筆記



【シンイ二次】蜃楼 10


「チュンソク」

最初に名前を呼ばれて、チュンソクは思わず飛び上がりそうになった。

「ウンスから、聞いた」

そう言いながら、チェ・ヨンは、はあ、と息を吐き、
わずかばかり視線を落として、それからチュンソクをまっすぐに見た。
チュンソクは目を合わせ、その視線の強さに恐縮したように目を泳がせたが、
こらえてチェ・ヨンに目を戻した。

「ウンスが天門を目指して城を出ると言い張ったとき、
我が妻の意を支えて、すぐにも、と王に進言したそうだな」

チュンソクは覚えのないことを言われて、何のことか、と言いかける。

「はっ、いや…いえ、あの」

すぐにチェ・ヨンが言っていることが、ウンスとテマンだけが
体験したあの不思議な話のことだとわかって、
返答に困って口ごもる。
その仔細はテマンから聞いている。
我ながら胸のすくような話である。

チュンソクは言葉を喉で止めたまま、半開きの口のまま動きも止めた。
していないとも言えず、かと言ってしたわけでもなく。
確かに、そのような事態に行き逢えば、必ずやそう言っただろうと、
話を耳にしたときは思ったが、ならばしかと自らのしわざかと
言われれば、もちろんそのような覚えはないわけで。
チュンソクはようやく腹を決めて、口を開く。

「ユ先生を危険へと送り出したこと、我が一生の不覚とは思えど、
悔いているかと言われれば-」

チェ・ヨンの手のひらが、すいと上がって、チュンソクに向けられ、
穏やかに言葉を止める。

「不覚なのは――」

俺だ、とうっすらと自責の微かな痛みをこらえるように目をすがめ、
チェ・ヨンはそう言った。
へまをした、と目を伏せて笑う。

「そして、お前に」

お前らに、とわずかな目の動きで于達赤たちを指し示す。
またチェ・ヨンはチュンソクに目を戻して、言う。

「命を助けられた」

于達赤の隊員たちの胸が、息を吸い込んで膨らみ、
自然と顔が上がる。
チェ・ヨンの頭が下がる。

「ウダルチなくしては、俺の命もまた、なかったろう。
礼を言う。万謝を尽くしても足りぬ」

言葉でいくら言うても…足りぬな、とチェ・ヨンが顔を上げ、
空(くう)を眺め何かを思いながらそう言うと、
男たちの口元は厳しく引き締めようとする意志に逆らって緩み、
歯でその誇らしげな笑みを噛み潰そうとして
おかしな形に歪む。

「しかし」

ふと我に返ったチュモが、左右でうっとりと言っても
いいような表情でチェ・ヨンを見ている仲間の顔を見たあと、
恐る恐る口を開く。

「テホグン」

俺は、その、おっしゃるようなことは何もしておりませぬ、
礼を言っていただくようなことは何も、とチュモは言う。
途端に于達赤の隊員たちも、夢から覚めたように互いに顔を
見合わせた。

それぞれに、自らが火急の折に、大護軍の奥方ウンスを
どのように助けたかについては微に入り細に入り、
テマンから聞き出している。
まるで自分が本当にやったような気さえするほどだ。

開京にチェ・ヨンたちが戻ってきてから、テマンが夜の飲み代(のみしろ)
を自分の懐から出したことなどひと晩たりとてない。
酒を一杯テマンの前に置くと、俺は城門を走り抜けたときに、
どうなったんだ、と一人が尋ねる。

「お、お前は、馬から、落っこちたんだ、どうっと音がして」

と答える。落ちただと、そんな馬鹿な、と男が言うと、

「こ、黄巾に引きずり下ろされたんだ。
だけど、だ、だだれも止まらなかったぞ。
お前は立ち上がって、後ろからせ、せ、迫り来る黄巾の前に、
こう、こう立ちふさがった。おおお俺が見たのはそこまでだ」

