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筆記



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【シンイ二次】颶風22



東北兵馬使ユ・インウ、宗簿令キム・ウォンボン、大護軍チェ・ヨンの三名が、
会議に立ち会うべく、大広間に向かって進んでいた。
双城総管府の攻城戦は、内通者の手引きによって、高麗軍は大きな犠牲を出さずに
成し遂げることができた。
先導をするのは内通者の一人イ・ソンゲだ。
鎧を脱いで、落ち着いた紫の衣に着替えている。
高麗風の仕立ての服を来ているが、髪は元風に整えている。

広間ではイ・ヤチュンや趙小生の叔父、趙轍をはじめとして、
この双城総管府陥落に協力した者たちが待っている。
チェ・ヨンの後ろに歩く中郎将二名が、その人数分の
あらかじめ開京より運んできた書状を抱えている。
高麗王より、品階を賜るというわけだ。
列の最後尾のテマンが、時々チェ・ヨンを確かめるように飛び跳ねる。

チェ・ヨンは高揚が一気に冷めて、手も足も冷え冷えとしている。
腹の底に、勝ち戦の快味がわずかに熱をたくわえているが、それだけだ。
いつもそうだ。
書状を一枚ずつ広げて、読み上げて、渡して、その手順を思うと、
それこそ本当にうんざりとした気分になった。
これから延々と、細かな講和の取り決め、駆け引きが続くのだ。

「そうあからさまに顔に出すな」

ユ・インウが、チェ・ヨンに話しかけた。
手引きがあったので楽な攻城戦ではあったが、この老武将も疲労の色は隠せなかった。
ただでさえ深い眼窩が落ち窪んで、影の濃い顔つきになっている。

「お前さんはあとは、儂の後ろに立って、あいつらがおかしな素振りでも
見せたら、その、それで、びりびりっとやってくれればそれでいい」

ユ・インウはチェ・ヨンの手を指差して、そう言った。
初めて見たチェ・ヨンの雷功にたいそう感心して、さっきから、
あのびりびりというやつは誠によかった、と子どものように繰り返していて、
チェ・ヨンはこのユ・インウという老武将のことを好ましく思うように
なりかけていた。

ふと、イ・ソンゲの足が止まった。
合わせて高麗からの一群の足も止まる。
イ・ソンゲがくるりと後ろを振り返り、チェ・ヨンらと向き合った。
イ・ソンゲが、チェ・ヨンの顔をじっと見る。

「広間に行く前に、お伝えしたきことがございます」

チェ・ヨンとユ・インウは顔を見合わせる。
回廊のその角を曲がれば広間はすぐだ。
チェ・ヨンがうなずいて、話せ、とうながす。
イ・ソンゲが口を開いた。

「ある方よりこれをお預かりいたしました」

そう言って、イ・ソンゲは、懐から小さな小瓶を取り出した。
大護軍殿に、どうしてもお渡ししてほしいと。
チェ・ヨンの目が、大きく見開かれる。
ここにあるはずのないものだ、それは開京の自分の屋敷にあるはずのものなのだ。
ありえぬ、とつぶやいて、それを受け取る。

「中を見てほしい、とおっしゃっていました」

イ・ソンゲがそう言う前に、チェ・ヨンは透明の瓶の中にある紙片に
気づいて蓋をあける。
逆さにして取り出すと、広げた。

下手くそな字で、毒、と書いてある。
それから、こんな時でなかったら、噴き出してしまうような拙い絵。
指輪をはめた手の絵と毒という文字が、線で結び合わせてある。
こんなふざけたものを書くのは、あの人しかいない。

その下に。
小さく、あの天界の文字が書き添えてある。
「大丈夫」と。

なぜ、と呟くチェ・ヨンの声にかぶさるように、イ・ソンゲが続ける。

「それから、この先の広間に、徳興君殿がおります。
部屋に来るまで、伏せていてほしいと、頼まれましたが、
先にお知らせしておいたほうがよいかと」

戦には、姿が見えぬようであったが、とユ・インウが言うと、
剣は得手ではないゆえ、中で待とう、とおっしゃって、城の奥に、
とイ・ソンゲは歯切れが悪く言った。
臆病にも戦いの間隠れていたとは、さすがに言えないのだろうが、
イ・ソンゲの不満げな顔が、その心中を物語っていた。
ユ・インウが、チェ・ヨンを見た。

「聞いておるのかテホグン、それはいったい」

呆然と紙片を見つめて、徳興君の名前に応えもしないチェ・ヨンを、
ユ・インウが覗きこむ。

「あ、いや」

戸惑ったように、チェ・ヨンはイ・ソンゲを見つめ、
それからユ・インウに小さく頭を下げる。
しばらく考え込んだ後、イ・ソンゲに向かってチェ・ヨンは口を開く。

「どこで、これを」

イ・ソンゲが口を開きかけた、その時だった。

回廊を走ってくる足音が聞こえた。
左右衛から連れてきて、チェ・ヨンの部隊に組みこまれた男が、
人をかきわけるようにして、チェ・ヨンのところまで来た。

「何事か」

問いただすと、こちらのものが、大護軍殿への使いであると言うのです、と答えた。
列の最後尾に、戦をくぐり抜けた兵のほうがまだましという、
汚れくたびれ果てた男が一人やっとの思いで立っている。
商人のような格好をしているが、その顔に見覚えがあった。

チェ・ヨンの髪が逆立つ。
大股で近づき、腕をつかむと、声の聞こえないところまで引きずるように連れていく。
大きくなってしまいそうな声を必死に潜めて、チェ・ヨンは尋ねた。

「お前、鷹揚軍のものだな」

アン・ジェのもとにいるのを見たことがあった。
なぜ皇宮を守護しているはずの鷹揚軍の兵が、商人に身をやつしてここにいるのか。

「どうした、なぜここにいる」

これを、と男は懐から小さく畳まれた書状を取り出して、チェ・ヨンに手渡した。
護軍アン・ジェ殿よりのものです、と低く言う。
細かく書かれた筆跡は、確かにアン・ジェのものだ。

ユ・インウが近づいて来る足音がする。
チェ・ヨンの気色ばんだ様子に、ユ・インウの表情が厳しくなる。
書状を読んでいるチェ・ヨンの手元を、無遠慮に覗きこむ。

「これは…!」

ユ・インウが息を呑む。
チェ・ヨンはその書状をユ・インウの手に渡す。

「開京に戻ります」

チェ・ヨンがそう言うと、ユ・インウは急いで腕をつかんだ。

「今はいかん。絶対にいかん。ここで開京が占拠されんとしているなどと知れれば、
双城総管府のやつらがどうでるか。せめて、書状をもって高麗の臣と任じた後にせねば」

ユ・インウの言っていることは、もっともで、自分がその立場にあれば、
同じことを言っただろう。
チェ・ヨンは群民に取り囲まれた開京とそこにいるウンスを思うと、
身体の芯が震えるような気がした。

