、と言いながらまた皆の方に向いて、ウンスが口を開いた。

「みんなの話、すっごく感心したわ。于達赤って本当に優秀な部隊なのね」

于達赤たちはウンスに褒められて、みな肘でつつきあったり、にやにやと笑ったりしている。
ウンスは、椅子に座り直して、その場の于達赤を見回して、ねえ、それで、
とまた話しはじめた。

「結局、だれが一番強いの?」

皆が顔を見合わせ、誰も彼もがいっせいにチェ・ヨンを指差す。
チェ・ヨンは当然といった風情で、何の反応も見せはしない。
ウンスが慌てて、首を振る。

「ああ、テジャンは別にしてよ。
テジャンをのぞいた隊員の中で、一番強いのはだれ、ってこと」

すると、皆がもう一度顔を見合わせて、今度もいっせいに指差した先は。

「おれ!?」

テマンは少し驚いた表情をして、自分の顔を指差した。
まあ、そうだよな、とチュソクが言うと、うんうん、とチュンソクがうなずく。
トルベはちっ、と舌打ちをしたが、否定はしなかった。
テマンは、俺なの、俺なのか、と周囲に聞きまくっている。

「うそお! テマンなの?」

ウンスが驚きの声をあげると、テマンが、医仙殿、嘘、はないでしょうが、
と抗議の声をあげた。

「ほんと?」

ウンスが振り返ってチェ・ヨンに向かっていうと、本当だ、と一言返される。

「剣術も槍術も弓術も、テマンはさほどの冴えはございませんが、
とにかく実戦となりますと、この者はずばぬけた力を見せますゆえ」

チュンソクがそう説明すると、トクマンが割りこむ。

「でもこいつ、于達赤じゃないし」

トクマンの言葉に、テマンが、あ、そうか、とつぶやく。
皆が、そうだそうだ、医仙殿は于達赤で誰が一番かと聞いたのだ、
それじゃあ誰だ誰だ、と騒然となる。

それから、その後は、たくさんの于達赤たちの武勇伝自慢が続いたのだが、
それはまた、別のお話。


(おしまい)




五番勝負と言いながら、三人の武勇伝のお話でした。
トクマン、トルベ、チュンソク、ヨン、テマンが五人ってことで。
ちなみに武勇伝の元ネタは、「マトリックス」「ロード・オブ・ザ・リング」「め組の大吾」でございました~。

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by kkkaaat | 2013-11-20 11:09 | 短編【シンイ二次】 | Comments(27)

【シンイ二次】ウダルチ五番勝負 2


「お前、剣術はどうにも、いまひとつだなあ」

副隊長チュンソクに剣を叩き落とされて、トルベは両手の拳をぐっと握って、
立ち尽くしていた。
こめかみには青筋が立って、はち切れそうだ。
まだ入隊して参月。
新米で下っ端で、使い走りの生活に、負けん気の強いトルベは毎日
歯ぎしりをするような思いだったが、それでも戦う腕では誰にも負けぬ。
そう思って鍛錬を重ねてきたのだが。

直情なトルベには、どうにも受けて流して斬るという剣術が肌に合わなかった。
子どもの頃からついた剣術の師範も、構えたかと思うと斬りかかるのではなくて、
剣であっても体当たりのように突こうとするトルベに手を焼いて、
挙句の果てには、この子には槍術の方に才能があると言い捨てて、
職を退いてしまった。

当時散員であった父親は、それを聞いてむしろ喜んだので、厳しく叱られると
思っていたトルベは驚いた。

「俺も剣術は好かぬ。あのような軽いもの、頼りなくてならん」

俺も槍が得意だ、と言う父に、トルベは深くぬかずいて、槍の稽古をつけてほしい、
と頼んだ。人に心から頭を下げたのは、それが初めてのことだった。

槍術なら誰にも負けぬ、そう言いたかったが、それを口にするのは負け惜しみだと
いうこともわかっていた。
いまここは、剣術の鍛錬の場なのだ。
大きく息を吸って、なんとかこみ上げる悔しさとも怒りとも言えぬものを、
腹の下までぐうと飲みこんで、トルベはチュンソクに頭を下げた。


それから数日、于達赤は、夜の尚書右丞の屋敷に潜んでいた。
尚書右丞の屋敷は黒屋根が目立つ大きな建家で、私兵も十数名雇うほどの威勢を誇っている。
しかし何しろ幼い王の拙い統治下、城下は荒れ模様で、文臣屋敷を狙う強盗が、
たびたび出没するというありさまだった。
今晩どうやら屋敷が狙われていると、金目当ての知らせがあって、
尚書右丞は都で最も腕が立つという于達赤をお貸しください、
と王に泣きついたというわけだった。

どうせ金目当ての偽の一報だろうと思ってはいたが、それでも王命とあらば、
と屋敷の警護にあたる。
隊長チェ・ヨンをはじめ、二十数名が屋敷に張りこんだが、夜半をすぎても何も
起こらず、少しばかり気が抜けてきたのを、チュンソクに戒められたばかりだった。

トルベは一人、槍を持っていた。
今日は実戦になるやもしれませぬ、私はまだ剣術は力及ばず、皆の足でまといに
ならぬためにも槍を持たせてください、とつまらぬ意地を捨てて隊長に頼むと、
チェ・ヨンはあっけないほどに軽く、それじゃあお前は槍を持っていけ、
と言ってどこかへ行ってしまった。
トルベは、自分の自慢の槍を握りなおすと、眠気を払うように、二度、三度と
頭を振った。

