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筆記



2013年 12月 10日 ( 2 )


【シンイ二次】颶風15


「大丈夫よ、ちょっと深く切っただけ。
縫ったところはいつもきれいな布で覆っておいて」

ウンスはそう言ったが、内心、余分な布などないのだとわかっていた。
横にいたトギが、腕にかけた籠の容器から薬をすくいとって、傷口に薄く塗る。
府令が出てすぐに、トギは自分の家とチェ・ヨンとウンスの屋敷から洗いざらいの
薬や道具を引き上げて、皇宮へとやってきてくれていた。

皇宮の中は、人でごった返していた。
王と王妃の使う、乾安殿の寝間と続き部屋、文官武官たちが使う、
便殿、長和殿を除いたほとんどすべての部屋に、城下の者たちが入り込んでいる。

王の府令によって屋敷から皇宮に身を寄せた貴族たちは、最初の三日ほどは、
満足に部屋が与えられないことについて憤っていたが、
五日目に京門が破られると、声を潜め、逆に身を寄せるようにして恐れをしのいでいた。

都を守る六衛は、その時に開京に在していた一万と数百の兵をもって、
五日ほどを持ちこたえた。
王都をぐるりと取り囲む、長い京壁に何度も立てかけられる高梯子や、
鈎つきの縄を弓と剣を持って撃退を続けていたが、
五日目にどこからか、見たこともないような大木が持ちこまれ、
それを二百人ほどの頑強な男たちが破城槌にして玄武門を破ると、
すでに数の見当をつけることも難しくなった紅巾は、
なだれを打って開京の城下に流れこんだ。

四方八方から現れる群民に、左右衛は各門の檣楼部に、金吾衛は兵営に立てこもり、
その他の六衛の一部は皇宮まで撤退することに成功する。
王は南大門を始めとした京門が破られた場合、兵力を温存して篭城戦へと移行せよ、
と命じていたのだ。

すでに城下は家屋敷を除けば、空になっていた。
この五日の猶予で、そのほとんどが、皇宮に逃げこむか、密かに城外に逃げ出すか、
そうでなければ紅巾の仲間に加わっていた。

人けのない城下は、紅巾たちの怒りを受け止めかねていた。
荒れ狂う群衆は、屋敷の調度を奪い打ち壊し、食糧を求め軒先をあさったが、
すでにめぼしいものは皇宮へと運び出されたあとであり、一万を越える大人数の
気のすむほどのものは、残ってはいなかった。

紅巾の群民が居座り、城下から動かなくなって二日。
高麗の王都をせしめたものの、手に入ると言われていたものなどどこにもない、
そのことに気づいた群民は、ふつふつと怒りを積み上げはじめていた。

京壁、京門と違って、城壁は二倍の高さ、城門は四倍の強固さを持つ。
禁軍の持つ弓は、六衛の持つ弓の二倍の力がなければ引けぬしろものだ。
帯剣しているとはいえ、私兵以下の紅巾は、城を攻めあぐねている。
けれど、高い城壁から射られる恐ろしさよりも、積み上げられた怒りが高くなるまで、
そう時間はないと、皇宮の中のものたちにもわかっていた。

皇宮に逃げこんだ人々は、慌てての避難で怪我をしているものも多く、
この日もウンスは、その治療に走り回っているところだった。
瞻星台から皇宮へ、トクマンの馬でかけ戻ってからすでに七日。
ようやく患者の列が途切れて、ウンスは疲れきって乾安殿へと足を向けた。

「入ってもいいかしら? チョナは、来てます?」 

ウンスも使わせてもらっているこの部屋は、王と王妃の休息所としての部屋で、
時折二人が話していることもあって、ウンスは入り口の武女子に尋ねてから
扉を開けた。
王は便殿に昼夜詰めきりで、ほとんどこの部屋には戻らなくなりつつある。

ウンスが入っていくと、中ではチェ尚宮と王妃が、慌てた様子で立ち上がり、
二人同時にウンスを見た。
王妃がウンスに駆け寄った。
その両手が、ウンスの両手をつかむ。

「聞きましたか」

大きく見開いた目の、恐れをたたえて黒々と濡れた様子に、
ウンスはびくりと後ずさった。
いいえ、と発した声が揺れた。

「いいえ、何も聞いてはいません」

城門が破られたのだろうか、それにしては静かだ。
そう、やけに静まりかえっている。
怒ったり喚いたり、何かしら騒々しかった皇宮内が、何か諦めにも似た空気で満たされて、
皆が黙りこくってうつむいているような気配だ。
チェ尚宮と王妃が顔を見合わせる。

