筆記



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【シンイ二次】北斗七星9


四人は頭を寄せ合って、赤子の上に四つの雁首を並べてじっと覗きこむ。
覗きこまれた赤子は、小さな口を開けてあくびを一つした。
話し声で目が覚めたのか、ほわと目を開ける。

「ど、どういうことだ?」

テマンが話を聞いてもわけがわからず、頭をぐしゃぐしゃと手でかき乱す。

「ユ先生が男ならともかく、ありえねえ」

それとも天界じゃあ天女が女に孕ますこともできるのか!?
とテマンが仰天したように言うと、不謹慎なことを言うでない、
とマンボ姐がテマンの頭をぴしゃりとはたく。
テマンは素直に口にした自分の考えを頭ごなしに叱られて、口を尖らす。

「赤子が親と似るのは、し、し、自然のことわりってもんだ」

テマンが久しぶりに、言葉を詰まらせつつ主張する。
もし王妃様がお産みになったこの赤子にユ先生とおんなじほくろがあんのなら、
それはこの赤子がユ先生と繋がりがあるってことだろ、そう言って、
したり顔で口の端を引き上げる。

「じゃあ何か、そんじゃあ、この子はユ先生の子ってかい?」

マンボ姐がテマンを馬鹿にするように鼻を鳴らす。
黙って赤子を見つめていたウンスがその目線は動かさないまま、
呆然とつぶやく。

「わたしの子じゃないわ。わたしが子の子なのよ…!」

テマンとマンボ姐が、あっけにとられたように目を合わす。
王妃様もそのようにおっしゃった、とチェ・ヨンは低い声で言い、
ようやく顔を上げて、ウンスを見る。





「産まれて一刻ほどであったか、この子の身体を典医があらためておった折に、
赤子にしては珍しくほくろがある、と言い出しての。
それを見たとき、すぐには思い出せなんだ」

王妃は細い腕で自分の身体を支えたまま、夢見るような口調で話し続ける。

「けれど、確かに見覚えがあったのじゃ。
私はいつぞやこれを見たことがある、とチョナに申し上げると、
夜空の七つ星ではないか、誰でも見覚えがあろう、とチョナはおっしゃいました」

七つ星、腕に七つ星。
王妃は自らの言葉を噛み締める。

―ウンスの腕には星座があるね、って父が言って。同じものが空にあるから見てみようって望遠鏡を買ってくれたんです。

「そう言って、ウンスは私に、腕に七つ星があるのを見せてくれた。
北斗の七星の形に並んだウンスの腕の小さな星座を見せてくれたのです」

夫のそなたなら、ウンスの肌にあるほくろの一つ一つも知っておろう
と思って見せたのです、と言われて、チェ・ヨンはわずかに気まずそうに
顔を横に向ける。
王妃は頬を薄紅にして嬉しそうに少し声を上げて笑い、咳きこんだ。
王がすぐに王妃の背中に手を伸ばしてさすると、
崩折れるように横になる。

「これがどういうことか、そなたにはわかるか」

王妃は咳をこらえながら、チェ・ヨンに問う。
チェ・ヨンは、いえ、よくは、と小さく呟いた後、黙り考えこむ。

「私にはわかります」

王妃はそれをチェ・ヨンへと言うよりはむしろ、王に向かって言う。

「この子の口元、鼻ぶり、チョナにそっくり」

そう言うと、王は少しばかり照れくさそうに、それでいて誇らしげに微笑む。

「目は私に似ている」

横たわった王妃の目から、つうと涙が一筋、首を通り、寝床へ落ちる。

「子は親より身体を授かり、親と似て産まれる。
ならばなぜ、この子にはウンスと同じものを身体に持っているのか、
あきらかではないですか」

王妃の目から、また一筋ふた筋と涙が落ちるが、
涙とはうらはらに、その頬に口元に溢れるような喜びが輝いている。

「この子は産まれ、生き、子を産む。
その子がまた、人生を長らえ、また子を産む。
そうやって、何百年を経て、ユ・ウンスに繋がるのですよ。
私と王の子は、ただいたずらに死にはしないの」

―北斗七星はそのあかし。

チェ・ヨンよ、そう呼びかけて王妃はしばらく溢れくる思いに言葉を失って、
唇をかすかに震わせた。

「それを見たときに、私は心を決めたのです。
チェ・ヨン、そなたに託そうと」

そなたはこの子を命をかけて守りとおすでしょう。

王妃のその言葉は、これまでのそれとは違った種類の確信に満ちている。
うなずくチェ・ヨンの顔に現れた決意もまた、今日までの決意を超えている。

「この赤子が、子々孫々の代まで命の長らえるよう、
我が魂をとしてお守りいたします」

王と王妃と王女の前に悠然と膝をつき、チェ・ヨンはこうべを垂れる。
王は哀しげな顔で、口元をほころばせた。

この男を我が身に仕えさせてはや十年。
初めて、心の奥底から臣下の礼を取るチェ・ヨンの姿を目にしたのだ。

「頼むぞ」

王は、噛み締めるようにそう呟いた。





「ってことは、この子がユ先生のご先祖様ってことですか?」

テマンが頭をかき回すのも忘れて、ぽかんと口を開ける。
マンボ姐は、眉間に深い皺を寄せながら、チェ・ヨンに話しかける。

「あたしにゃ、天界のことや天門のしくみは、よくわからない。
何がどうなってかはわからないが、ユ先生とこの子にゃ、ふかあい縁がある、
そう思っていいんだね、ヨン」

チェ・ヨンは、そうだ、とゆっくりとうなずく。

「手裏房には、この子を見守ってほしい。だから、聞いてもらった」

大っぴらにできないから、裏からあたしたちに守れと言うんだね、
とマンボ姐は赤子の小さな指を撫で、思わず微笑みながら言う。

「高くつくよ」

マンボ姐がそう言うと、チェ・ヨンは真面目な顔を崩さずに言う。

「でかく儲けさせてやる」

ほほう、とマンボ姐は肩をすくめる。
子細を伝えずにどう守るか、知恵を貸してくれ、とチェ・ヨンは言うと、
今度はいまだ呆然と赤子を眺めているテマンに声をかける。

「テマン、さっきはすまなかったな」

チェ・ヨンがもう一度頭を下げると、テマンはぶるぶるとすごい勢いで
首をふった。
俺こそ事情もしらずに勝手を言ってすみませんでした、
とテマンが頭を下げると、チェ・ヨンはテマンの両肩に手を置く。

「女房に話すかは、お前が決めろ。立ち入れば危険も増す」

テマンは、こくりとうなずいた。
チェ・ヨンは大きくひとつ息を吐くと、両膝を叩き、
さて、といった様子で声を出す。
イムジャ、と言って顔を上げて、唖然とする。

「ほーら、あなたのオモニ(お母さん)ですよー、はじめまちて
かわいいベビーちゃんですねえ、お顔を見ちてくださいなー」

ウンスは赤子に顔を近づけて、惚れ惚れと見つめながら、
その手で自分の指を握らせている。
少しばかり深刻なチェ・ヨンらの様子などそっちのけだ。
普段とはまったく違う聞いたこともない言葉使いに、
チェ・ヨンは戸惑いを隠せない。