「お前一人が戻ってどうするのだ。あと数刻、いや一刻でよい。
そうしたら、左右衛の兵は全部お前につけてやる」

だから、今はこらえろ、と腕を持って揺すぶられる。
ユ・インウの言うことは、すべて正しかった。

ぎゅう、と手を握りしめる。
その手の中の紙片の感覚に、はっと我に返った。
そっと手を開いて、くしゃくしゃになった紙片をもう一度開いて見つめる。
最初の言葉は警告だ、それははっきりとわかる。もう一つは。
チェ・ヨンが顔を上げる。

「片付けましょう、一刻以上は待てませぬ」

チェ・ヨンが、毅然たる声でそう言うと、ユ・インウは強くうなずいて、
二人並んで列の先頭へと戻る。

「待たせた」

後で話を聞かせてもらう、とチェ・ヨンが言うと、イ・ソンゲはうなずいて
前を向き、広間に向かった。

大きな扉を衛兵が開いて、中にいる顔が見えた。
真っ先に、徳興君の顔が見えた。
立ち上がって、こちらに向かって歩み寄ってくる。

その瞬間、チェ・ヨンは、さっきの小瓶の中の紙片の意味を悟った。
あの小瓶の持ち主だったあの人に、二度毒を盛ったこの男。
徳興君、チェ・ヨンは低く周囲には聞こえないが燃えるような声で、つぶやく。

チェ・ヨンに近づきながら、にやにや笑いを浮かべている。
いや、笑っていない。目の奥は笑ってなどいない。

「ずいぶんと懐かしい顔だな」

徳興君が、妙に親しげに言う。

「おや、顔色がお悪いようだ。何か悪いことでもありましたかな。
例えば、開京に紅巾が押し寄せるとでも言うような。
それに、あとで面白いものをお見せできるやもしれませぬな」

黙って睨みつけていると、徳興君が、懐かしい友に触れるように、
馴れ馴れしく手を伸ばしてきた。
真中の指に、金の彫り物の指輪が光っている。

きいん、と刃鳴りが辺りに響いた。
音はそれだけで、骨肉を斬るのにわずかな音さえしなかった。
気づくと、徳興君の手首から先が、ぽとり、と床に落ちた。
チェ・ヨンの手には鬼剣が握られている。

「なにを」

徳興君の目が、これ以上ないほどに大きく見開かれる。
飛び散る血が身に降りかからぬよう、チェ・ヨンは静かに後ろに下がった。
一拍遅れて徳興君が、先のなくなった自分の手を、絶叫を上げながら抱えこみ、
床にのたうつ。
遅れて、どよめきが上がった。双城総管府の者たちが椅子を蹴って立ち上がる。
抜きはしないが、腰のものに手をかける。
何をなさるのだ、と趙轍が大声で言った。

「これを検めていただきたい」

チェ・ヨンは切り落とした手首を、双城総管府の者たちの方へ、蹴って滑らせた。
溢れた血が、床に長い帯を描く。

「指輪に、毒がしこまれている」

そうチェ・ヨンが言うと、イ・ヤチュンが屈んで、懐から出した布で
手首を包むように拾い上げて確かめた。
テマンが部屋に飛びこんで来て、チェ・ヨンの脇で剣を構える。
確かに仕掛け針がついております、と言いながら、くん、と匂いを嗅ぐ。

「血臭で、匂いはよくわかりませぬが」

ユ・インウが、チェ・ヨンの横に並んだ。
毒とは確かか、とチェ・ヨンに尋ねる。
チェ・ヨンがうなずくと、喚き続けている徳興君のそばまでいくと、
その身体を踏みつけて、止める。

「なんなら、殺してもかまわんぞ」

ユ・インウがチェ・ヨンの方を向いて、低くそう言った。
双城総管府の者たちは、思わぬことの成り行きに、息を詰めて見守っている。
チェ・ヨンは、歩み寄り顔色が青白く変わってきた徳興君を見下ろした。
徳興君は、陸に上がった魚のように、喘いでいる。

「いや」

チェ・ヨンわずかに考えた後に、そう言った。
ほう、殺さぬか、とユ・インウが意外そうな声を上げる。

「情けをかけるのか。ぶっ殺してやりたい、と言うていたではないか」

挑発するようにユ・インウが言うと、チェ・ヨンは、は、と息を吐いた。
剣をひとふりして血を払うと、鞘に収める。
それから、じっと徳興君を見下ろした。

「このような者でも、いずれ何かの役にたたぬとは限りませぬ」

紅巾のことについても知っておる様子、問いたださねばなりません、
とチェ・ヨンは続けた。
ユ・インウは傍に控えている護衛の兵に言いつける。

「血止めをして、牢に入れよ。用心せえよ」

残りの手にも何か隠し持っておらぬとも限らぬでな、と告げると、
徳興君の身体を足でごろりと転がした。
徳興君は、血の気の失せた顔で、小刻みに身体を震わせている。

「よからぬことをたくらむ悪党の行く末も見届けたところで、本題に入ろうか」

ユ・インウが口元に微笑をたたえて、ぎろりと部屋の中を見回すと、
双城総管府の者たちは、気圧されたように、ゆっくりとそのまま腰を下ろした。
みな一様に押し黙っている。

「行儀ようしておれば、テホグンの鬼剣の出番もそうはなかろうて」

ユ・インウはそう言って、かかか、と笑った。



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by kkkaaat | 2013-12-15 00:02 | 颶風【シンイ二次】

【シンイ二次】颶風21

※20を先にアップしてあります。
・・・・・・・・・・・・・・・・

「わかりました。助けていただいた命にかけて、必ず約束は果たします」

イ・ソンゲがウンスの目を見たまま、ゆっくりとうなずいた。
ウンスはこの若者のすべてを信用できたわけではなかった。
この本当に短い邂逅では、そこまではわからない。

チェ・ヨンの名前を出したとき、イ・ソンゲの表情が何かを示してぴくりと動いた。
何かを言おうとして、口を開きかけ、イ・ソンゲは口をつぐんだ。
当たり前だ、五年ぶりに会った女人に、大事を話す兵がいたら、それこそ信用ならない。
それでも、ウンスはこの若者に賭けるしかないのだ。