と答える。聞いた本人は感じ入って満足そうに、うなずいている。
すると次の男が、空けられたテマンの杯にもう一杯ついで、
で城門から出たところで、チュモとペクス以外
はどうしたんだ、教えてくれ、と迫るというふうだ。
テマンの話は要を得なかったが、話をつなぎ合わせ、手繰り寄せ、
それぞれがそれぞれの英雄譚を作り上げていた。

「俺らがユ先生が天門へ行くのを手伝って、
それで、天門が時を巻き戻してくれてテホグンが
生き返ったようだってのはわかってるんですが」

その、俺には覚えがないんですよ、と消え入るような声でチュモは言う。
誰かが、でもお前は馬が倒れるまでテマンに同道したんじゃないか、
と言うと、テマンがうんうんとうなずく。
チュモはそう言われてもなあ、と生真面目に答える。

「そこが困ったところだ。俺も死んだ覚えがなくて、な」

チェ・ヨンが薄く笑いながらそう言うと、于達赤の隊員たちは
笑っていいものか迷って、中途半端に笑ったがぱらぱらとした
その笑いはすぐにやんでしまった。

「そう、だな」

そうひとこと言ったきり、チェ・ヨンはかなり長い間黙りこんでいた。
皆は何か言った方がいいのかと、互いに目配せをし合うが、
隊長であるチュンソクが辛抱強く黙っているので合わせて口をつぐむ。

「そうだな、起こってもおらず、覚えもない出来事だ。
そこに有ったとも思えるが、しかと有ったかと言われればかき消える」

うん、とチェ・ヨンは誰にというでもなくうなずく。
于達赤たちは、曖昧に調子を合わせるようにうなずく。
だがな俺は、チェ・ヨンがもう一度皆を見回した。

「やはり礼は言う。きっとお前たちはこうして何度も」

俺の命を拾う手助けをしてきたのだ、ありとあらゆるときに、今までもこの先も。
そうチェ・ヨンが低めた声で言うと、皆は照れくさそうに
身体を揺すったり、足を動かしたりする。

「トクマン」

いきなり名を呼ばれて、トクマンはぴょんと飛び跳ねるように姿勢を正した。
チェ・ヨンはトクマンの正面まで歩み寄り、相対した。
何かを言おうとして、チェ・ヨンはトクマンをまじまじと見て、
わずかに首をひねった。
チュンソクと向き合うのとはわけが違うようだ。
言いづらそうに口を開く。
トクマンは口を真一文字に結んで、期待に鼻の穴が膨らんでいる。

「トクマン、お前は城からの血路を開く一番手に、
名乗りを上げたと聞いた」

はい、とトクマンは返事をしたあと、少しばかりにやにやと
顔を崩しながら身体の前で手をこすった。

「いやあの、自然とこう言葉が出たと言いますか、
俺のテホグンをお慕いする気持ちがね、言葉と行動となって
あふれ出たっていう」

あ、まあ俺言った記憶はないんですけどね、まあ自分のことですから
そうだろうなあ、ってのはわかるんですよ、とトクマンは
ぺらぺらと喋り続ける。
チェ・ヨンはいつもの調子のトクマンに微かに苦笑を浮かべた。

「俺は、俺はですね」

トクマンの声が高くなった。少しばかり調子に乗ったふうだった
表情が、自分の言葉に高ぶったのか、引き締まる。

「俺なんかは、死んだってかまわないけど、
テホグンは死んじゃならない、死なせない。
たぶん、そう思ったんです。
たぶん、テジャンもテマンも、他のみんなも」

突然そんなふうに熱く言われて、チェ・ヨン面食らったように
言葉を失った。
トクマンは、なんとなく恥ずかしそうに、鼻の下を擦り、
他の于達赤の隊員やチュンソク、そしてテマンも、
トクマンの言葉にうなずいている。