「イムジャ…、ちと、話の続きが―」

ウンスはチェ・ヨンが話しかけても、顔を向けもせずに答える。

「そんなのはあと、あとでいいわよ。ねえ、見てこのかわいいお手て」

あっけにとられて言葉を詰まらすチェ・ヨンに、
ウンスは畳み掛ける。

「ほーら、あの人が見えるかな? あなたを抱いてきた人よ」

ウンスは赤子の頬に手を当てて、顔を軽くチェ・ヨンに傾ける。
その時にようやくチェ・ヨンはウンスの目にたくさんの涙がたまっていることに気づく。
話はまた後にしよう、そう思って口をつぐむ。
ウンスは涙をこぼさぬように、チェ・ヨンを見つめて言う。

「あなたのアボジ(お父さん)ですよ。
立派な武士なのよ、とーっても強いの」

チェ・ヨンは、ウンスの言葉に、面食らって顔をかすかに赤くする。

「ほーら、ヨン。あんたもこれで立派な子持ちだよ。
テマン、子育てに関しちゃあんたの方が一日の長がある」

マンボ姐はチェ・ヨンの背中を強くひとつ叩く。
いろいろと教えてやるんだよ、と言われてテマンは、はいっと勢いよく答える。
ウンスが赤子を抱き上げて、チェ・ヨンに近づく。

「ほら、アボジ。ご挨拶して」

チェ・ヨンは渡されるままに赤子を抱くが、
戸惑ったままで、助けを求めるようにウンスの顔を見る。

「いや、この数日腹に抱いていたゆえ、挨拶はすませたかと思うが…」

言い訳するようにそう言うチェ・ヨンに、ウンスが微笑みかける。

「父親としては、してないでしょ?」

チェ・ヨンは助け舟を求めて、マンボ姐とテマンの顔を見るが、
二人ともにこにこと笑うばかりだ。
腹をきめて、チェ・ヨンは赤子と目を合わす。
赤子はまだよく見えぬ目で、それでもぼんやりとチェ・ヨンを
見つめ返す。

「俺が、そなたの父のチェ・ヨンだ。よろしく頼む」

チェ・ヨンがそう言うと、三人は思わず吹き出す。
マンボ姐はさっきよりも強く背中をばしばしと叩き、
ウンスは、そうじゃなくて、とひいひいと笑いながら言う。
そんな部下にするみたいじゃなくて、アボジだよーって、優しくね、
そう言われてチェ・ヨンは困り果てて、歯を食いしばり目をつむる。
目をつむったまま息をつくと、目をあけて天を仰いでから口を開く。

「お前の…アボジだよ」

チェ・ヨンは、顔を紅潮させながらも、なんとかもう一度赤子に言い直す。
それから、しっかりと抱き直して、自分の顔に赤子を近づける。

「そうだ、俺が、お前のアボジだ」

チェ・ヨンは今度こそ、低いがしっかりとした声で、赤子にそう告げた。



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by kkkaaat | 2015-02-20 19:56 | 北斗七星【シンイ二次】 | Comments(27)

【シンイ二次】北斗七星8


「チェ・ヨン」

王妃がチェ・ヨンに声をかける。
は、と短く答えて、チェ・ヨンは一歩王妃に近づく。
そのか細い声が少しでも聞き取りやすいように。

「チェ・ヨン、見よ」

見るがよい、という王妃の目の奥に燃えるような光が輝いている。
傍らに寝かせた赤子に顔を向けて、王妃は誇らしげに微笑む。

「これほど美しい赤子を見たことがあるか」

赤子の頬に伸ばした腕の骨々しさに、チェ・ヨンは気づく。

「ご健勝そうです」

赤子を強く見つめて、チェ・ヨンはまた一歩赤子に近づきながら、
そう言った。
母が損なわれても子は無事に産まれるものらしい、見事なものよの、
と王妃が笑うように言うと、王が前に進み、赤子を撫ぜる王妃の手に、
そっと自分の手を重ねる。
王と王妃は視線を絡ませ、王妃がだるそうにうなずく。

「呼ぶのが遅くなってすまぬ」

王が口を開く。
滅相もない、とチェ・ヨンは首を振った。
すぐに引き渡す約束であったのだが、と王は言う。

「産まれてみるとな」

王は赤子に目をやり、目を細める。
これほど愛しく手放しがたいものだとは、としみじみと言いながら、
王妃とまた見交わす。

「さりとて、王妃が手放さぬという理由でこの部屋に赤子を
止め置き続けるのにも限度がある」

王は自分自身と王妃に言い聞かせるように、そう呟いた。
典医どもは、身から赤子を離さぬ王妃様の振る舞いを、
お心が―その―乱れていらっしゃるではないか、と危惧しはじめております。
チェ・ヨンはちらと王妃へと目を上げて遠慮がちにそう言うと、
すぐに目を伏せる。王妃がククと笑う。

「気がふれた、と言っているのであろう? 
チョナの手の者からも聞いておるゆえ、気にせぬでよい」

チェ・ヨンは、は、と答えて小さくうなずく。

「この後のことを考えれば、都合の悪いことではありますまい」

王妃は上を向き、ぼんやりと視線をさまよわせながら、言う。
なにせ私は子を失った気鬱でふせってしまうのだから、とぽつりと
言う声のか細さに、チェ・ヨンは思わず顔をあげる。

「またお会いになれます。参月を越えたころから山羊乳に慣らし、
半年をすぎれば、赤子は粥を食べられるようになると妻が申しておりました。
粥を口にできるようになったらすぐに開京へと戻る所存。
さすれば、また赤子にお会いになることもできましょう」

ウンスにたびたび皇宮へと連れてきてもらえばよい、
と王が励ますように王妃の手を握る。

「そうでございますね」

王妃は、逆に王を励ますように柔らかく微笑んでみせる。
そして二人は、赤子を見つめて、また視線を交わす。
チェ・ヨンは思わず口を開く。

「出過ぎたことを申し上げるのをお許しください。まだ間に合います。
手元でお育てになることは、できるのです」

王と王妃はしばらくの間、言葉には応ぜずに、ただじっと見つめ合う。
王妃がかすかに首を振る。

「チェ・ヨン、お前に見てもらいたいものがある」

王妃は言葉には直接に答えずに、チェ・ヨンに顔を向ける。
大儀そうに身体を起こそうとするのを、王が支える。
半身を起こすと、王妃は赤子の頬をいとしげに撫で、それから産着を開く。

「チョナは、私の勘違いではないか、とおっしゃいます。
勘違いなものですか」

王妃はふふと笑いながら、赤子の見え始めた肌を優しくさする。

「紅巾が王都の門を破った日ですもの、忘れようがありませぬ。
忘れるものですか。ウンスとともに瞻星台にまいったときに―」
※チョムソンデ:天文台

赤子の腕をはだけると、王妃は言葉を切って、じっと赤子の腕を見つめる。
しばしの間、部屋に静けさがおりる。
王妃は顔を上げると、チェ・ヨンの目を見た。

「チェ・ヨン、そなたなら知っておろう」

そなたなら、と呟きながら赤子の腕を示す。
チェ・ヨンは、失礼仕る、と一礼して王妃の元に歩み寄る。
赤子は部屋に入ったときと違って、うっすらと目をあけている。
その透き通った瞳に、チェ・ヨンは目を奪われて立ちすくむ。

「顔ではない、こちらを見よ」

王妃が可笑しそうに笑いながら、そううながす。
チェ・ヨンは赤子の腕に顔を寄せる。
息を呑む音がして、チェ・ヨンが弾かれたように身体を起こし、
王と王妃の顔に視線をさまよわせる。
もう一度顔を伏せて、遠慮も忘れて赤子の腕に手を添えて、
確認する。