大護軍チェ・ヨンが徳興君と会う前に必ず、と念を押す。
そして最後に、馬を一頭ください、そして城の外に逃がしてほしいの、と頼む。

「こちらの部屋で隠れていれば、そうひどいことにはなりますまい。
事情はお話できませんが、この戦は長引かずに終わるでしょう。
後でご自分で、大護軍チェ・ヨンにお会いになるといい」

イ・ソンゲは早口で言って、落ち着かなげに何度か扉を振り返った。
本当に余裕がないのだろう、それじゃあいいわ、自分でなんとかするから、
とウンスが言うと、ため息をついて、急いでください、とウンスの腕を
少しばかり乱暴につかむと、部屋の外に出た。

馬はすぐに手に入ったが、城の外に出るのはひと仕事だった。
イ・ソンゲはもうどうにも行かねばなりません、と言って、配下らしい二人に
ウンスのことを必ずどうにか安全にと言いつけて、ものすごい勢いで走っていった。

その二人はほとんど何も口を聞かずに、ウンスを護衛して城から離れたところ
まで送って、ウンスがここでいい、と告げると、無言のまま戻っていった。


遠くから、それでも腹の底に響く音が、ウンスのもとまで伝わってくる。
城門を打ち破ろうとする破城槌が、ぶ厚い門扉に突進を始めたのだろう。
振り返ると、火矢だろうか、暗い空を弧をえがいて、真っ赤な炎がよぎっていく。
ウンスのいる場所から見ると、それは残酷な武器ではなく、花火のように見えた。

蹄にまで伝わる振動に、馬が怯えていななくのを、ウンスは首を撫でてなだめ、
それからまた馬首を返すと、馬の腹に足を入れ、城から遠ざかりはじめた。

あの暗闇の中に、チェ・ヨンがいる。
そう思うと、熱望で喉がからからになる。
会いたい、ただひたすらに、会いたい、そう思うと、ウンスの目に涙があふれてきた。
もう泣いてもいい、とウンスはそれを自分に許した。
走る馬の上で、ウンスは声をあげて泣いた。

ずっと考えないようにしていた。
今、開京には、、もう一人のウンスがいる。
チェ・ヨンの死の知らせを受ける前の、于達赤とともに玄武門を突破する前の、
三日三晩をテマンとともに走り抜ける前の、天穴に飛びこむ前の、ウンスが。
もうう一人のウンスが、同じ時間に存在するということを考えると、
ひどく心細いような恐ろしいような心持ちになってウンスは肩をすくめた。

チェ・ヨンに会わないですむのなら、会わない方がいいのだ。
会えば必ず、離れがたくなるだろう。
そしてどうするのだ、ともに開京に戻って、もう一人のウンスと三人で暮らす?

「冗談じゃないわ」

ウンスは走る馬の背で、そう呟く。
涙が風にさらされて、ウンスの頬がひどく冷たくなった。



天穴までは、五日かかった。
馬を買う金もなく、テマンのように盗むこともできない。
イ・ソンゲがくれたたった一頭の馬を休ませ、休ませ、たどり着いた。
食べ物は、馬についていた飾り帯と交換で手に入れたものを少しずつ口にした。

ウンスは馬の手綱を引いて歩きながら、自分のありさまを気にしていた。
昨日自分のあまりの汚さに、川に道が合流したところで、馬を休ませている間に、
人目を気にしながら髪と身体を洗ったが、櫛もなく髪がごわごわしている。

「早く、戻りたい」

ウンスは、もつれた髪を手でほぐしながら、ぽつんと呟く。
天穴を抜けてきたときの押し戻すような感覚とは反対の、引き寄せられるような
粘る感覚が、この地に近づけば近づくほど強くなった。

「戻ったら、変わってる? 本当に?」

ウンスは話す相手がいなくて、馬の首を撫でながら話しかける。
馬はウンスが優しく首の横をかいてやると、静かに鼻を鳴らして、手に首を押し付けた。

すれ違うほど近い歴史の道筋を正せば、並んで走るその先は、いっせいに正される。
絡まるように走る無数の時間の筋は、糸のようにただ絡まり合っているのではなく、
温められて時には飴のように溶けて、二本、三本がまた一つになる。

ウンスはこれまで受け取った、実際には自分の身には起こらなかった事実が記された
日記について、これまで何度も何度も繰り返し考えたことを、また思い返していた。
きっと彼女たちの未来も、ウンスが日記の助けで行動したことによって修正されたと、
ウンスは祈るように信じていたのだ。

丘の下まで来て、風を感じた。
見上げるとぼんやりとした光が、天に向かって立ち上っているのが見えた。
はあ、と息を吐いて、肩から力が抜ける。

ウンスは、馬から馬具を四苦八苦して外してやった。
馬はウンスが手綱を離しても逃げずに、ウンスの手に自分の鼻面を押し付けた。

「あの人を殺した相手に、和州まで連れていってもらって、
あの人をいつか殺す相手に、命を託してきたわ」

それしかできなかった、そう言ってウンスは、馬の首に顔を押し当てる。
もしも、もしも戻って何も変わっていなくても、きっと一人のチェ・ヨンは助かったわよね、
とウンスが涙声で馬に話しかける。
それから、顔を離す。

「さあ、行って」

押しやると、馬は逃げずに、少し進むと草を食みはじめた。
それから、ウンスは疲れた身体に鞭打って、丘を駆け上がる。
天穴の青い光は、いっそう弱く、蠢いていた。
今にもふい、と消えてしまいそうだ。

ウンスは、淡い光に向かって手を伸ばすと、そのまま歩いてその中に入った。
その姿が消えた後、すう、と光も吸い込まれるように、消えた。



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by kkkaaat | 2013-12-14 00:44 | 颶風【シンイ二次】

【シンイ二次】颶風20


誰だろうこの男は、そう思ってから、ウンスはその面影に息が止まった。

「徳興君殿、いったい何をなさっておいでです。
着くなり牢に下りるなぞ。お戻りを聞いて、趙小生殿もお待ちです」

背の高い細身の若者は、ウンスの姿を見て、眉をひそめる。
自分を見る目のあまりの素っ気無さに、ウンスはとたんにあやふやな
気持ちになる。

「この女、泣いているではありませぬか。何か咎(とが)でも」

そう男が問うと、徳興君はしごく落ち着いた顔を作って、ウンスを横目で見た。
それから、男に向き直って腕を後ろに回し、胸を張って答える。

「私の世話をする女の一人でしたが旅の途中で、私の持ち物を盗んだのです。
顔が美しいので多めに見てまいりましたが、あまりにも目に余るので、
牢にぶちこんでやりました」