「いま、テマンが和州より戻りました。ウンス殿、あなたを探していると」

何があったのですか、と自分がひらべったい声で言うのを、他人事のようにウンスは聞いた。
私たちも、まだ知らせが何なのかは聞いておらぬのです、と王妃が言うが、
その声に悲痛な響きがある。
あのもの、ずっとそなたを探してうろたえていて、王のもとに連れていかれました、
と王妃が言う。泣き通したように目が赤くて、と言う手と唇が小刻みに震えている。

城外からいかにしてか、皇宮まで忍び入りまして、この乾安殿にあなたがいると聞いて、
手続きも踏まずにここに立ち入ったのです、といつもは落ち着いたチェ尚宮が、
狼狽して手で額を押さえているのだから、テマンの様子はよほどおかしかったのだろう。
ウンスは、息が詰まったような、喉の苦しさを覚えた。

「何があったの」

と呟いて、やおら踵を返して、便殿へと走ろうとした。
テマンの口から直接、聞かねばならない、と思ったのだ。
その時に、離れた回廊から、お戻りになっていますが、取次ぎをお待ちください、
と慌てたように告げる声が聞こえる。
その声をすり抜けて、重いのに早い、乱れた足音が近づいて来る。
ユ先生、と呼ぶ声がぞっとするほどしわがれている。
いつもの猫のような歩き方が嘘のようだ。
よろめくような、それでもただひたすらに急ぐような。
ウンスは扉に飛びついて、開け放った。

「テマン!」

名前を呼んだつもりが、悲鳴になった。
角を曲がって現れたテマンの顔を見て、ウンスは心臓が一瞬止まる。
いつもの、ヨンが特に作らせたチェ家の兵服も鎧も身につけていない。
紅巾に紛れるためなのか、農人の着るような白茶の上下を黒い帯で結んでいる。
手足も顔も煤で汚れ、その顔の真ん中で、目が赤く充血している。
怪我はしていない、病の兆候もない。

けれども、その目の中にある絶望の色を、ウンスは一瞬にして読み取った。
泣いてはいない。
ただ、その顔からはすべての表情が取り払われていた。
あのいつも生き生きとして、ひと時もじっとしていない表情が、
黒く煤けてぴくりともしない。

「ユ先生…」

ウンスの姿を認めて、テマンが大きく息を吸いこんだ。
今まで息を失っていて、それを一息で取り戻そうとでもするように、一息だけ深く。

「ユ先生、…違う…違う、医仙さま、お助けください」

テマンはその後の言葉を、言葉として言うことができずに、
ウンスの顔に口を近づけて、息ほどの大きさで絞り出した。

ウンスの両手がまるで重い枷をつけられているかのように、
じりじりと口元まで上がり、指が瘧のように震え、

それからだらりと落ちた。




ちょっと長かったので切りました。
続けてもう一話あげます。


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by kkkaaat | 2013-12-10 23:52 | 颶風【シンイ二次】

【シンイ二次】颶風14


城門が近くなると、門扉の轟きは、耳の潰れそうなほど大きくなった。
城外から沸き起こるときの声と対照的に、城門の内側からは、指示を出す慌てた声が
右往左往している。
突然、大太鼓のようだった規則正しい音が、つんざくような軋む音にかき消された。
大木が倒れる、森の中にいれば、そう思っただろう。

「扉を突破したな」

チェ・ヨンがそう言うと、イ・ソンゲの顔がわずかに苦しげに歪んだ。
行きましょう、とイ・ソンゲが、ただそれだけを言う。

回廊を前から、伝令が走ってくる。
遠目には城兵に見える一群だが、少し寄れば、先頭のチェ・ヨンが双城総管府の長、
趙小生を引きずるように歩いているのがすぐにわかる。

あっけに取られて立ち止まり、反射で剣を抜くが、十歩ほどの距離で構えるという
ほどもなく剣を前に立てて、呆然とこちらを見ている。
ヨンの後ろで誰かが剣を抜く気配があったが、
ヨンは待たずに小振りな雷功を軽く手でも振るように放った。
兵が、崩れ落ちる。
それを足で蹴ってよけるようにして、一群は進んだ。

「殺さないのか、甘いやつだ」

唇を震わせながら、趙小生が言ったが、必要があればやる、
とチェ・ヨンが見下ろしてそう言うと、黙った。
イ・ソンゲが、あの扉を開けて、その次の巻き上げ戸を上げれば城門です、と告げた。