「同じものであろう?」

王妃の青白い顔に、うっすらと喜色で紅がさす。
寝台についた手に力をこめて、王とチェ・ヨンに向かって
わずかに身を乗り出す。

「確かに」

とチェ・ヨンの口から、小さな返答が漏れるのを聞いて、王の眉根が寄る。
チェ・ヨンの肩をその手がつかむ。
確かに相違ないか、と詰め寄る口調で王が言うと、
チェ・ヨンは身体を起こし長い長い息を吐いてから、

確かにウンスの肩にも、北斗七星の形にならんだほくろがございます。

と王の目を見つめながら答えた。



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by kkkaaat | 2015-02-20 19:50 | 北斗七星【シンイ二次】 | Comments(0)

【シンイ二次】北斗七星7


トギはウンスの襟首を後ろからつかむと、ぐいと引っ張った。
そのまま強引に屋敷の方へと引きずっていく。

「ちょっと、何するの!」

ウンスは数歩よろけて立て直すと、襟を振り切る。
トギはウンスを睨むとその腕をぐいと引っ張って、
また屋敷へと連れていこうとする。

「わかった、わかったから!」

そうウンスが訴えても、トギは懐疑の目つきで一瞥するだけで手を緩めない。
本当にもうやめるから、と泣きそうな声で言うと、
ようやく足を止めてウンスに向き直り、ふん、と鼻をならして
腰に手を当てた。

「だってえ…」

ウンスは人差し指と人差し指の先を、顔の前でちょいちょいと合わせながら、
上目遣いにトギの顔色をうかがう。
トギは、素早く手を動かす。

そんなところに立ちっぱなしでうろうろしていれば、
姿を見た者から不審がられる。たまにならいいが、
予定日あたりから、毎日毎日毎日――

とトギは「毎日」というしぐさを大げさに何度も繰り返しながら、
目を大きく見開いて怒った表情を作って見せる。

「だってここらへん、旅人にしたって狩人にしたって通ったためしがないじゃない。
次に姿を見せるとしたら、ヨンしかいないわ。ね、ね」

そう訴えるウンスの言葉も一理はある。
十月十日めが過ぎ、ウンスは約束された王都からのヨンの来訪を
今か今かと待っているのだ。
トギの手がゆっくりと威圧的にウンスの前で動かされる。

「口に出して、読めっていうの?」

深々とトギはうなずくと、空に字を書くようにウンスの前に手文字を並べていく。

「ウンス、あなたの、その、膨らんだ腹には、何が、入っている」

ええと布団、と言いかけて、トギの目つきを見て慌てて、
赤ちゃんだわ、と言い直してウンスは腹を軽く一つ叩く。

「そして、そいつは、いつ、出てくる予定?」

王妃様の出産と時をおかずして…、と言うウンスの声が徐々に小さくなる。
トギの言わんとすることが、飲みこめてきたのだ。

「臨月どころか予定日を迎えたわたしがこんなところで
うろうろしてるのは、おかしい…わよね」

いてもたってもいられないの、とウンスは本当に泣きそうな顔で揉み手をする。
じっとしてると、頭の中がわけのわからない考えでいっぱいになって、
しまいにはほんとにお腹が痛くなってくるの、そう訴えるウンスを、
急にトギが押しとどめた。

「なに?」

尋ねかけるウンスの口に、トギが指を立てる。
しゃべるな、という仕草。
口を閉じたウンスが、はっとして顔をあげる。
馬の蹄が立てる、微かな音。
歩ませているのか、音の間隔は緩やかだ。

屋敷で待てるわね、というトギの手言葉にウンスは小刻みに首を縦に振る。
きびすを返して駆け出しそうになるウンスの手首を、
トギは急いでつかみ、眉をしかめて首を振る。

「あっ、そうよね。うん、走らない、走らないでいくわ。妊婦だもんね」

ウンスは、真剣な顔で、何度もうなずきながら、後ずさるようにして、
道を屋敷へと歩きはじめる。
ウンスの姿が見えなくなって、しばらくの間、
トギは張り詰めた表情を顔に貼り付けたまま、
道の向こうをじっと見つめていたが、急にはっと目を見開く。

一歩、二歩と前に進み、道をゆっくりとこちらへと進んでくる二頭の馬をじっと待つ。
それぞれの馬上に女の姿が見える。
近づいてくるにつれて、一人は見知らぬ若い女で赤子を背負っている。
赤子は馬の揺れが心地よいのか、眠っている。
もう一人は年配の女で見知った顔だ。

「久しぶりだねえ、トギと言ったね」

トギは頭を下げて挨拶を返すと、手振りで屋敷へと誘いかけたが、
ふと足を止めてすぐに一つ手振りをした。
両手を軽く握ったまま横へと開き、棒状の何かを示して腰へうつし、
その後に手を目の上にかざす。

「あいつなら、木立の中さ。つけられてないか、確かめながらついてきてる。
もちろんテマンもね」

こくり、とトギはうなずくと、もの問いたげに女を見つめる。
女は木立の方に目をやって、あいつが胸に抱いているよ、とトギだけに
聞こえるよう低められた声で言うと、もう一度深くうなずく。
それで満足したのか、トギは顎をくいと動かして、道を進めと合図する。

木立が切れると柵に囲まれて屋敷があらわれる。
トギが屋敷の戸口を開けようとすると、扉が中から勢いよく開く。
ウンスが、口を強く引き結んで、そこに立っていた。

「待ってたわ!」

入って、と急いた口調でウンスが言うと、トギは横にどいて、
二人の女に中に入るよう手でうながした。
先に年配の女が戸口をくぐると、ウンスの強ばった表情が
ぱっとほどける。

「マンボ姐さん!」

久しぶりだねえ、ウンス、元気そうだ、と微笑みながらマンボ姐は
ウンスを抱き寄せ、背中をぽんぽんと叩く。
それから身体を離し、自分の後ろにいる娘を前に押し出す。

「約束どおり、テマンの女房を連れてきたよ」

若い女は固い表情だが、しごくまっすぐな目でウンスを見て、
ウンスの手を両手で取ると、痛いほどぎゅうと握った。
お久しぶりでございます、とそれだけ言って深々と頭を下げる。

「よく来てくれたわ、本当に本当にありがとう!
赤ちゃん、大きくなったわね」

ウンスが握り返して顔を近づけると、ありがとうございます、
と短く答える。
迷惑かけるわね、とウンスが背中の赤子に目を細めて言うと、
ユ先生からいただいた御恩に比べたら、
とテマンの女房は低い声で言って、ひとつ頭を下げた。

「それで、ヨンは?」

ウンスは、トギが最後に戸口をくぐり、扉を閉めたのを見て、
焦ったように言う。

「もうそこまで来ているよ。さ、部屋に通しておくれ。
乳をあげるしたくをしとかなくちゃあね」

この子も長旅でお疲れだ、休ませねばと、とマンボ姐に言われて、
ウンスは慌てて、二人を部屋にあげる。
奥の裏山に面した暖かい部屋に上がると、女は無言のまま、
胸紐をときはじめる。手を貸そうとウンスが傍に寄る間もなく、
するりと背中から赤子を滑りおろす。

ウンスが振り返ると、トギはすでに部屋の隅に重ねてあった布団を広げて、
赤子が休む場所を作っていた。
布団に横たえると、小さくぐずるような声を上げたが、
馬旅に疲れたのかそのまま寝入る。

