人気ブログランキング |

筆記



【シンイ二次】蜃楼 2


チェ・ヨン、と久方ぶりに、その前に何の前置きもつけずにそう呼んで、
王は目の前に膝をつく男の顔を上げさせる。
この数年で、わずかに割腹もよくなり、威厳めいたものを
身にまといつつあったのがそげ落ちて、出会った頃よりまだ若い、
そんな風に見えることに驚いた。

それは痩せた風貌のためだけではないようだった。

チェ・ヨンの目つきは二つに一つのはずである。
興味のないものに対しては、まるで置物かそうでなければ、
そこにいないように、素通りする。
残り一つは、ただ真っ直ぐに突き通すような目だ。
偉ぶるわけでもなく、おもねるようでもなく、値踏みもせずに値を決める、
そういう視線にさらされて、王は未だにチェ・ヨンと向き合うときには
微かに緊張するのだ。

その、そよとも吹かないのに風圧を感じる視線が凪いで、消えている。
妙に飄々と明るく、真っ正直だが、気まま。
確かに、テジャンでもテホグンでもなかった頃のチェ・ヨンは、
このような者だったのかもしれぬ、と思う。

そうやって子細に観察しながら、王はチェ・ヨンに言う。

「して、そなたの意は変わらぬのか」

職を辞したい、数ヶ月前に開京を離れるときにした申し出を、
チェ・ヨンはもう一度、御前で口にした。

「チョナ、俺は、しくじったのです」

そのことであるが、と王が繰り返す。
少し困ったように眉をひそめ、チェ・ヨンを椅子の上から見下ろす。

「そちはそう言うが、余が知っておるのは、双城総管府を陥落させ、
取り決めの席でも、見事に徳興君のたくらみを見破り、敵方の肝を冷やして
話の取り決めを幾分有利に傾けた、そういうそちの働きばかりなのだ」

チェ・ヨンの目は揺るがずに、王を見つめている。

「それを失敗(しくじり)だと、チェ・ヨン、そちは言うのか」

王がそう尋ねると、チェ・ヨンは目を伏せて、恥じらうように笑った。
そのような若い笑いがチェ・ヨンの顔に浮かぶのを初めて見た王は、
思わず目をそらす。

「チョナ、ご存知でしょうが」

チェ・ヨンの声が、微かに突っかかるようになる。

「俺は、一度死んだのです。それも」

ひどい間抜けな死に方だ、とチェ・ヨンは自らを嘲笑うように口走った。
俺が何にうろたえたか、わかっているのでしょう、と尋ねられて、
王は、ため息をついて、うつむいて額を触った。

「開京に紅巾が攻め入ったの知らせを受けて、まず俺が考えたのは
きっとあの人の安否だったはずです。そして、我を忘れるほどうろたえた。
チョナ、あなたのことではなかったでしょう。俺にはわかる」

その上無様に敵にやられるような者を、要職につけておくべきではない、
とチェ・ヨンは冷たく言う。
そちがそうであるのは、もう五年も前からわかっておる、と王があまり
取り合わないように、手を振って言うと、チェ・ヨンは少しだけむっとした。

「そちの考えはわかった」

王がそう言うと、チェ・ヨンは先ほどよりもわずかに深く頭を下げた。
王である自分への申し訳なさも、高麗国への未練も感じられない、
どうにも薄い、としか言えぬその様子に、王は引き止める言葉を
うまく紡ぐことができなくなっていた。

王が顔を上向いて、ふう、と息を吐いた。
チェ・ヨンは、ただじっと、王の次の言葉を待っている。
たぶん、余が、下がってよい、と言うのを待っているのだな、
と王は思って、習いで口から出そうになっていた言葉を静かに飲みこんだ。

「して、チェ・ヨン。そちの妻であるユ・ウンスが、
余に〝借り〟があるのは知っておるな」

チェ・ヨンは突然に王が言い出したことに、少し驚いたように目を見開いて、
顔を上げた。
王が自分に対して、貸し借りといったことを口にしたことなど今までない。
何を、と思いながら聞き続ける。

「馬を二頭、それから、開京占拠さるという苦難の状況において、
我が近衛、ウダルチ二十名を与えて城門突破の手助けをいたした。
あの苦境において、ただ馬二頭ばかり、と言えるような貸しでないのは
わかっておるな」