抜剣せよ、と間をおかずにチェ・ヨンが言う。
薄暗い中にたった一本の松明がかかっている回廊で、
数十本の剣に、松脂の橙黄色の炎が映って閃いた。
かちかちと耳元で音がするのを、チェ・ヨンは横目で見る。
イ・ソンゲの口元が震えおののいていた。

「いいんだぞ、ここで待っていても」

チェ・ヨンが奮い立つような表情に似合わぬ、優しい声音でそう言った。
武者震いです、とイ・ソンゲが言うと、後ろの手だれの高麗兵たちが、
みな低く笑った。
イ・ソンゲは怪訝な顔をして、振り返る。

「初めてのやつは、みなそう言う」

チェ・ヨンは言いながら、足を踏み出した。
巻き上げ戸もそのままで、横の通用扉からまず古参の高麗兵が出る。
扉前を守っていた城兵は伝令が出てきたと思って、背中を向けていて、
一刀のもとに地を這った。
玉がこぼれ落ちるように、高麗兵が狭い扉から一人ずつ走りでる。

外はすでに乱戦めいた模様を見せ始めているが、壊された門扉に向かって、
正面を向いて戦っている城兵も多く、チェ・ヨンらが出て行くと、
その兵を挟み撃ちにするような形になった。
高麗兵たちは、城兵が気づく前に、剣をその身体に突き立てた。
もともと数で劣る城兵の戦況は、みるみるうちに悪い方へと傾いていく。

イ・ソンゲは援護をしてくれるはずの武臣を探して戦場を駆けていく。
チェ・ヨンはその背中を見送ってから、口を開く。

「言え」

チェ・ヨンが趙小生の耳に鬼剣を当てた。
ぶるぶると、双城総管府の長は首を振る。
皆殺しになるぞ、それでもいいのか、とチェ・ヨンが言うと、
最後の一兵までここを死守するのだ、と血走った目で睨みつける。

チェ・ヨンは、はあ、と呆れはてたため息をつくと、
すい、と剣を動かした。
裏返った悲鳴を、趙小生が上げる。
顔から耳が半分ほど離れ、すぐに伝った血が顎からぽたぽたとたれ始めた。

趙小生が、ひいひいと泣きながら、耳を押さえた。
チェ・ヨンは、壊れた門扉に目をすえる。
離れているが、東北兵馬使ユ・インウの気配を捕まえて、
そこに視線と気をやると、向こうでも気づいた気配があった。

一人立ち止どまっているチェ・ヨンを見つけては、斬りかかってくる兵もいたが、
ことごとくテマンに退けられる。
チェ・ヨンが大きく息を吸う。

「剣をおさめよ」

腹のそこからびりびりと響く声が、辺りに鳴り渡ったが、一瞬手を止めたものも、
間をおかずまた剣を交え始める。門扉の向こうで、指示を出す声がしたが、それでも
すぐには止まらない。
チェ・ヨンは門扉横の鐘楼の鐘に向かって、手を伸ばした。

雷光一閃。
目の潰れるような光が辺りを照らし、鐘が弾けとび、がらんがらんと大音響を
立てながら、どこか城外へと吹っ飛んだ。
騒がしい戦場が、とたんに静まり返る。

「剣を、おさめよ!」

チェ・ヨンがもう一度言う。
そして、襟首をつかんで引っさげていた趙小生を目の前の地面に転がすと、
その身体をまたいだ。
首元に、鬼剣を立てるように構える。
われは高麗国大護軍、チェ・ヨンである、と言うと、なぜ背後にいるのかと、
城兵たちが色めき立つ。
高麗兵たちがじりじりと下がって、チェ・ヨンを守るように輪を作った。

「双城総管府の長、趙小生殿より、大事な話があるそうだ」

顎をしゃくって、チェ・ヨンは趙小生に話せ、と合図する。
趙小生は、はあはあと喘ぐばかりで、何も言わない。
チェ・ヨンが無表情のまま、首に剣先を食いこませると、ぷつりと小さな穴があいて、
血玉が丸く首に浮かび、つい、と横に流れた。

「降伏いたす…」

趙小生はかすれたよく聞き取れない声で、ようやくそう言った。
聞こえぬ、とチェ・ヨンが手に力をこめると、趙小生は悲鳴のように繰り返した。
呆然と動きの取れぬ城兵の中を、ユ・インウが進み出てきた。
チェ・ヨンと目があって、満足そうにうなずく。
剣を趙小生に押し当てたまま、チェ・ヨンは口角を持ち上げてうなずきかえす。