「あの、お乳、飲ませなくていいのかな?」

ウンスが尋ねるとテマンの女房は、手早く自分の旅装束を脱ぎながら答える。

「もう、チェ・ヨン殿がお着きになりましょう。
まずは、あのお子に飲ませなくては」

この子は宿場を出るときに飲ませましたからまだ大丈夫、と
小さな声で早口に言う。
と同時に屋敷の戸口を開ける物音が聞こえた。
皆が振り返ると同時に、ウンスが小走りに部屋を出てむかう。

駆けでた先に、チェ・ヨンが立っている。
ちょうど、テマンが戸締りをしているところだった。

「ヨン、テマン!」

名前を呼ばれる前に、チェ・ヨンはそのどたついた足音を聞きつけて
すでに顔をあげ、ウンスを見ていた。

「イムジャ…」

ヨンの声には、無事にたどり着いたという安堵とは違う何かがあって、
ウンスの顔から浮かびかけていた笑みがすうと引く。

「さ、上がって。道中はなにもなかった? 王妃さまは?
まず、赤ちゃんを見せて」

ウンスは矢継ぎ早に言葉を繰り出すが、
チェ・ヨンは神妙な顔つきでウンスを凝視するばかりで動かない。

「いいわ、とにかく――とにかくまず、赤ちゃんを見せてちょうだい。
最後にお乳を飲ませたのはいつごろかしら。
健康状態をチェックするから、下ろして」

テマンが先に廊下を通って女房に話しかける声が部屋から聞こえると、
チェ・ヨンは、はっと我に返って、自分もようやく部屋に入る。
マンボ姐の姿を見ると、反射で言葉が出た。

「宿場からここまで、特に後をつけるものもおらず、不審な人影もない」

マンボ姐が、そりゃあ何よりだ、と言いながら、チェ・ヨンに近寄り、
胸元の布に手を差し込もうとするとチェ・ヨンは、いや俺がやる、と断って、
やけに丁寧に胸元の布から赤子を取り出した。

「よく寝ていた」

腕に抱きかかえると、チェ・ヨンはすぐに下ろさず、その赤子の顔を
まじまじと眺めながら、あやすように揺する。
顔にかかった産毛のような髪を、壊れもののようにかきあげる手が、
やけに大きく見える。

「ほら、早くユ先生に見てもらえ」

マンボ姐がしびれを切らしてそう言うと、チェ・ヨンは目を赤子からそらせぬまま、
両手を出しておあずけの状態で待っているウンスにそっと差し出す。
ウンスは、危なっかしい手つきで受け取ると、大事そうに横抱きにする。

―待っててね、いま診察してあげるから。ちょっとだけ待ってね。

ほとんどささやくような声で、赤子に話しながら、その顔に目を引き寄せられる。
眉の形、鼻の形、薄い唇、まだ赤っぽい肌、もつれた髪の毛、
その一つ一つを黙って目で追っていく。

「遠かった? ずっとくるまれて抱かれてここまで来たの? 
大変だったわね、がんばった。ほんとがんばった、ね」

あやすのか、語りかけているのか、赤ん坊の匂いに吸い寄せられるように、
ウンスは赤子の顔に自分の顔をすりつけるようにして、
夢心地で何か言い続ける。
この子なの、この子なのね、とほとんど独り言のようにつぶやく。

「ユ先生」

テマンの女房が、きっぱりと名前を呼ぶと、ようやくふんぎりがついて、
ウンスは顔を離す。

「ユ先生、乳をやらないと」

そう言われて、ウンスはうなずき、赤子を布団に下ろした。
くるんだ綿布をほどき、産着の上から身体を指で触診する。
くるぶしをつかんで、脚を曲げ伸ばしして、関節の動きを確かめる。
赤子は触れられて目を覚ましたのか、細い細い泣き声をあげはじめる。
顔を寄せていたときとは違う、探るような目つきだったウンスは、
慌てて診察をすませると、ほっと息を吐く。

「わたし赤ちゃんにはくわしくはないけど、特に気になるところはないわ」

そうウンスが言うと、テマンの女房は前にいざり出て、
泣き始めた赤子をすくい上げる。

「ほら、出な」

マンボ姐がそう言うと、開京からの旅路ですでに習いになっているようで、
チェ・ヨンは言われる前から腰を浮かせ、さっと部屋を出ていく。
ウンスはなぜ、と目を泳がせたが、テマンの女房が胸元を開いたのを見て、
合点する。
赤子が乳を吸う様子を、吸い寄せられるように見ていたが、
マンボ姐に脇腹をつつかれる。

「ヨンと話さないでいいのかい」

そう指摘されて、名残惜しそうに目は赤子と娘に残したまま、
ウンスは立ち上がった。
部屋からひょこりと頭を出すと、廊下の途中の壁に背中をもたれかからせて
チェ・ヨンがうつむくように腕を組んでいる。

「おつかれさま、でした」

歩み寄って声をかけると、チェ・ヨンは生真面目な顔でこくりとうなずいてみせる。

「あの子、なのね」

ウンスが手にすがるようにしてそう言うと、チェ・ヨンは
突き通すようにまっすぐウンスの目を見ながら、深くうなずいた。

「王妃様のご様子は? お産でさわりはなかったの?」

どうやって皇宮を抜け出したかも知りたかったが、
まず一番気になっていることを問い詰めるように尋ねると、
チェ・ヨンの瞳が揺らめいた。
口が何かを言おうと半開きになって、そのまま力をなくして閉じる。
ウンスは背中が粟立つような感覚に、両手でチェ・ヨンの胸ぐらを
ほとんどつかみあげて詰め寄ろうとしたところで。

「いや、うむ」

―待ってくれ、とチェ・ヨンは戸惑いを喉にからませて、絞り出す。
終わったら、話す、それまで。
視線で部屋の乳飲み子の方を示して、そう頼みこむ。
チェ・ヨンの神妙な眼差しに、ウンスは不承不承、その胸元から
手を離した。

「わかった、でも、あんまり待てないわ」

そう下から見上げて言うと、チェ・ヨンはこくりとうなずいた。
しばらくすると、マンボ姐の呼ぶ声がする。

「終わったよ、さ、お入り」

二人が部屋に入ると、赤ん坊は乳を吸ったまま寝てしまったようで、
テマンの女房の腕の中でか細い寝息をたてていた。
ウンスが手を伸ばすよりも早く、チェ・ヨンはすうと膝をついて、
その赤子を抱きとると、柔らかな細工ものでも扱うように
腕の中にかかえこむ。

「悪いが二人は席を外してはもらえまいか」

チェ・ヨンは珍しく、歯切れの悪い言い方でテマンの女房とトギに顔を向ける。
話をせねばならぬ、と理由にもならぬ言葉が続くと、
テマンは珍しく不満げな表情をぱっと顔にのぼらせた。

「こいつは、口が固いです。誰にも漏らしやしません」

だいたいの事情は知ってなきゃここまで来ない、と声を高める。
と、テマンの女房は素早く立って、後ろから強く肩をつかむ。

「わかんないの」

なにがさ、とテマンが気圧されながらも答えると、
聞かないほうがいいから言ってくれてんのよ、と静かに言う。
乳をあげてるあたしがいいって言ってんの、とウンスやチェ・ヨンに
対する丁寧な言葉使いとは少し違う口調で言うと、
テマンは気圧されて、わかった、とおずおずとうなずいた。

「恩に着る」

チェ・ヨンが頭を下げると、テマンは少し驚いて、
軽くのけぞり、承知しました、とつぶやくように言うと、
自分の赤子を抱き上げた女房の背中に手を添えて、部屋を出す。
トギは目顔でチェ・ヨンにうなずくと、その後ろからついていく。