それは変わる前の話だ、実際には馬なぞ一頭も失われてはいないでしょう、
と言いそうになって、チェ・ヨンはその言葉を口の中にとどめる。
チェ・ヨンがそう言ったならば、それならお前が言った、一度死んだ、
というのもなかったことだろう、とおっしゃるはずだ、と思ったからだ。

「はい、我が妻ユ・ウンスへの御厚情、誠にありがたきこと」

崔(チェ)家の財にて贖いましょう、と言うと、王は誠に困った、
という顔をした。
チェ・ヨンは、微かに眉をしかめた。
王がこのような顔をするのは、真実困ったときではない、知っている。
このような、いかにも、な顔をなさるのは。

「いや」

王の口角が、上がった。

「チェ・ヨン、今足りぬのは財ではないのだ」

嘘をつけ、とチェ・ヨンは王を不遜に睨みつける。
高麗国の懐は、いつだって火の車だ。

「禁軍、京軍にも、こたびの乱で大きな被害が出た。
人が足りぬのだ、チェ・ヨン、人手がな」

噛んで含めるように言う王の言い方と、その顔に浮かんできた面白がるような色が
気に入らなくて、チェ・ヨンは身体を揺らした。

「職を辞するという件、よう吟味しよう。
しかしだな、皇宮から下がる前に、ひと働きしてもらわねばならぬ」

何しろ人手が足りぬゆえ、と言った王に、何かを言おうとして
チェ・ヨンが口を開きかけるのに、かぶせるように王が続ける。

「あの馬貴重な折の二頭分、余の身の安全と引き換えのウダルチ二十名分、だ」

そう言われると、チェ・ヨンは何も言えずに、口を引き結んだ。
なあに、開京が落ち着くまでの短い間だ、と王が言うと、
チェ・ヨンは仕方なしに、は、とうなずいた。



「テジャン、お待ちを」

トクマンが、部屋の前で、チュンソクを呼び止めた。

「なんだ」

紅巾らの乱から連日の昼も夜もなく働いて、あまり声を荒げることのないチュンソクも
さすがに機嫌の悪そうな調子を隠せていない。

「新入隊のことで、ちょっとお話が」

このくそ忙しいときに、そんな話をしている暇はない、お前が処理しろ、
とトクマンに言って立ち去ろうとすると、腕をつかむようにしてチュモが
引き止める。

「それが上からの強い推挙がありまして」

普段は言われたことに素直に従うペクスまでが、妙に絡んでくる。

「家柄身分は十五番目、推挙は百五番目、剣、弓、槍、体術の優れ、
腕の立つことが一番だと、何度も言っているだろうが」

そうチュンソクが言うと、三人は顔を見合わせる。
トクマンが、わざとらしく顔をしかめて、言う。

「それが、チョナからの直接のご推薦らしく」

は? とチュンソクの動きが止まる。
この時期に、王直接にこの于達赤隊に人を送りこむとは何の思惑だ、
と首を傾げる。

「テジャン、あのテジャンの部屋で待つように伝えてあります」

誰をだ、と考えこみながらチュンソクが言うと、チュモが答える。

「新入隊員です」

なに、もう来てるのか、とチュンソクが驚いて言うと、
三人はもう一度目配せをしあって、はい、とうなずいた。
足早に隊長室に近づいて、チュンソクは勢いよく扉を開け放った。

チュンソクの口が、開け放たれた扉よりも大きく、開いたまま戻らなかった。

「イルビョン(一等兵)、チェ・ヨン。
本日より于達赤隊の所属となるよう、王命を受けてまいりました。
ご報告申し上げます」

これは、何のまねですか、とチュンソクがうろたえたのを隠しもせずに、
そう言った。何かの冗談でしょうか、とひとかけらの望みをかけて、
チュンソクが言う。

「冗談なぞではない。チョナは大真面目だ」

チェ・ヨンは、大きくはあ、とため息をついて、そう言った。
ということは、とチュンソクがさらにうながす。
そうだ、今日から俺は、お前の部下だ、チェ・ヨンにそう言われてチュンソクは、
雷に打たれたように、何も言えずにしばらくの間、立ちつくしていた。

それを見て、チェ・ヨンの口が初めて、面白がるような形を作った。



「よろしく頼むぞ、テジャン」



にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村
by kkkaaat | 2013-12-29 00:18 | 蜃楼【シンイ二次】
<< 新年のご挨拶(小話あり) 【シンイ二次】夜番 >>

二次小説。いまのところシンイとか。
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新の記事
カテゴリ
記事ランキング
ブックマーク
以前の記事
検索
その他のジャンル