ほう、手癖の悪い、とその男が徳興君におもねるように言って、
それからウンスを汚いものでも見るかのように、斜めに見下ろした。
嘘よ、わたしは盗みなんかしていない、とウンスが訴える。
徳興君はウンスを見積もるようにじっと見て、それから今までより低い声で言った。

「大変に価値のあるものを盗みました。到底許すことはできぬものです。
ですから、ここで片付けてしまおうと思いまして」

徳興君が、脇にいる牢番の腰の刀に手を伸ばす。
ウンスが、違うの、私は、と声を張り上げて、そこで言葉が出なくなった。
もしこの男が、ウンスの思う人物だとしても、今では徳興君の仲間のように見える。
それに、ウンスのことをかけらも覚えている様子がないのだ。
指先が凍るように冷たくなって、ウンスは格子から急いで手を離し、後ずさった。

その男が、物柔らかに徳興君の腕をつかんだ。
それから顔を寄せ、ごく小声で耳打ちする。

「徳興君殿、お忘れめさるな、いよいよ今宵です。
その前に砦が女の血で汚れるのは、あまりにも縁起が悪い。後ほどでもかまわぬでしょう。
これほど美しい女、いろいろと使い道もありましょうに」

下卑た笑いを浮かべて、徳興君にそう言うと、男はさあ、と手でも示す。
徳興君は、少し考えこむようにウンスを見たが、黙って男の言うに従った。

二人がいなくなり、牢の前にいるのが牢番だけになると、ウンスは、
大きく息を吐いて、ずるずると座りこんだ。
心臓が大きな音を立てていて、おさまらない。
胸にぎゅうと手を押し当てて、目をつむった。

「どうしたらいいの」

ウンスは微かな声で、そう言った。
ほんのわずか、命は長らえたが、ただそれだけのこと。
苛立ちを落ち着かせようと、深く息をしてみる。

「どうしたらいいのよ…」

両手で顔を覆う。あまりの無力さに、涙も出ない。
ただ身体のすべてから、砂のように力が抜けていくような気がしていた。
ふと、天穴のことを考えた。
あの弱くもうすぐに閉じていきそうだったあの場所のことを。
もう、閉じてしまっただろうか、それともまだわたしを待っていてくれているのか。
諦めないわ、それでもウンスはわずかに残った気力を、腹の中で温める。

「考えて、ウンス、考えて」

ウンスは自分の膝に顔を埋めると、ぎゅっと抱えて丸くなった。



地下牢では陽が射さぬので、時がわからない。
ウンスは、遠くから響いてくる戦鼓の音で、目を覚ました。
考えても、考えても埒があかない状況に疲れ果てて、ウンスは少しだけうたた寝を
してしまっていたのだ。

なんだろう、とぼんやり考えて、はっと目を開ける。
あれは、高麗軍の戦鼓だ。
階段を駆け下りてきた城兵が、牢番の兵に戦線に加われと声をかける。
牢番は行くのをためらったが、女ひとりに何ができる、と言われると、
戦のためにその場を離れた。
ウンスは思わず立ち上がった。
格子を何度も揺すり、叩いてみるが、強固なそれはびくともしない。
戦鼓の音が高まって、小さな地震のように、ときの声が響いてくる。
けれど、ウンスの力では牢を抜け出すことは、どうやっても無理なようだった。

階上の兵たちが行ったり来たりする足音が、ここまで響いてくる。
指示を出す声に合わせて、兵たちが重い鎧をがしゃつかせて右往左往する。
ウンスはじわり、と涙が滲んでくるのを止められなかった。
近くに、チェ・ヨンがいる。
生きて、もうそこに。
だというのに、自分はこんなところに閉じ込められているのだ。

ウンスは牢の格子を拳で殴った。
格子は揺れもせず、ウンスの手に痺れるような痛みが走っただけで、
ウンスは、その自らのあまりに非力さに、微かに苦笑いを浮かべた。
その申し訳程度の笑みも、すぐにかき消えて、そのまま足から力が抜けて、
崩折れて膝をつく。

その時だった。

「医仙さま」

階上の喧騒にかき消されそうに潜められた声が、ウンスを呼んだ。

「医仙さま、でございますよね」

ウンスは、恐る恐る顔を上げた。
壁にかけられた灯心は油が切れかかっていて薄暗く、誰だかよく顔が見えない。
城軍の鎧をまとった男が、ウンスの牢に足早に駆け寄った。

「やっぱり!」

ウンスは勢いよく立ち上がると、そのまま格子に飛びついて顔を寄せる。
腹の底に希望の種が生まれて、それが急速に身体を満たしていくのがわかる。
衣が変わっていたのでわかりづらかったが、それは先ほど徳興君を呼びに来た
あの背丈の高い若者だった。
先ほどとは打って変わって、人懐こそうな笑みを浮かべている。
笑い顔を見ると、ウンスは先ほど考えたことがみるみる確信に変わるのを感じた。
牢の鍵をがちゃつかせながら、若者は言う。

「覚えていらっしゃいますか。私、開京で医仙さまに命をお救いいただいた」

「イ・ソンゲ!」

ウンスが格子越しに、彼の名前を叫ぶと一瞬手を止めて、
覚えていてくださいましたか、と破顔する。
ウンスは、いいから手を動かして、と牢の扉の前で足を踏み鳴らす。

「先ほどお顔を見ましたときは、心の臓が口から飛び出すかと思うほど驚きました。
なぜここにいらっしゃるのですか。天にお戻りになられたとばかり」

驚いたようには見えなかったけど、と言っていると、扉が開いた。
ウンスは急いで牢の外に出る。
こんな陰気臭い場所に、一秒でも入っていたくない。
ありがとう、とウンスが伝えると、何があったかは知りませんが、医仙さまを
このようなところに閉じこめるなど、ましてや殺そうとするなど、
徳興君殿は何をお考えなのか、とイ・ソンゲがそう言った。
ええと、とウンスは何をどう話そうか、二つの拳を額に押し当てて必死に考える。

「とにかく、人目につかない場所に連れていって。
そうしたら詳しく話をするから」

わかりました、ただし、とイ・ソンゲが振り返る。
私はすぐに戻らなければなりませぬ、すでに私を探しているものがいるやも
しれませぬ、とウンスの腕をつかむ。
引きずられているように、歩いてください、とイ・ソンゲが階段を上りながら言う。