「みな、聞こえたな。趙小生殿は、高麗王のもとに下る、と言われている。
元はこの和州も高麗の地。お主たちもまた高麗の民である。
高麗王は慈悲深きおかたであるゆえ、恭順の意を示し、投降すれば、
また高麗軍で地位を与えられるものもあろう」

ユ・インウがそう話す。
その声は指揮で多少ひび割れているが、砦のすみずみまで響き渡る。

「慈悲深き高麗の王に下るものは、今ここで剣をおけ。
命の最後のひとしずくまで戦うというものは、このユ・インウがお相手いたす。
前に進み出よ」

誰も、ぴくりとも動かなかった。
その中を、イ・ソンゲがかけ戻ってきた。
後ろに父親のイ・ヤチュンの姿が見え、ほか幾人かが足早に着いてくる。

イ・ソンゲとチェ・ヨンの目が合った。
チェ・ヨンが、ユ・インウを眼球で教えると、イ・ソンゲはその前に歩み寄り、
膝をついた。続いて、その後続もみな、並んで膝をつく。
からり、と剣を地面に置く音がしたと思うと、城兵たちが次々に剣を置いた。

高麗兵が無言でその剣を走って集めはじめる。
チェ・ヨンは、趙小生の喉元から剣を外し、兵服の裾で剣を拭うと鞘に戻した。
それから趙小生の上からどいて、一つ蹴りを入れる。
趙小生は、小さく、うう、と呻いて身体を丸くした。
ユ・インウの元に歩み寄ると、イ・ソンゲたちが立ち上がるところだった。

「よくやった、お若いの」

ユ・インウがチェ・ヨンに向かってそう言うと、イ・ソンゲが目を丸くして、
チェ・ヨンを振り返った。
自分を「お若いの」と呼んだ男が、そう呼ばれたのに意表をつかれたらしい。
チェ・ヨンはイ・ソンゲの顔を見ると、にやりと笑ってみせた。



東北兵馬使ユ・インウ、宗簿令キム・ウォンボン、大護軍チェ・ヨンの三名が、
会議に立ち会うべく、大広間に向かって進んでいた。
先導をするのはイ・ソンゲだ。
門卒の鎧を脱いで、落ち着いた紫の衣に着替えている。
こちらに気を使ったのか、胡服ではなく、高麗風の仕立ての服を来ているが、
髪だけはまだ元風に整えているのがちぐはぐな印象だ。

広間ではイ・ヤチュンや趙小生の叔父、趙轍をはじめとして、
この双城総管府陥落に功成し遂げた、寝返り者たちが待っている。
チェ・ヨンの後ろに歩く中郎将二名が、その人数分の
あらかじめ開京より運んできた書状を抱えている。
高麗王より、品階を賜るというわけだ。
列の最後尾に、テマンがチェ・ヨンをうかがうように着いてくる。

チェ・ヨンは高揚が一気に冷めて、手も足も冷え冷えとしていた。
腹の底に、勝ち戦の快味がわずかに熱をたくわえているが、それだけだ。
いつもそうだ。目的を果たすまではいい。
戦は終わってしまうと、残されたものばかりが目について、うんざりする。
以前、于達赤隊員の亡骸を前にして座りこんで、うんざりする、
とこぼした時に、チュンソクがしばらく黙った後、チェ・ヨンに言ったことがある。

「テジャン、うんざりしているようには見えませぬ。物哀しくおなりなのでは」

チェ・ヨンはチュンソクをじろりと睨みつけたが、チュンソクは臆すことなく
見返してきて、結局チェ・ヨンの方が目をそらすことになった。

書状を一枚ずつ広げて、読み上げて、渡して、その手順を思うと、
それこそ本当にうんざりとした気分になった。
それから、延々と続く、細かな講和の取り決め、駆け引き。

「そうあからさまに顔に出すな」

ユ・インウが、チェ・ヨンに話しかけた。
攻城戦にしては楽な方であったが、この老武将も、疲労の色は隠せなかった。
ただでさえ深い眼窩が落ち窪んで、影の濃い顔つきになっている。

「お前さんはあとは、儂の後ろに立って、あいつらがおかしな素振りでも
見せたら、その、それで、びりびりっとやってくれればそれでいい」

ユ・インウはチェ・ヨンの手を指差して、そう言った。
初めて見たチェ・ヨンの雷功に感心したらしく、さっきから、
あのびりびりというやつは誠によかった、と子どものように繰り返していて、
チェ・ヨンはこのユ・インウという老武将のことを好ましく思うように
なりかけていた。