部屋の中央に、チェ・ヨンは足を進め、トギが案内する足音が去ると、
大事に赤子を抱えたまま、部屋の真ん中に進み、腰を下ろす。

「あたしゃ、居ろってことかい」

マンボ姐がそう言うと、この四人で話をする、とチェ・ヨンが言う。
テマン、ウンスもチェ・ヨンの両脇に座る。
チェ・ヨンは赤子をその真中に置いた。
そして、例えようもなく優しく、産着の紐を解く。
普通に開くとその布が崩折れてしまうのではないかと思っているかのように、
慎重にその着物をはだける。

「これを……見てほしい」

チェ・ヨンは赤子の腕を持ち上げる。
はだけた肩の外側が見えるように。

「これが、なんだい。なんにもありゃしない。
ただの赤子の腕じゃあないか」

マンボ姐が、まじまじと見てから口を尖らせて言う。
テマンも、床につくほど身体を下げて見て、首をかしげる。
ここを、よく見てくれ、とチェ・ヨンはウンスに向かって言った。

指さした先を見て、ウンスの息が止まる。
驚きに見開かられた目が、射すくめるように細められる。

「なぜなんだ?」

チェ・ヨンはウンスにささやくように言った。

「なぜ、イムジャと同じものが、この赤子にあるのだ?」



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by kkkaaat | 2015-02-20 09:38 | 北斗七星【シンイ二次】 | Comments(6)

【シンイ二次】バレンタイン2(終)


「あなたには、手を焼かせられる」

その夜の隊長室で、チェ・ヨンは椅子の背に向かって座り、
背もたれに顎を乗せて、ため息をつく。
ウンスは兵装束はといて、ちょこんと寝台に腰掛けている。

「表に出ぬよう、何度もきつく言い渡した俺の命もどこ吹く風で、
部屋を抜け出しては目立つことをする」

これではあなたをお守りできませぬ、と目を見つめられると、
ウンスは手を顔の前に合わせて、ごめんね、と肩をすくめる。
チェ・ヨンはその愛らしい仕草に、思わず、ふ、と口元を緩ませて、
頭を振る。

「あなたが、隊員を思ってしてくれることはありがたいが、
それよりもご自分の身を守ることを第一にしてください」

いいですね、と立ち上がって横に腰掛けたチェ・ヨンに顔を覗きこまれ、
ウンスは二度頭を縦に大きく動かして答える。
そのまま、二人はなんとなく黙って、見つめ合うような形になった。
微かにウンスの顔がチェ・ヨンの方へと引き寄せられる。

と、チェ・ヨンが立ち上がる。

「今日は忙しく、少々疲れました。休みます」

そう言って、もう一つ椅子を引き寄せ足を乗せようとする。
ウンスは弾かれたように立ち上がると、小走りに何かを取りに行く。
チェ・ヨンはウンスの様子を、不思議そうに目で追った。

「ね、これ」

どうぞ、とウンスが差し出したのは、小ぶりの美しい布が貼られた飾り箱だ。
チェ・ヨンはわけがわからずに受け取って、箱をあらためる。

「これは?」

突然のウンスの行動に当惑して、箱の開け口に指をかけてながら
チェ・ヨンは尋ねる。
ウンスは小さく笑って答える。

「昼間作ってた菓子よ。出来上がったから、持ってきたの」

っていうかだいたいがあなたにあげるのが、本来の目的だったし、と
ウンスはぶつぶつとつぶやく。

「ありがたい。任務の折には持っていきます」

チェ・ヨンは微笑んで箱を顔の横へと持ち上げる。

「この箱はイムジャの持ち物でしょうに、いま別の箱に入れかえてお返し
いたします」

チェ・ヨンはそう勘違いして、執務机の上に飾り箱を置いて、
別の入れ物を探しはじめる。
ウンスが慌ててチェ・ヨンを止める。

「違うの、あの、その箱はラッピングっていうか、あの、
なんて言えばいいのかしら、本気の贈り物をするときは綺麗に包んで
渡すものなの、わたしのいた場所ではね。それに、本題は中身なの」

中を見てほしいの、とウンスに言われて、訳が分からずに
チェ・ヨンは箱へと戻る。

「この中を、見ればいいのですか」

チェ・ヨンがうかがうように言うと、ウンスはこくこくとうなずく。
箱は片蝶番の飾り箱で、爪をひっかけると容易に開く。
開けた箱の中には、典医寺で見た飴菓子が一口で食べられる大きさに固められて、
いくつも入っている。
特に他のものは入っておらず、チェ・ヨンはもの問いたげに顔を上げて、
ウンスの目を見る。

「うまそうです。それに、侍医の話によれば身体にもよいものらしい。
感謝しています」

チェ・ヨンがこの答えで合っているのか、探るように答えたが、
ウンスの目の奥の、何かを期待するような風は変わらない。
戸惑いの浮かぶチェ・ヨンの顔を見て、ウンスはその飴菓子の一つを指さす。

「この形、かわいいでしょう?」

菓子の一つ一つが、何かの紋様のような形に揃えられているのに気づく。
一つ持ち上げると、上下逆さまかな、とウンスに控えめに指摘される。

「わざわざ、整えてくださったのか」

そう尋ねると、ウンスははにかむようにうなずく。
この形には何か意味があるのか、と尋ねられて、ウンスは驚く。

「意味、知らない?」

チェ・ヨンがうなずくと、ウンスは拍子抜けしたように肩を落とす。この時代にはこうした記号の意味がすでに伝来していると、思いこんでいたのだ。

「ええとね、この形は、心の臓を表したハートという形なの」

その続きを聞かぬまま、チェ・ヨンが合点がいったようにうなずく。
説明を続けようとするウンスより先に、チェ・ヨンが口を開く。

「なるほど、心の臓腑の形とは、心も身体も鼓舞する菓子にふさわしい。
疲れた身には、染み入る糧食となりましょう」

部下たちには医仙のまじないがかかっている、と言ってやりましょう、
喜びます、と言われてウンスは半笑いでチェ・ヨンを押しとどめる。

「あ、まあ、みんなのはただの球状に丸めたらから、うん、
まじないをかけてあるのは、あなたのだけよ。
天界では弐月の十四日、つまり今日ね、大切なひとにチョコ…、
って言ってもわからないか。
ええとね、甘いお菓子を贈る習わしがあるのよ」

大切なひと、というウンスの言葉に不意をつかれて、
チェ・ヨンの口元が思わずほころぶ。
咳払いでそれをごまかすと、箱を大事そうに閉じる。

「ならば、つまりこれは、俺だけへの贈り物―なのですね」

そうチェ・ヨンに言われて、ウンスはようやく嬉しそうに大きくうなずいた。
それでは大事にいたします、と言ったチェ・ヨンの動きがはたと止まる。

「ですが、困りました」

視線を床に落として、考えこむ。
どういうことかと、じっとチェ・ヨンを見つめるウンスへと
顔を上げて目を見つめ、口を開く。

「そうした天界の風習もしらず、俺は何も用意しておりませぬ」

ウンスは慌てて、両手を顔の前でばたばたと振る。

「そんな、いいのよ。だってバレンタインは女性から男性へと
贈り物をする日だから」

しかしそれでは釣り合いが取れませぬ、とチェ・ヨンが納得しかねる
といった風に口元を引き結ぶと、ウンスは続けて説明する。

「あのね、バレンタインデイ、つまり今日は女性から男性へ渡すでしょ。
そのひと月後の参月の十四日のホワイトデイには、男性から女性に
贈り物をするの」

このことは、なんかお返しを要求してるみたいで言いたくなかったんだけど、
とウンスは、いたずらっぽい目でチェ・ヨンを見ながら指で唇を隠すような
仕草をした。

「ひと月ののちに…」

微笑みながらそう言ったチェ・ヨンの言葉が途切れ、視線に薄く幕が降りる。
すいとそらされた視線が、一瞬手首の傷をかすめたことに、
ウンスは気づいてしまった。
落ち着いた足取りで、チェ・ヨンの傍まで歩み寄ると、
ウンスはわずかに顔を背けているチェ・ヨンの頬に手を当てて、
自分へと向かせる。