チェ・ヨンは口を開きかけ、そのままひと時止まり、
咳払いをした。
こぶしを口元に置いたまま、言葉を探す。

「お前たちの信義に俺は―」

チェ・ヨンはそこまで言って、声をと切らせる。
于達赤たちは続きの言葉を待って静まり返り、
兵舎の中は妙に張り詰めた空気で満たされている。
と、入口近くの兵が振り返る。

「あ、ユ先生」

その声でさらに数名が振り返る。
入口の柱の物陰からこっそりと覗きこんでいたウンスが慌てて、
口元に指を立てたり、口を閉じる仕草をしたが、
間に合わなかった。
チェ・ヨンの視線が、于達赤から流れてウンスに止まる。
目が丸く見開かれて、チェ・ヨンの口からごほっと言うような
おかしな咳がもれた。

「なぜ、あなたがここにいらっしゃるのですか」

チェ・ヨンがつぶやく。
ウンスは覗いた場所からばつが悪そうに肩をすくめて出てくると、
つづけて、続けて、と声を出さずに口の形だけで言いながら、
手つきでも続けるようにうながした。

戸惑うように頭を振って、チェ・ヨンはうながされるままに、
口を半ば開けて言葉を探している。
于達赤の隊員たちのチェ・ヨンへの熱誠を帯びた視線はそのままだ。

「俺は―」

チェ・ヨンは言葉が見つからず、また口元にこぶしを当てて、
喉の奥を鳴らすような咳をする。
なかなか話そうとしないチェ・ヨンに、トクマンなど、
少し首をかしげて、顔を覗きこむような仕草を見せるほどだ。
チェ・ヨンがうつむき気味に皆から顔を背けるようにしていると、
ウンスが素っ頓狂な声を上げた。

「あら、この人。照れてるんだわ」

くすくすと笑って、両手で口元を押さえているが、
笑っているのが隠しきれない。
于達赤の隊員たちがまずウンスを見て、
それからいっせいに振り返りチェ・ヨンを注視する。

「おやめください!」

チェ・ヨンが目を怖いように見開いて、背筋を伸ばして、
ウンスに向かってそう言った。
恐ろしげな声で言っているが、皆の目は、
チェ・ヨンの顔でなく、首筋に吸い付けられる。
誰も口に出しては言わないが、武人としては色白なチェ・ヨンの首が薄く、
しかし皆にわかるほど紅潮していた。

「こ、これは…」

チュンソクの口から、余計なひとことが転がり出た。
聞きつけてチェ・ヨンが、じろりと睨みつける。
あ、いや、見ておりませぬ、見ておりませぬ、
と上ずったように言ってチュンソクは目をそらした。
これがまたチェ・ヨンの気に障ったか、つかつかと歩み寄る。

チェ・ヨンはチュンソクの真ん前に立ちはだかって、
震え上がるような目つきでチュンソクを見下ろした。

蹴られるか、剣の柄でこっぴどく小突かれるか、
覚悟してチュンソクは歯を食いしばる。
もうそんな立場ではないのだが、この鬼将軍の前に立つと、
いつもテジャンの下のプジャンの心持ちに戻ってしまうのは直し難い。
チェ・ヨンはしばらくチュンソクの前に棒切れのように
突っ立っていたが、何か思うように目を細め、
口元が苦虫でも噛み潰したように歪むと、急にふいと横を向いた。

それから、ウンスの腕をつかむと、
黙って引きずるように行ってしまった。

ちょっと、止めてよ痛いじゃないのよ、
とウンスの抗議する声が聞こえていたが、
あっ、担ぎあげるのはやめて、やめて、わかったから、
と言う言葉を最後に聞こえなくなった。

于達赤兵舎の広間に集まった精鋭たちは、いっせいに大きく息を吐いた。



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by kkkaaat | 2014-03-21 00:02 | 蜃楼【シンイ二次】
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二次小説。いまのところシンイとか。
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