「あー、面白かった! 見たあ? あのヨンの顔!」
二手に分かれて、互いの姿が見えなくなった頃、馬車の中からくすくすと思い出し笑いの声とともに、投げられた声に、思わずジホが手で口元を押さえる。
「あんまりからかうもんじゃないよ」
マンボ姐が、くくっと笑いながらも、ハヤンを諌めると、いやああいつも意気地がねえよ、とマンボ兄が横から口を出す。
「やっちまう機会なんていっくらでもあったじゃねえか。
同じ屋根の下で暮らしてたんだし、俺らがいるのが気まずいんなら、
この移動のあいだは離れてたんだしよお」
かー、あいつもだらしねえなあ、と首をひねるのに、馬鹿だねえ、医仙はお産をしたばかりだよ、これだから男は、とマンボ姐がかばうように言う。
マンボ兄は鼻で笑って食い下がる。
「でもよ、あれだろ、俺たちが着いた頃にゃあ、さすがにもういい頃あいだろう」
草を食もうとする馬のたずなを引いて、前へと進めながらマンボ姐は答える。
「ヨンはねえ、医仙のことなるとまあ、前っからああじゃないか。
やたらに心配ばかりして甲斐甲斐しくてねえ、
水だって薬だって全部手ずから飲ませてやって、
だいぶん元気になった後だって、そりゃあこまごまと世話しててねえ」
壊れもんでも扱うようだったからね、今でもきっとそうなんだろうよ、と懐かしそうに言うマンボ姐に、シウルが付け加える。
「ありゃあ度を越してたぜ!
やれクッパは二杯食わせてやれ、水はいるか、酒はいるか、
いや病み上がりだから酒はだめだ、熱いってえと冷ましてやるから小さい椀を出してやれ、
俺はあんなヨン兄を初めて見たからさ、ちっとばかり呆れたよ」
ジホがまた笑いをかみ殺しながら、櫛はどこで買えばいいのか、服はどこで買えばいいのか、マンボ姐さんのところに聞きにきてたよな、と相槌を打つ。
「医仙のものを買うとは言わないんだけどさ、ばればれだったよな」
シウルがそう言うと、
「だからね、まあ今度のこともヨンなりに、機を見計らってるんだろうさ」
マンボ姐が微笑んで返す。
シウルはヨンたちが進んでいるだろう方角を、馬の上に立って手をかざして眺める。
それから小さく馬の背中をかかとで軽く蹴ると、だく足で進ませる。
「お前、弓よりこ曲芸の上達のほうがはえんじゃねえか?」
マンボ兄が感心したようにそう言うと、シウルは得意そうににやりと笑ってみせた。
「ねえねえ、もうひと方、おとりがいるんでしょう?
あちらさんもひと芝居打つのかしら?
やっぱ無理よねえ、むさくるしいウダルチのおんな姿だものね、
あたしとは違うわよね~?」
ハヤンがヨンの気苦労などどこへやら、そんなことをぼやいていたころ。
えーっくしょいっ、とチュモが大きなくしゃみをした。
なんだあ、風邪か、女物の着物はスースーするからなあ、とトクマンが声をかける。
「なあ、トクマニ」
兵営を離れ、襲撃もない、ただひたすらにのんびりとした道行の中、とうとう箱馬車の中でかつらも外してしまったチュモが鼻の下をこすりながら、横のトクマンに話しかける。
「だからさあ、ちゃんとテホグンって呼べって言ったろ」
あくびをしながら答えるトクマンの声も、緩みきっている。
仲間だけの旅程に、すっかり昔のウダルチ同士に戻っている。
「なあ俺たち、これでいいと思うか?」
正直、おとりになっているとも思えないんだが、とぼやくチュモに、トクマンが答える。
「そうは言っても、二日にいっぺんは、偵察の気配があるんだし、いないよかましだろう」
うーん、とすっかり着くずれをなおそうともせずに、チュモは箱馬車の中であぐらをかく。
今からでも何人か追いかけて、何かしらお助けしたほうがよかないか、と膝を叩きながら言うと、横で聞いていたエジが首をふる。
「だめだ、だめだ。つけられたら相手の思うつぼじゃないか。
それにな、偽物でも俺たちがこのままケギョンまで行くことに意味があるのはわかってるよな」
少し声を低くして、細い目をもっと細めてエジが続ける。
「医仙が戻ったってのはコリョのテホグンチェ・ヨンの策略で、罠にかかって皆やられた、この一行もその罠のひとつだったってあちらさんに伝わりゃあ、それでいいんだ」
そうだ、その通りだ、とトクマンが答えると、聞いていたムサが驚いたようにそのつるつるの頭をぺちんと鳴らす。
「なーるほど、そういうことなのか!
おりゃあずいぶんと楽な任務でおっかしいなあと思ってたんだよ」
というと、トクマン、チュモ、エジがいっせいに、わかってなかったのか! と声をそろえる。
「テホグンもご夫人も、ご無事でいらっしゃるだろうか」
チュモはため息をつきながら、簾から細く透けて見える空を見ながら、そうつぶやいた。
くちゅんっ、とウンスが小さくくしゃみをすると、ヨンがたずなを引いて、馬を寄せる。
馬の後ろに詰んだ荷から、自分の衣をすぐに引き出すと、何も言わずに身を乗り出してウンスの肩にかけた。
「大丈夫よ、暑いくらいだわ」
ウンスが眉をしかめてかけられた衣を、つまんで持ち上げると、念のためです、と脱がぬよう目顔で押しとどめる。
「大げさね」
と肩をすくめると、用心深いと言ってください、とヨンは答えた。
ウンスが身体を揺すって着物を背中側にずり落とそうとすると、手綱さばきで少しだけ下がり、さっとまたそれをもとに戻してしまう。
「もうっ!」
ウンスは短く抗議の声を上げたが、あきらめてそのまま馬を歩かせ続ける。
ヨンはまたウンスの馬の横にチュホンを並べると、満足そうな笑みを顔に浮かべた。
それからうつむいて、ヨンは、胸元の赤ん坊に向かって話しかける。
「お前の母は言いだしたらきかぬ人だ。
ゆえに、俺が面倒を見なければならぬことが多くてな」
思わず、二人の後ろに馬を並べているチュンソクとテマンがぷっと吹き出すと、ウンスは振り返り、鼻の頭にしわを寄せて、おかしな顔で睨みつけた。
街道は海岸へと伸びているが、そこから南へ続く脇道にヨンは馬を進める。
「このまま行くと、今晩にはつけるだろう」
ヨンがそう言うと、チュンソクとテマンはほっとしたように、顔を見合わせた。