「そう、一ヶ月あとよ。もらったものの、三倍くらいのお返しを
しなきゃいけないのよ」

ウンスが明るい声を作ってそう言うと、チェ・ヨンは自分に伸ばされている
ウンスの手首をぎゅうと握った。
そのまま、自分の頬へ強くウンスの手のひらを押し付ける。
チェ・ヨンの揺れるような眼差しを、ウンスは静かに受け止める。

「必ず、ひと月ののちに、差し上げます」

チェ・ヨンは我が身にも言い聞かせるように、そう言った。
食べ物でも、衣でも飾り物でも、あなたが望むものをおっしゃってください、
チェ・ヨンは固さは残るものの、笑みを作ってウンスに言う。

「わたしは物欲が強いから、そんなこと言ったら大変よ。
あなた、破産しちゃうかも」

ウンスがわざとおどけて言うと、チェ・ヨンの微笑みがようやく柔らぐ。
頬からウンスの手を外し、チェ・ヨンは両手でそれを包みこみ、
そのまま温めるようにしばらくじっと握る。

「大丈夫よ。典医寺で解毒剤を作ってる。きっと培養は成功するわ」

そう力づけるように言うと、チェ・ヨンは何も言わずに、
ウンスの目を見ながらうなずく。
そして、壊れもののようにウンスを抱きしめる。

「ひと月ののちに、必ず」

チェ・ヨンは意志のこもった声でもう一度そう言って、
ウンスを抱き寄せる腕に、少しだけ力をこめた。

(終)



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by kkkaaat | 2015-02-16 00:29 | 短編【シンイ二次】 | Comments(13)

【シンイ二次】バレンタイン1

ウンスが身を隠すために、ウダルチの兵士として、チェ・ヨンの部屋に匿われていた頃のお話です。バレンタインの頃は、たぶんウンスはまだ発病はしておらず、チャン侍医も生きていて、わずかな平穏を甘受していたころ、と思ってます。2話で終わります。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

チェ・ヨンは、何か考え事をしているふうで、ややゆっくりとした
足取りで長和殿へと続く中庭に面した回廊を進んでいた。
ふい、と何かが心に兆して顔が上がると、わずかに足が早まる。

その顎はもう少しだけ上がって、目の中に光が灯る。
急ぐだけの足だったのが、自然と駆け足になって、
チェ・ヨンはいっさんに走っていた。

目は、まだ眼前に現れてはいない求めさがすものへと、
真っ直ぐに向けられている。

―あの人のもとへ。

いつの間にか、頭の中がそれだけで占められている。
薬草園に入る簡素な木門をくぐり、脇目もふらずに典医寺の建物に
足を踏み入れる。

―ここだ。

誰に確かめたわけでもなかったが、チェ・ヨンには、予感があった。

―あの人は、ここにいる。

部屋の前を一つ一つ通り過ぎながら、チェ・ヨンの予感は
確信へと変わる。
この部屋でもなく、この部屋でもなく、あの、あの扉の向こうに。
チェ・ヨンの両手が扉にかかる。
そして、勢いよく手間に向かって大きく引き開けられる。

「医仙! 何をやっている!」

チェ・ヨンは鍋の中身をかき回しているウンスを発見して、
大きな声を上げた。

「あら、テジャン」

ウンスは、険しいチェ・ヨンの顔などものともせずに、
にっこりと頬に笑いを浮かべて、木べらを持ち替えて空いた手で
チェ・ヨンに軽く敬礼してみせる。

「隊長室から出ぬよう、言っておいたはずですが」

チェ・ヨンはウンスの傍に歩みを進めて肩をつかむ。
ウンスは手を止めずに、上目遣いで尋ねる。

「ねえ、どうして私がここにいるってわかったの?」

誰にでもわかります! とチェ・ヨンが歯噛みするように言う。

「皇宮中に甘ったるい匂いが漂っている。皆仕事にならぬ!
こんなことをするのは、一人しか考えられません」

匂いのもとをたどってここに参りました、簡単にあなたを見つけられましたよ、
とチェ・ヨンが苛ついた口調でそう言うと、ウンスはさすがに、
小さくしゅんとなる。

その横に、今にも逃げ出しそうにして、なんとか鍋の影に隠れようと
でも言うように腰をかがめるチュンソクとトクマンの姿を見つけて、
チェ・ヨンの目尻がひときわ釣り上がる。

「プジャンチュンソク、トクマン!」

名前を呼ばれて、二人はしまった、と目をぎゅっとつむり、
ぴしりと両手を身体の横に揃えて直立不動になる。

「お前らはいったい、何をしている」

今度こそ本当に歯ぎしりが聞こえそうな勢いで、チェ・ヨンは怒鳴りつける。
チュンソクが額にうっすらと汗を浮かべながら、答える。

「医仙殿が、是非とも作りたい薬があるゆえ、手伝いがほしいと
おっしゃったので、ウダルチより二名、護衛を兼ねて
不肖わたくしとトクマンがその任にあたっておりました」

テ、テジャンより医仙殿の要望には可能な限り応えるようにと
命ぜられておりましたゆえ、とトクマンが勇気を振り絞って言う。

「これ、が、薬、か!」

糖蜜とスパイスと、何かを混ぜたものを煮詰めるとにかく鼻の穴の奥から
耳の穴まで甘くなりそうな匂いを、くん、とひと嗅ぎしてみせて、
チェ・ヨンはチュンソクとテマンの腹を、剣の鞘で一発ずつ小突く。
ウンスが慌てて、割って入り、二人を自分の背中に隠す。

「ちょっと待って。わたしが頼んだの。お菓子みたいな匂いで、
飴菓子みたいだけど、身体が温まって気持ちもこう元気になるし、
風邪気味の喉にも効くのよ」

大鍋をかき混ぜるのはすごく力がいるの、たくさん作りたかったから、
二人にお願いしたの、怒らないであげて、と説明するウンスの肩ごしに、
チェ・ヨンは二人を睨みつける。
これが薬だと? とウンスを押しのけようとしたときだった。

「テジャン、医仙のおっしゃるのは、あながち嘘ではありません」

チェ・ヨンが振り返ると、先ほど開け放した扉からチャン侍医が
入ってくる。
鍋の横にある乳鉢を手に取りながら説明する。

「これは肉桂、血の通りを良くし身体を温める。こちらは丁子といい、
刺激があり気持ちの高揚を呼ぶので、士気を高めるのには良いでしょう」

こちらは月桃、紅花、と鉢をいくつか取り上げたあとに、
チェ・ヨンに歩み寄り、その肩に手を置く。

「鍋の中のものはもう少し煮詰めて乾かせば飴になり、
兵士たちが携帯できる菓子になる。彼らの身体に良い菓子を作りたいと
医仙よりお申し出があり、典医寺の設備をお使いいただいたのです」