ふと、イ・ソンゲの足が止まった。
合わせて高麗からの一群の足も止まる。
イ・ソンゲがくるりと後ろを振り返り、チェ・ヨンらと向き合った。

「広間に行く前に、ひとこと忠告いたしたきことがございます」

チェ・ヨンとユ・インウは顔を見合わせる。
回廊のその角を曲がれば広間はすぐだ。
ユ・インウが、手を小さく動かして、申してみよ、とうながす。
イ・ソンゲが口を開いた。

「徳興君が、広間にいらっしゃいます」

そのひとことで、チェ・ヨンの腹の底の最後の温みまでが消え果てた。

「部屋に来るまで、伏せていてほしいと、頼まれましたが、
先にお知らせしておいたほうがよいかと」

戦には、姿が見えぬようであったが、とユ・インウが言うと、
剣は得手ではないゆえ、中で待とう、とおっしゃって、城の奥に、
とイ・ソンゲは歯切れが悪く言った。
臆病にも戦いの間隠れていたとは、さすがに言えないのだろうが、
イ・ソンゲの不満げな顔が、その心中を物語っていた。
ユ・インウが、チェ・ヨンを見た。

「さて、飛びかからずにおられるか、テホグン」

チェ・ヨンの目の奥が、かき曇るように暗くなった。
そばにいる者の肌が粟立つ。
気がチェ・ヨンの身体を駆け巡り、
半開きの手がぴくり、ぴくりと死にかけの魚のように痙攣した。
その肩に、ずしり、とユ・インウの手が乗せられた。

「殺すにしても、半殺しですませるにしても、元朝の話を聞き出してからだ。よいな」

チェ・ヨンはぐうと手を握りしめ、はあ、と息を吐いて顔を上げた。
ユ・インウを見て、小さくうなずき、その顔をイ・ソンゲに移して、もう一度うなずいた。
よく話してくれた、とユ・インウが言い、またイ・ソンゲが前を向いた、その時だった。

回廊を走ってくる足音が聞こえた。
左右衛から連れてきて、チェ・ヨンの部隊に組みこまれた男が、
人をかきわけるようにして、チェ・ヨンのところまで来た。

「何事か」

問いただすと、こちらのものが、大護軍殿への使いであると言うのです、と答えた。
列の最後尾に、戦をくぐり抜けた兵のほうがまだましという、
汚れくたびれ果てた男が一人やっとの思いで立っている。
商人のような格好をしているが、その顔に見覚えがあった。

チェ・ヨンの髪が逆立つ。
大股で近づき、腕をつかむと、声の聞こえないところまで引きずるように連れていく。
大きくなってしまいそうな声を必死に潜めて、チェ・ヨンは尋ねた。

「お前、鷹揚軍のものだな」

アン・ジェのもとにいるのを見たことがあった。
なぜ皇宮を守護しているはずの鷹揚軍の兵が、商人に身をやつしてここにいるのか。
その男の胸ぐらをつかんで、揺すぶりながら言う。

「どうした、なぜここにいる」

これを、と男は懐から小さく畳まれた書状を取り出して、チェ・ヨンに手渡した。
護軍アン・ジェ殿よりのものです、と低く言う。
広げる手が震えそうになって、チェ・ヨンは自分を叱咤する。
細かく書かれた筆跡は、確かにアン・ジェのものだ。

近づいて来る足音がする、ユ・インウのものだ。
チェ・ヨンは顔を上げて、確かめることもできなかった。
青白い顔色と、凍りついたような目つきに、ユ・インウの表情が厳しくなる。
書状を読んでいるチェ・ヨンの手元を、無遠慮に覗きこむ。

「これは…!」

ユ・インウが息を呑む。
チェ・ヨンはその書状をユ・インウの手に押しこむと、走り去ろうとした。
腕を強くつかまれて、わずかに我にかえる。

「どこに行くつもりだ」

問われても、うまく声が出なかった。
開京まで馬で駆け戻るつもりだな、と言われて、うなずく。
ユ・インウが、チェ・ヨンの両腕を捕まえるようにつかんだ。
顔を寄せて、耳元で誰にも聞かれぬようにして言う。