「わかったわ」

そううなずきながら、ウンスの頭の中はめまぐるしく動いていた。



チェ・ヨンのことを口にしようとして、ウンスは呆然と押し黙った。
兵たちは戦の準備に忙しく、ウンスにはほとんど目もくれなかった。
父親のイ・ヤチュンのものだという執務室で、ウンスはイ・ソンゲと向き合っていた。

「なぜ、このようなことに。いや説明を聞いている時間はありませぬ。
こちらの部屋に隠れていてください。ことが落ち着きましたら、まいりますゆえ」

そう言って、イ・ソンゲは出ていこうとした。

「待って」

待って、一分だけ。一分という言葉がわからなくて、イ・ソンゲは怪訝な顔になる。
城軍のイ・ソンゲにチェ・ヨンのことを、どう頼めばいいのだろうか。
これから、戦をする相手なのだ。
でも、戦にチェ・ヨンたちが勝って、この城の偉い人たちと話をするはずだ、
それだけはウンスにもわかっている。

ウンスは今にも部屋から駆け出しそうなイ・ソンゲの顔をじっと見つめて考える。
そして無言のまま、イ・ヤチュンの卓に歩み寄ると、その上にあった紙をちぎって、
横にあった筆を取る。
後ろでイ・ソンゲが見ているのだ、迂闊なことは書けない。
もう待てません、とイ・ソンゲが言ったその時、ウンスはイ・ソンゲに駆け寄って、
その両手を取った。
イ・ソンゲの目を覗きこむ。

「わたし、あなたの命を助けたわね」

はい、とイ・ソンゲがうなずく。このご恩は一生、と言いかけるのを遮って話す。

「一つだけ、わたしの頼みを聞いてほしいの。
約束して、あなたの命にかけて、わたしの頼みを果たすと」

イ・ソンゲの若々しい顔が、急に引き締まり、不思議に老成した顔に変わる。
ウンスは、イ・ソンゲの手に、それを乗せた。




続けて21もアップします。
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by kkkaaat | 2013-12-14 00:18 | 颶風【シンイ二次】

【シンイ二次】颶風19

※先に18をアップしています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これはいったい、どういうことなのだろう?

ウンスは、馬に引かれた輿の中で、向かい合った男の顔を、まじまじと眺めながら、
もう昨晩から百度も考えたことを、また考え直していた。
目が会うと、徳興君はなんとも嬉しそうに微笑む。
新しい使い道のわからぬ玩具を手に入れて、これからどうやって遊ぼうか、
矯めすつがめす手の中でくるくると回す子どものような顔だ。

「ずいぶんと嬉しそうね」

ウンスがそう言うと、徳興君は身体を前に乗り出した。

「嬉しくないわけがありませぬ。
これからの道行をそなたとご一緒できるのですからな」

わたしは別のところに行きたいの、とウンスが言うと、徳興君はますます嬉しそうに
にやついて、お望みの場所にお送りいたしますよ、昨日もお話しましたとおり、
まずは和州に参ってからですが、とウンスに言い聞かせるように言った。
躍り上がりそうになるのをひた隠して、ウンスは徳興君を睨みつける。
徳興君はウンスの目つきなど気にも止めずに、続ける。

「それにしても、つくづく天穴というのは、摩訶不思議なものですな。
私が高麗を去ってより、あなたには時がたっていないとは。
確かにあの時と、あなたは変わらぬように見受けられる。
天界に戻ろうとして、天穴を抜けると、私のもとにつながるとは、
元許嫁殿と私は、よくよく縁があるのでしょう」


前の晩、暗い丘を、兵士二人に両脇を取り押さえられ、
ウンスは徳興君の泊まっている宿まで連れてこられた。
あまりにも大きな疲れがウンスの肩を押さえこんでいたのが幸いした。
そうでなければウンスは徳興君に飛びかかるか、悪口雑言を吐いて、
口を縫われるまで黙らなかったろう。
腕をつかまれたままのウンスに、徳興君が尋ねる。

「天界にお戻りになったのではなかったのですか? 
まさかチェ・ヨンのもとに残られたのか。
あのような野蛮な男のもとに」

徳興君の口から溢れた言葉が、ウンスの動きを止めた。
こいつはまだ、双城総管府であの人と会う前の徳興君だ、
でなければ、こんなふうに言うわけがない、とウンスの目が輝く。
ねえこの人たちにわたしは逃げたりしないから離してと言って、と頼んだが、
徳興君は意外なことに、それを許さなかった。

「あなたは、私の知っているあらゆる女人と違うからな、逃げられてはつまらぬ」

徳興君はそう言って、ウンスの顎を指でくいと持ち上げて、目を覗いた。
ウンスは、そのときようやく、徳興君が以前とは違う風貌であるのに気づいた。
少し落ち窪んだ目、灯心の明かりではよくわからないが、黒ずんだ肌色。
妙に輝いているが、瞳孔の開いたような黒い目。荒れた唇。
以前の無邪気で残酷な陽気さが息を潜め、ざらざらとした欲深さが際立っていた。


「あなたは本当に嫌な感じだわ。前よりもずうっと」

ウンスが呟くと、嬉しそうに笑う。
思わず立ち上がって殴りつけたい衝動を、拳を膝に押し付けて堪える。
憎しみを無駄遣いしてはならない、と自分に言い聞かせる。
非力な拳で殴るよりも、今はすべきことがあった。

「チェ・ヨンが嫁取りをなさったそうだが、ご存知か」

徳興君は、にやりと笑って、ウンスにそう告げる。
ああそう、と言った口調があまりにも冷たすぎたかもしれなかった。
ほう、と徳興君が声を上げる。
その意味がわからずに、ウンスは顔を背ける。

「私との婚礼に向かおうとしたときには、チェ・ヨンはあなたにずいぶんと
執心だと思うたのだがな」

人の心は変わるのよ、と投げやりに答えると、
そうですか、私の心は変わらぬが、と徳興君はひどく欝欝とした声でそう言った。
話をしていたくなくて、ウンスは輿の壁に背中をもたれさせて、目をつぶった。

昨晩は、宿で眠ることができたが、身体はまだ鉛のように重い。
部屋の戸で張番をする元兵にが、年号や日付を尋ねてみたが、
怪訝な顔をしてひと言も口をきくことはなかった。
飯を運んできた宿の人間も、逃げるように部屋を後にして、話そうとはしない。
目をつぶりながらウンスは、これからどうするか、思いをめぐらそうとしていた。