チャン侍医の助け舟にウンスは、そうそう、と顔を明るくして
うなずいてみせる。
ほら、あなたも味見してみて、と匙にすくったそれを口元に
差し出されて、チェ・ヨンはけっこうとその手を押し戻す。

「あなたが兵士たちの責任者でしょう? もしこれをチョナが
お認めになったら、戦場にだって持っていくのよ。
ちゃんと味もみて、開発に協力してもらわないと」

とウンスがもっともらしく言うと、チャン侍医もややわざとらしく
深々とうなずいてみせ、目立たぬようにウンスの後ろで縮こまっていた
チュンソクとトクマンもここぞとばかりにうなずいてみせる。
否定する言葉が見つからずに、チェ・ヨンは口を引き結んでいたが、
ウンスが、ほら、と匙をもう一度口に近づけると、
しかめつらをしたまま、わずかに口を開ける。

ウンスはしてやったりと、にやついた笑顔を浮かべて、
あーん、とチェ・ヨンの口に丁寧に匙を差し入れる。
チェ・ヨンが舐めとるとすぐに、どう? と反応を見る。

「まあ、悪くは、ない」

ぶっきらぼうに言い捨てると、皆が自分の顔を注視しているのに
気づいて、急いで口元を手の甲で拭うと照れ隠しのように言う。

「チュンソク、トクマン、医仙の手伝いを続けろ。
ただし終わったらすぐに兵営に戻れ。それから」

チュンソクとトクマンが答えるのを確かめると、今度はウンスに
顔を向ける。

「終わりましたら、部屋に戻り、出歩かぬこと」

それと、とちらとチュンソクとトクマンを見ながら続ける。

「力仕事などは、すべて二人にやらせて、ご自分は無理なさらぬよう」

くれぐれも、と言うと、チャン侍医にそれでは頼む、と言って、
チェ・ヨンは扉を出て行った。

(続く)


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by kkkaaat | 2015-02-14 23:59 | 短編【シンイ二次】 | Comments(12)

【シンイ二次】触れもみで4


「王妃様は、結婚前、マリッジブルーとかありませんでしたか…」

ウンスが、城の庭をぼうっと眺めながら、憮然とした顔でそうつぶやく。

「ま、まり…?」

聞き慣れぬ言葉に、王妃がかくり、と人形のように横に首を傾ける。
チェ尚宮の頭も、王妃の動きに釣られるように、傾いた。
物思いにふけっているウンスは気づかない。

「ウンス殿」

チェ尚宮が咳払いをする。

「天界の言葉ではなく、も少しわかりやすい言葉でおっしゃいなさい」

そう言われてウンスは、はっと顔をあげて振り返る。
ぽかんとした顔で自分を見ている二人を見て、
肩をすくめて、苦笑いを口の端にぶらさげる。

「結婚する前に、いろいろと心配になって憂鬱な気分になっちゃうこと。
それをね天界では、マリッジブルーって言うの」

ウンスは橋の欄干に肘をついて、手のひらに顎を乗せ、
ふう、とため息をつく。
王妃は表情を変えぬまま、しばらく黙りこんでいたが、
頭の中ではめまぐるしく考えていたようで、

「ああ!」

とぽんと手を打って、急に合点がいったように声を上げる。
ありました? とウンスが尋ねる。

「チョナはよくよくお隠しになってはおられましたが、
元国の高麗国へのやりようや、自分のお立場について、
思うことがお有りだと私は気づいておりました。
婚約は決まっておりましたものの、
私がまだおのれの素性を隠してお会いしておりました頃で、
そのことが露見してチョナの身に何かありでもしたら、
ともうそれが気がかりで、ほんっとうに気がかりで!」

胸の休まる暇がございませんでした、
と王妃は自分の手で胸元を押さえながらぶるりと身を震わせる。
ウンスが腕を組んで、大きく首を傾げる。

「いやそれは、マリッジブルーとはちょっと問題が違うって言うか、
マリッジブルーにしては問題が大きすぎるって言うか…」

王妃はウンスの呟きには気づかずに続ける。

「それに私が元の人間であるため、チョナは私をお嫌いだろうと、
と思い悩み、どうしたら近しく、心やすくなれるのか、
もう毎日、毎日、案じておりました」

と昨日のことのように王妃が揉み手をしながら言うのを見て、
ウンスはため息をつく。

「皇女様レベルになると、マリッジブルーも私とは
レベルが違うっていうか……はあ」

ウンスは、肩をすくめながらため息をつく。

「どうしたか、ウンス殿。
婚儀の準備は、王妃様の采配で順調に進んでおるではないか」

何が気がかりなのじゃ、云うてみよ、
とチェ尚宮がウンスに問いただす。
ウンスは池の水面を眺めながら、もう一度盛大にため息をつく。

「……会えないんです」

王妃とチェ尚宮がまた、そろって首を傾げる。

「っていうか、会いに来ないんです!」

くるりと身体を半回転させて、ウンスは二人に向き直ると、
欄干に背をもたれかからせる。
ふう、と憂い顔でため息をつく。
王妃とチェ尚宮は顔を見合わせる。

「わたしもね、忙しくしてますよ? 
あの人だって仕事があるのはわかっています」

そりゃあ確かに、部屋に来たときに追い返しましたけど、
とウンスが言うのを聞いて、チェ尚宮の眉がぴくりと跳ね上がるが、
ウンスは気づかずに続ける。

「でもっ、顔ぐらい出したっていいと思いません?」

ねえ? と語気強く言われて、王妃が心配そうに眉根を寄せる。

「まさかあの人、釣った魚には餌をやらないタイプ?
結婚したあと、手のひらを返す男の話は嫌ってほど聞いてきたわ。
あ、わたし結婚が遅かったから、友達の結婚式だけはたくさん出てきたの。
よくよく考えたらご祝儀の払い損よね。
こっちじゃ貰えないし!」

ウンスがぴょんと跳ねるように欄干から離れ、顔の前で手を合わせて、
ぶつぶつと自問自答しながらチェ尚宮に迫る。

「プロポーズをしたから気恥ずかしい?
でも照れるっていうがらでもないわよね。
じゃあなんで顔を出さないのかしら。
やっぱり追い返したのを根に持ってる?」

覆いかぶさるようにチェ尚宮の顔に自分の顔を近づけて、
ウンスはどうしよう、と肩を両手でつかんで揺さぶる。

「落ち着かれよ!」

チェ尚宮がウンスの胸を手で押し戻して、大きな声で諌めると、
ウンスは不満げに口を尖らせる。

「ウンス殿」

思い違いでなければ、とチェ尚宮が顔をしかめながら、言う。

「こちらにお泊りになられて、まだ三日と立たぬかと思うが…」





「ああああ――」

頭をかきまわして、髪をくしゃくしゃにしながら、
ウンスは奇声を上げて、それから肩を落とす。
皇宮の渡り回廊の真ん中で。
きっと近くに侍従もいるのだろうが、皆見て見ぬふりで出てこない。

声を出したことで少し落ち着いて、ウンスはため息をついて、
また回廊を自分の部屋へと向かって歩き始めた。
ウンスのもといた時代であっても、結婚式の準備はひと仕事である。
それに比べても、この度の決めねばならないことの多さに、
ウンスは恐れをなしつつあった
数日であらかたを終わらせて、チェ・ヨンの屋敷へとさがれるという算段は、
どうやら甘いものであるらしい。