そのとき、壁に持たれて座り、目をつむっていたチェ・ヨンが、す、と立ち上がる。

「くるぞ」

何の気負いもない声で、皆に告げる。
特に気配もない中で、ひょお、と何かが飛んでくる音が空を切った。
チェ・ヨンが刀を振り下ろすと、きいんと響く音がして、チュソクの足元に矢尻が転がった。

突然味方ではない人影が、塀の上から降ってくる。
地面に降り立つ前に、一人チェ・ヨンに、もう一人がチュソクに斬り殺された。
乱戦だ、とトルベは息を飲む。
打ち入ってなだれこむか、そうでなければ裏手から何人かずつまとまって
侵入するだろうとばかり思っていたトルベは、鼓動がひどく早まって慌てかけたが、
他の于達赤の落ち着いた様子に、ふうと大きく息を吐いて速くなりそうな息を抑えこむ。

周りを見て、五歩下がって位置を取る。
敵の人数が思っていたよりも多い。それでも于達赤ならどうということはない数だ。
それよりも、塀の上にいて弓を引いてくるやつが厄介だ。
一人、于達赤が肩を射抜かれて膝をつく。

背中を守るように、皆が自然と近くの者の後ろに立つ。
トルベの後ろに立ったのは、いつも剣の鍛錬となると、わざと小手を峰で叩いて
悲鳴をあげさせようするチュソクだ。と言っても、トルベが思わずに悲鳴を上げた
のは最初の一回で、それ以降はどんなに強く叩かれようとも声を上げたことはない。

性格の好き嫌いと、腕の立つ立たないはまた別の話だ。
チュソクがまた一人、足を斬って動けなくする。

そのときだった、ひょおと風を切って、チュソクの頭に飛ぶ影があった。
トルベは、危ない、とも思わなかった。思う暇がなかったのだ。
ただその細く黒い線に向かって、考える間もなく手が伸びる。
気づいたときには手が矢を握っていた。
その手の中の矢を、振り返ったチュソクが、呆然と見ている。

「危ない!」

そう言ったのは、チュソクでもトルベでもなく、別の于達赤だった。
はっと振り返ったチュソクの目に映ったのは、自分に向けて刀を今にも振り下ろさんとする
盗人の姿だが、その顔の真ん中には、見たこともないほど見事にぶすりと矢が突き立っている。
弓で放たれたのではなくて、トルベの手に握られたまま。

トルベは自分でも驚いたように、矢から手を離す。
すると盗人は、どおと後ろに倒れた。

「これでは埒があかぬ」

ぽかんとするチュソクを尻目に、トルベは塀の上を見上げる。
暗がりの中に弓を引く姿が見える。
周りを見廻すと、ちょうどよい形のいい珠松がある。
両手を唾で濡らして槍を持ち直すと、トルベはその小ぶりの珠松を足場にして、
高く飛び上がる。
その飛び上がった一番てっぺんで、トルベの手から槍が放たれる。
さほど強く投げたようにも見えなかったそれが、ひょおんと唸りを上げて、
いっさんに前に飛ぶ。暗がりの中で焚かれた火に照らされて、
槍は夜闇に白いまっすぐの線を引いた。

どさり、塀の向こう側に何かが落ちた音がした。
その音と、高く跳んだトルベがチュソクの傍らに、音も立てずに降り立ったのが
ほぼ同時であった。

「すみませぬ、槍を取ってまいります。すぐに戻ります」

トルベはチュソクにそう言うと先ほどの槍のようにいっさんに、走っていった。



「その後、それを見ていたテジャンは、こうおっしゃった。
トルベ、お前もう剣術の鍛錬はするな。皆が剣術の鍛錬をしているときは、
お前は槍術をやれ、それから俺のところにいちいち槍を持って行っていいか
これからは聞きにくるな。いつでもそうしろ。命令だ」

チュソクが話し終わると、ウンスが夢中でぱちぱちと手を叩いた。
トルベは興味がなさそうに頬杖をついているが、あきらかに頬がぴくぴくと、
上にあがりそうになっている。

「すごい、すごいわ。トルベ、あなたがいつも槍を持っているのは、
そういうわけだったのね。動きがいいし、身体のバランスがよさそうだなって
思ってたけど、やっぱりわたしが思ったとおりだわ!」

トルベは、いえ、俺などまだ未熟で、と言おうとしたが、顔に浮かんでしまう
笑みを噛み殺すことができなくて、難しい顔をつくって、
ウンスから顔をそらして部屋の隅に腰掛けた。

「ねえ、他の人は? たとえば…、チュンソクはどう。プジャンでしょ?
やっぱりすごく強いのかしらね」

ウンスがそう言うと、皆が困ったように顔を見合わせた。
プジャンはもちろん腕は立ちますよ、とチュソクが力をこめていう。
どんなふうに? 何か逸話はあるの? とウンスが畳み掛けると、
困ったように口をつぐむ。
チュンソクは、いえ私には特にそう言った特別な話はございません、
と控えめに言うが気まずい空気が漂う。

「あるじゃないか」

後ろから声がして、ウンスが振り向くと、チェ・ヨンが身体を起こしている。
逸話ならあるだろうが、とチェ・ヨンは言う。
チェ・ヨンが誰か話せというように、周りを見回すが、于達赤たちは
知っているか、さあ、といった具合にこそこそするばかりだった。

「仕方がない」

はあ、とため息をつくと、チェ・ヨンは低い声で語りはじめた。



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by kkkaaat | 2013-11-19 13:47 | 短編【シンイ二次】 | Comments(13)

二次小説。いまのところシンイとか。
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