「その、チェ・ヨンに会いに行くのですよ、私は」

目をかっと見開いてしまいそうになって、
ウンスは必死に顔の表情を動かさぬよう、耐えた。
今、徳興君はなんと言ったのだろうか。
自然に見えるようゆっくりと目を細くあける。
話の内容に少しばかり興味を引かれたとでも言うように。

「あら、そうなの」

ウンスが目を開くと、徳興君は、ウンスの様子を舐めるようにじっと見ていた。
なんの用事で会うのかしら、あなた高麗のお尋ね者でしょ、
あいつに捕まえてもらいに行くの、とウンスがうそぶくと、
徳興君は、ははは、と顔を上に向けて笑った。

「チェ・ヨンのおかげで、私の値打ちはひどく…そう、ひどく下がってしまいましてね」

徳興君は先ほどの笑いが嘘のように、低く、恨みのこもった声で言った。

「最後の残りで、どうしても欲しいものを引換えて貰おうと思うているのですよ」

そう言ってから、徳興君は目を細めて呟いた。
あなたにも中々の価値がありそうですな、医仙殿、そう言うと徳興君は、
ウンスをまた、じいと見つめた。

「あなたには関係のないことだわ」

唸るようにウンスがそう言うと、徳興君は、何も言わずに輿の小窓から
外を眺めて、黙ってしまった。
ウンスは、今度は目をつぶらずに、外を眺めるふりをして、徳興君の様子をうかがう。

どうやらウンスは、徳興君が双城総管府に向かう途中に行き合わせたようなのだ。
確かに王は、徳興君は鴨緑江東域の元軍の拠点に行っていたはずなのだが、
と言っていた。そこらから双城総管府に向かう道筋に、天門はある。
元から戻る王が天門の変を見たように、きっと徳興君もそれを見たのだろう。

あの人を殺した男に、目指していた場所まで送ってもらうことになるとは。

ウンスは目を自分の手に落とした。
今、手に刀があれば、とふと思って、もう一度目を上げた。
徳興君は、ただひたすらに暗い目つきで、窓外を見るというよりは、
何か考えにふけっている。
その姿を見て、ウンスは微かに当惑する。

今この手に刀があって、わたしはこの男を刺せるのだろうか。
徳興君のしたことを思い返すと、急に手が震えだして、
ウンスは手首をぎゅうと握ってそれを隠した。

「殺せるわ」

頭の中で言ったつもりが、口の中に言葉がこぼれた。
徳興君が、目だけでウンスをちらと見た。
くぐもって、何を言ったかは、わからなかったようだ。



昼間は徳興君と同じ馬に引かれた輿に乗り、夜は逃げ出せぬよう見張りを付けられて、
それでも宿では寝台で眠ることができた。
身体は休まっていったが、ウンスの焦りは一日、一日と嫌がおうにも増していく。
何か武器になりそうなものを、と宿の部屋に入るたびに探すが、
そう思い定めてみると、本当に目的を果たせそうなものなど、
身の回りにはないのだ。

「あと一刻ほどで、双城総管府に到着いたします」

突然、輿の窓から随従に言われて、ウンスは思わず、うそ、と声を上げた。
徳興君が、ウンスの驚いた顔を見て、愉快そうに笑う。

「なぜ、教えてくれなかったの。明日には着くって」

ウンスが何度尋ねても、徳興君は、まだまだです、としか言わなかったのだ。

「なぜでしょう、ね」

徳興君は、昔のような快活さはなりを潜め、陰った顔をしていることが多かった。
ただ、ウンスが嫌な顔をしたり、驚いたりしたときのみ、こうして
いやな笑顔を浮かべてみせるのだ。

ウンスは黙って、膝の上で拳を握って耐える。
到着までの一刻の間に、むしろウンスの考えが一つのまとまりを見せ始めていた。
女の手で、護衛のついたこの男を殺すのは難しい、ならば、双城総管府で
チェ・ヨンを待ち、本人に言えばいいのだ。
これほど確実に命を守る方法はないだろう。
タイミングを間違えてはいけない、とウンスは必死に考える。
徳興君が、チェ・ヨンと会う前に、できる限り早く。
これであの人の命を守れる、そう思うと、ウンスは心を覆っていた重い鉛が
流れて溶けていくような気さえした。

城門の開く音がして、輿の車の立てる音が変わる。
徳興君を迎え入れる、双城総管府の武官達の声がした。
馬が足を止め、輿の揺れが止まる。
ウンスは小さな窓から外を見て、ここが双城総管府なのね、と目をきょろきょろとさせた。
扉が開き、無言のまま、徳興君が降り、ぱたりとそのまま扉が閉まる。
外で、徳興君が何か指示を与えているのが聞こえた。

「ちょっと、ちょっと!」

ウンスは腰を浮かして、自分も降りようと扉に手をかけた。
すると外側からするりと扉が開いて、徳興君が立っていた。

「医仙殿、さあ到着いたしました。どうぞこちらへ」

徳興君がウンスの手を取ろうとする。
絶対に触れたくないその手を見なかったことにして、ウンスは自分で輿から降りた。
さ、とうながされて、城兵の後についていく。
考える間もなく、奥へ奥へと案内される。

「ここは、なに」

ウンスは、薄暗い階段を前にして、思わず尋ねた。
誰もウンスの問いに答えない。客人として案内されているはずと思っていたのに、
薄暗い階段を降りると、そこは砦の地下に鉄格子が並んだ牢獄だった。
その入り口の脇で、徳興君が嬉しそうに待っている。

ウンスは後ずさるが、後ろに控えていた城兵に、腕をつかまれた。
もがく暇もなく、突き飛ばされるようにその中に押しこまれる。
がしゃり、と牢の扉が閉められる。

「なにをするの!」

ウンスはすうと血の気が引くのを感じた。
何が起こっているのか、慌てて、格子をつかんで揺さぶる。

「医仙殿、私は半年ほど前に、ある話を耳にいたしました。
高麗にとどろく大護軍チェ・ヨンが嫁取りをしたが、その嫁は五年前に、
私が高麗にいたときの許嫁と瓜二つであると」

私もまだ、少しは高麗の朝廷につてがあるのですよ、と徳興君は言う。
それにあなたは、私が二度ほど毒を盛ったときでさえ、
そんな目で私を見たことはなかったのですよ医仙殿、
何かを企むときにそのような怖い顔をなさってはいけません、
そう言って徳興君はひどく落ち着きのない甲高い笑い声を上げた。
それから目を爛々と輝かせて、鉄格子を握って徳興君を睨みつけるウンスに
顔を近寄せて、深く響く声で言った。