「今はいかん。絶対にいかん。ここで開京が占拠されんとしているなどと知れれば、
双城総管府のやつらがどうでるか。せめて、書状をもって高麗の臣と任じた後にせねば」

ユ・インウの言っていることは、もっともで、自分がその立場にあれば、
同じことを言っただろう。けれど。
チェ・ヨンは身体の芯が震えるような感覚から逃れられないでいた。

「お前一人が戻ってどうするのだ。あと数刻、いや一刻でよい。
そうしたら、左右衛の兵は全部お前につけてやる」

だから、今はこらえろ、と腕を持って揺すぶられる。
ぎゅうと目をつぶる。
ユ・インウの言うことは、すべて正しかった。

「一刻、それ以上は待てませぬ」

チェ・ヨンは絞り出すように言った。
言いながらも、足元が定まらず、心がどこかに駆け出していくのを止められない。

「戻るぞ、怪しまれる」

ユ・インウにいざなわれて、チェ・ヨンは二人並んで列の先頭へと戻る。
習いで平生の顔を作っているが、動揺を隠しきれているとはいえなかった。
イ・ソンゲがいぶかしむように、見ている。
睨みつけて、行けと目顔で言うと、少し慌てて前を向き、広間に向かった。

大きな扉を衛兵が開いて、中にいる顔が見える。
その時でさえ、チェ・ヨンはろくに、広間の中を見ていなかった。
このような重要な場所にいて、これほど考えがまとまらないことなど初めてだった。

目は、広間の真ん中の大きな卓ではないものを見ていた。
開京を取り囲む一万の紅巾、いや今はもっと膨れ上がっているのか。
だというのに指示がない、おかしいので密かに伝令を送ると。
未だ城門は破られていないとは言うが。
これが書かれたのが三日前だという。今は、今はどうなのか。
俺のあの人は、いま、どこにいるのだろう。
顔を思い浮かべた途端に、歯が鳴りそうになった。

まずいのはわかっている、集中しろ、と自分に言い聞かせる。
手のひらに爪を立てたが、痛みさえあまりわからない。
立ち上がって、こちらに歩み寄る人物がいるのがわかった。
あいつは誰だろうか、ああ。

徳興君だ。

にやにや笑いを浮かべて、いや、笑っていない。
目の奥は笑ってなどいない。
あの奥に揺れているものはなんだ。

「ずいぶんと懐かしい顔だな」

徳興君が、妙に親しげに言う。
こいつに馴れ馴れしくされる覚えなぞ、一つもない。
なぜ近づいてくるのだ。
今すぐここから出て、開京に飛んでゆきたい。
なぜ俺はそればかり考えている。
しっかりしろ、と歯を食いしばる。

「おや、顔色がお悪いようだ。何か悪いことでもありましたかな。
例えば、開京に紅巾が押し寄せるとでも言うような」

結局のところ、ユ・インウに約束したように、飛びかかることをこらえることはできなかった。
肩をつかみ、壁へと押しやる。
吊るし上げるようにして、顔を近づけ、噛み付くようにしてチェ・ヨンは言った。

「なぜお前がそれを知っている」

徳興君の手が持ち上がり、チェ・ヨンの手の甲をかすめるように動いた。
何か、小さなものが、チェ・ヨンの手を引っ掻く。
どん、と徳興君の身体を突き放したが、やつは笑っている。
それでも目の奥はやはり笑っていない。

膝が、くずおれた。

なんだ、これは、とチェ・ヨンは驚愕した。
テマンが、飛びこんでくるのが見える。
チェ・ヨンの身体を支えようとしたが、みるみるうちに身体から力が抜ける。

「テマン」

息が、はっ、はっ、と急激に短くなる。
テマンは、その様子のおかしさに、顔を歪め、必死にチェ・ヨンを横たえ、
楽な姿勢を探そうとするが、そんなものなどない。
苦しみもしない、ただ、手足が縮み、息が止まっていく。

「開京に…戻ってくれ」

わずかに残った息を使って、言葉を絞り出す。
テマンが、何度も何度も呼んでいるのが聞こえる。

目が見えなくなり、暗闇の中に取り残される。
何にも触れず、何にも触れてはこない。
明かりが音が匂いが、…熱が弱まっていく。

「あの人を」

最後の一息が漏れた。



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※コメントのお返事をすると、どうしてもネタバレになってしまう可能性が高いため、
ここから18か19話くらいまで、まとめてのお礼コメントのみにさせていただければと思います。
本当に申し訳ありません<(_ _)> 

by kkkaaat | 2013-12-10 01:21 | 颶風【シンイ二次】

二次小説。いまのところシンイとか。
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