「高麗…、やっぱり一筋縄ではいかないわ」

疲れと感慨と、そこにいる自分をほんの少しだけ面白がるふうに
つぶやく。面白がりでもしないと、すぐに胸が苦しくなりそうだ。

与えられた部屋につながる角を曲がると、
部屋の前には毎度のごとく衛士が微動だにせず立っている。
赤の胸当てに足元まで長く垂れた直垂。
肩までを覆う板鎖の兜に、今日にいたっては口覆いまでつけている。
その物々しさにウンスはどうにも、気圧されてしまう。

今日の衛士はひときわ背も高く、圧迫感がある。
自分の寝床にたどり着いたというのに、ほっとするどころか、
この光景を見るとため息が出る。

「おつかれさま、ですっと」

肩をすくめるように頭をひょこりと下げると、衛士がいつもどおり、
微かに顎を引いて挨拶を返した。
逃げるように扉を開けて、部屋の中に滑りこむ。

「なーんか、わたしのほうが、閉じ込められてるみたいっていうか、
見張られてるっていうか」

ぶつぶつ言いながら、部屋の中へ何歩か進んでところで、
背後の閉めたはずの扉がかちゃりと音をたてた。
振り返ろうとするウンスの目が先ほど部屋の前で見た衛士の姿をとらえる。

何かようなの、と問いかけようとしてウンスは、大きく息を吸いこんだ。
何の誰何もなく部屋に衛士が入ってくるのはあきらかにおかしい。
叫び声をあげるまえに、衛士はかけより、大きな手がウンスの口元を覆う。

相手の顔に爪を立てようとして振り下げた手が、硬い板鎖の表面を滑る。
胸当てを殴ろうとした手首を、強く掴まれる。
口元を覆っていた手が一瞬離れ、ウンスが声を上げようとしたその瞬間、
離した手で衛士は、自分の顔の下半分を覆っていた口布を引き下ろす。

「ひぇっ?」

ウンスの口から、おかしな声が漏れる。

「驚かせて、すみませぬ」

その口元が、なだめるように笑んでからウンスの耳元に近づけられ、
俺です、と低めた声が告げる。

「チェ・ヨン!?」

ウンスが、しゃっくりのように思わず名前を口に出すと、
チェ・ヨンは肩をすくめて、笑いを咬み殺すように顔をうつむける。

「な、なんで? なんで、あなたが、その」

なぜと、そうお尋ねになるか、とチェ・ヨンはため息をついて呟くと、
つかんでいた腕をひいて、動転しているウンスを胸へと引き寄せる。

「しびれを切らしまして」

そう言いながら、腕の中でおとなしくなったウンスの髪を撫で、
口を押し当てる。ちっとも皇宮から下がる気配がありませぬゆえ、
そう不満げにチェ・ヨンが呟くと、ウンスは、ふう、と息をつき、
それから少し身体を起こす。
顔を見せて、と言って見上げると、チェ・ヨンは兜をじゃらりと頭から
取って、足元に落とす。
ウンスは手を伸ばして、チェ・ヨンの潰れた髪を、その指で撫ですきながら
文句をつける。

「三日も会いに来なかったわ」

数日ですむとおっしゃったのはあなたです、とチェ・ヨンは言い返す。
衛士がいるから、こちらでは手を出さぬようにおっしゃったのもあなただ、
そう言われて、ウンスはぷうっと頬を膨らませる。
その様子をじっと見つめてからチェ・ヨンは、正直に言えば、
と切り出す。

「この、なり、を手配するのに少し手間取りました」

あらためて、衛士姿のチェ・ヨンを上から下まで眺めて、
ウンスは、呆れたように肩をすくめ、それからまたチェ・ヨンの顔を見る。

「それにしても、どうして…」

薄く苦笑めいたものを浮かべながら、衛士に変装なんて、とウンスが言うと、
チェ・ヨンはしごく真面目な顔のまま、ウンスの目を凝視する。
ウンスが、わけがわからない、と眉根をかすかに寄せて見返すと、
チェ・ヨンは、その顔を崩さずに言う。

「これなら、人払いの必要もないゆえ」

ウンスは何か言い返そうと、口を開いたまま固まってしまう。
小さく、もうっ、とだけ声を出すと、チェ・ヨンの胸に顔を伏せる。

「呆れちゃうわ」

ウンスが胸に顔を押し付けたまま、くぐもった声で言う。

「我ながら」

チェ・ヨンは密かな声でそう言って、ウンスを抱き上げた。





「チェ・ヨン! お前というやつは! 
大護軍ともあろうものが、虎軍を買収だと!?」

大きな音とともに扉が開き、衝立の向こう側から鳴り響く、
チェ尚宮の怒鳴りつける声でウンスは目を覚ました。
最後のはからいで、衝立からこちらには入ってこないが、
ウンスは寝床に潜りこんで身体を隠す。

「叔母上、買収ではない。ただ、酒を飲み交わして、
少しばかり頼みごとをしただけのこと」

警備の穴があらわになってかえってよかっただろう、
と声にあらわれる機嫌の良さを隠そうともせず言うのを見ると、
チェ・ヨンはすでに床を出て、上着の紐も結び終わり、
胸当てを手早く身につけている。
ウンスを起こさぬよう、身支度を進めていたらしい。
直垂の腰紐をぞんざいに結ぶと立ち上がりかけたが動きを止め、
もう一度ウンスの傍らに腰掛ける。

「それでは、これにて。早く用事をすませて、皇宮をお下がりください」

掛布から目だけを出したウンスの頭を二度撫でて、
今度こそ立ち上がる。

「そうでないと、叔母上のいう買収とやらを、続けねばならぬゆえ」

ちと面倒です、そう言いながら、チェ・ヨンは帯剣し、
がちゃりと音を立てて、兜をつかむ。
衝立からチェ・ヨンが姿を現すと、チェ尚宮がダン、と地面を踏む。

「おまえというやつは、なんという…! それは禁軍の衛士の格好じゃあないか!」

なんでこんな奴に、兵たちは心酔するのか、というチェ尚宮の声に続いて、
ぱかん、と後ろ頭をはたかれたような音がして、急ぎ足で部屋を出ていく
足音がするのを、ウンスはそっと首を伸ばしてうかがっている。

「医仙…いや、ウンス殿!」

静かになったので行ってしまったか、と思っていたところを自分の名を呼ばれて、
ウンスは首をすくめて、慌てて、はい、と返事をする。

「この男をどうか頼みますぞ。ただ一人の女のことになると、みさかいがない!
よくよく見張って首根っこを押さえていただきたい!」

チェ尚宮の気迫に満ちた声が鳴り渡る。
わかりました、と蚊の鳴くような声でウンスが応えると、
チェ尚宮の声はようやく平素に戻る。

「早う支度して、御前に参りますぞ。
一刻も早く話しをすませて、屋敷に下がらせねば、私の気が休まりませぬ」

そう言うと、衝立の向こうで一礼する気配があり、
回廊を歩く足音と、あの悪たれめ、とつぶやくチェ尚宮の悪態が
遠ざかっていく。

すっかり静かになると、ウンスは、ほうっと息を吐いて緊張をとく。
それから、誰に言うともなく、

「悪たれねえ」

とつぶやいて、それから盛大に声をあげて笑った。


(終)

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by kkkaaat | 2015-02-06 22:34 | 金銀花【シンイ二次】 | Comments(42)

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