「あなたはご存知なのだ」

どういう手立てかはわからぬが、前に私がチェ・ヨンを殺そうとしたときと同じように、
あなたはこれから私がしようとしていることを、知っておられるのですね、
あの紙は燃やしてしまったのに、と徳興君は、薄気味悪いにやつきを頬にはりつけて言う。

「お願い、やめて」

ウンスの気丈さが、崩れ去った。
鉄格子にすがりつくようにして、徳興君の前で平静を装っていた顔が
みるみるうちにくしゃくしゃになる。

「あの人に、手を出さないで」

涙を流しながら、ウンスは歯を食いしばって徳興君を睨みつけた。
そのような顔をすると、美しい顔が台無しですぞ、と徳興君がからかうように言う。
どうしたらいいの、どうしたら、ウンスは格子に額を打ち付けるように悶えた。

「何をなさっているのですか」

そのとき、階段を降りてくる足音がして、誰何する声に、
ウンスと徳興君は同時に顔を上げた。



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by kkkaaat | 2013-12-13 01:09 | 颶風【シンイ二次】

【シンイ二次】颶風18



何度目になるのだろうか、天穴の中を抜ける感覚はいつも微妙に違う気がした。
天穴自体が違うのか、それとも、通る自分が違うのか、定かにはわからない。
ただ強く、想う。
その先にあってほしいものを。
あらねばならないものを。
願うのではなく、乞うのでもなく、想うのだ。

ウンスは、粘り気のある風の中を手で掻くように、進んだ。
このように、押し戻されるような感覚を感じたことは今まで一度もなかった。
息が、詰まりそうになる。
ふと、前から吹いていた風が、急に弱まり、後ろからびゅうと吹き付けた。
背中を強く押し出されるようにして、ウンスはつんのめり、
その途端に足元が固まった。

今の今まで何も見えていなかった視界に、出し抜けに地面と岩と夜空が現れる。
強い風がウンスの髪を、その夜空へと巻き上げた。
その暗さに目がまだ慣れず、辺りをよく見ることもできなかったが、
それでもそこが、先ほど飛びこんだ天門と同じ場所であるということはわかった。
少なくとも、江南ではない、とほっと息をつく。

「ふう、寒い」

夜の冷えこみに、腕を身体に回す。
それでも、飛びこんだ時よりも夜が暖かい気がして、わずかに期待する。
暖かいならば、飛びこんだ日付よりも、早い時期の可能性が少しだけ高い。
翌年のその時期か、百年前のその時期かもわからないが。
身体に腕を回したまま、二、三歩踏み出して、立ち止まる。

「さてと」

意味もなく、口にして、何も思いつかぬ頭に、呆然と暗闇を眺めた。

「これからどうするかよ、ウンス。
このまま双城総管府に向かってがむしゃらに歩き出す、とりあえずの選択肢ね。
でも何の旅支度もないわ。じゃあどうするの。あの飯屋にとりあえず行ってみる?
時代によっては、駐屯の兵舎があるわ。
まず、いつに来たのか、それだけは知らなきゃいけない。そうでしょ」

回らない頭を動かすために、ぶつぶつと口に出して考えてみる。
身体の痛みと、指先まで溜まった疲労が、頭を鈍らせている。
ああ、もう、とぎゅっと目をつぶる。
考えようとするのに、ウンスの頭はすぐに一つのことに戻ってしまう。
そのことが頭に浮かぶと、すぐに目に涙が滲んだ。
たった今、あの人は生きているのだろうか。

「泣いている場合じゃないでしょう、ユ・ウンス」

潤みかけた目をごしごしとこすって、両手で頬をぱんぱんと叩く。
それから、はっと気づいて振り返って、安堵の息を吐く。
天穴は消えず、光と風をともなって回っている。
ウンスはふと、眉をしかめた。

「気のせいかしら」

微かに首を傾げる。いや、気のせいではないようだった。
天穴のその光は、入ったときよりも、以前見たときよりも随分と弱々しい。
ウンスはあっ、と小さな声を上げて口を手で押さえた。
最初に高麗に来て治療を終えて、チェ・ヨンが天穴まで送り届けてくれたときに、
消える前の天穴の様子が、これに似ていた。
それよりはまだ、わずかに勢いがあるようだったが。

「急いだほうが、いいということね」

そう呟いたその時だった。
丘の下から、人の声がした。
暗がりに、松明の赤い火が二本ほど揺れながら、上がってくる。
ウンスは咄嗟に身を隠そうと思ったが、火明かりの方から、
あそこに人が、とこちらに気づいた声がした。

「あの青き光はなんでしょうか」
「おお、確かに、天門が開いております!」

がやがやと数人が近づいてくるようだった。
天門という言葉を聞いて、ウンスは逃げるのをやめた。
不思議な光に導かれて近づいた旅人でも、天女の振りでも、
必要なら何でもしてみせようと決めて、人を待つ。

ウンスの姿を見とがめた兵が二人、鎧をかちゃかちゃと鳴らしながら、
駆け上がってきた。一人は松明を持っている。
鎧を見て、ふう、と嫌なため息が出た。
元軍の鎧であった。

「それじゃあまだ、ここは高麗の領土じゃないってこと」

ひどくがっかりして、足から力が抜けて倒れこみそうになる。
また百年前に来てしまったのだろうか。
でも、悪くはないわ、だって過去にこれたんだから、と自分に言い聞かせる。
自分とチェ・ヨンを開京に戻らせた、フィルムケースに入った過去からの手紙を、
ウンスは思い浮かべた。過去ならば、打つ手はある。
ウンスは必死に足を踏ん張るよう、自分を叱咤する。

「女、ここで何をしておる!」

兵がすらりと剣を抜き、ウンスに向けて、警戒の色もあらわに睨みつけた。
松明を持った兵の方は、怪訝な顔をして、照らすために火をウンスに近づけた。
ウンスの姿が、炎に浮かび上がる。

「正体のわからぬ妖しきもの。しばしこちらでお待ちください」

と、とどめる声に、いやあれは魍魎のたぐいではなく、珍しき天仙じゃ、
と低く答える声がした。
ウンスは思いもよらない言葉に息を飲んで、暗がりを見つめる。
手前の火が明るすぎて、その奥にいる人物の顔は見えない。
兵の後ろのひと塊になっている人影が、近づいてくる。

「これは、これは、お懐かしい顔だ。
こんなところでお会いするとは、あなたには驚かされる、医仙殿」

松明の光の輪の中に入ってきた男の顔を、ウンスは目を見開いて見つめた。
心の内を表に決して出さない相手の男も、さすがに驚きを隠せずにいる。
ウンスに牙があったら、直ちにその喉を噛み破っていただろう。
ここは元の領土なんかじゃない。
今は百年前なんかじゃない。

「徳興君」

ようやく一言、その名前だけが、ウンスの口からこぼれた。



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by kkkaaat | 2013-12-12 23:45 | 颶風【シンイ二次】

【シンイ二次】颶風17

トクマンが矢のように飛び出すと同時に、伝令口は叩きつけるように強く閉じられた。
馬の尾が、扉に挟まりそうなほど素早くだ。
うおお、と勢いづけて叫ぶトクマンの声をかき消すがごとく、
大勢の男の声がかぶさって聞こえた。

ひづめの音が前に進まず、剣を切り結ぶ金属質の音が乱れ飛ぶ。
どう、と馬が転倒する音が、一頭、二頭。
ウンスの顔が不安で歪んだ。
すると、いきなり無我夢中で走り出す蹄の音がして、それが城から離れていく。

追いかける馬の群れ音と、さらにそれを追う人の駆け足に耳を澄ましていたチュンソクが、
振り返り、皆の顔を見てうなずいた。その手が静かに上がる。
馬でさえも息を潜めることを知っているかのように、いななき一つ上げず、
待っていた。

「行こう」

チュンソクがそう言うと、全員が抜剣して、脇に構えた。
一人目が馬を進める。
扉横の衛兵が馬上の于達赤隊員の顔を見上げると、開けるぞ、とささやいた。

「遅れを取るなよ」

振り返ってそう言い、前を向いた瞬間に伝令口が開かれる。
馬は一度前脚で地面をかくと、力強く蹴って城外へと跳びだした。
その尻にかぶさるようにして、次々と間を空けずに騎馬した男たちが駆け出していく。

「絶対に手を離さないで」

横に並んでいたテマンが、ひと言だけつぶやく。
ウンスは手綱を手に巻きつけて、鞍の前輪を痛くなるほど握り締める。
十頭目の馬に乗ったチュモが出るのと同時に、
テマンがウンスの馬の腹を横から手ひどく蹴った。
それでも他の馬よりも緩やかに、馬が扉から駆け出す。

馬首が城外へと出ると、ようやく様子が知れた。
先に出た馬を追って、伝令口に群がっていた馬も人も散り散りになっており、
ウンスの馬は、前で振り返って速度を落としているチュモの馬を追って、
まっすぐに駆け出すことができた。
ぴしり、と尻に鞭を入れる音がしたと思うと、馬の速度がぐんと上がる。
テマンが後ろから、ウンスの馬に鞭を入れたのだ。

前から下がってきたチュモと、後ろから追い上げたテマンの馬に両脇を挟まれて、
ウンスはただ鞍から腰を浮かして鐙に立ち、馬の走るにまかせる。
前を走っていたうちの二名が下がってきて、ウンスの少し前を守るように走り始めた。

城の前に大きく伸びる通りには、ごった返すように紅巾たちがうろついている。
がしかし、凄まじい土煙を立てて走る大形の馬の群れに、驚き割れる。
駆けていく馬群の鳴り渡る蹄の音に、屋敷から飛び出して武器を構えてみる者も
いたが、その支度が整う間もなくウンスたちは走り去ってしまった。

玄武門が近づく頃には、ウンスを中心に十頭ほどがひと塊となり、
左右、前後に少し離れて、二頭ずつが走る大きな馬群が出来上がった。

チュンソクが後ろから駆け上がってくる。
最後尾を務めたチュンソクは、追いすがる剣を何度か受けていて、
馬にいくつか刀傷があった。

「もうすぐ玄武門です。きっと鐘楼の左右衛が気づいて援護をしてくれるはずです」

どこから聞きつけたのか、数十頭の馬が、後ろから追ってきているのが見えた。
前を見れば駆けていくその先に、壊れた玄武門が見えた。
少し振り返って、チュンソクが後ろを伺う。
于達赤に追いつけるものか、とひと言放った後、大声を出す。

「チュモ、ペクス、門外に出た後、ユ先生とテマンを行けるところまで護衛せよ」

残りは門を出た後、馬首を返し、追っ手を食い止める。
チュンソクがそう言うと、于達赤全員の口から、おお、と力強い応答の声が上がる。
ウンスはただ頭を下げて姿勢を低くして、前だけを見つめていた。

玄武門の前には、こちらに気づいた男たちが、四、五十人、走り出てきている。
中央にいる男が何かを叫びながらこちらを指し、皆が剣を構えるのが、
于達赤の肩越しにウンスにも見えた。
その後ろで、何十人かが木材を引きずって、出来合いの障壁を作ろうとしている。

「蹴散らせっ!」

背後からチュンソクが絶叫するように言うと、先頭の二人がさらに馬速を上げて、
人群れに突進する。
一番前で構えていた男が、近づいてきた馬の大きさに驚いて跳ね退くが、
すぐに走ってきたチュモの馬がそれを踏み砕く。
馬に斬りつけてやろうと、脇で構えていた者たちを、馬上からひらめく剣先が、
突風のように切り裂いていく。
前の于達赤が紅巾を切った血しぶきが、
ウンスの固く握った指先をわずかに濡らした。

まだ数本重ねられただけの障壁を、次々と馬が飛び越えていくが、
一頭、どう、と転倒する。
ウンスは、あっと声を上げて、振り返る。

立ち上がろうともがく馬の横で、于達赤が一人、すっくと立ち上がって剣を構える姿が、
みるみるうちに離れていった。
馬上の于達赤たちは、誰一人として振り返らない。

鐘楼上に左右衛が陣取っているおかげで、門の直下には紅巾の姿がなかった。
先頭の于達赤隊員が、大音声で門上を呼んだ。

「ウダルチ、打ち通る! 加勢をこう!」

そのまま玄武門を突っ切る。
門下の隧道(ずいどう:トンネル)を走り抜けて、
破壊された門扉の隙間をすり抜けると、開京の外だ。
ウンスは矢羽根が鳴る音を聞きつけて、頭を下げたまま、もう一度だけ振り返る。

遠ざかっていく開京の門と京壁から、左右衛の弓射を逃れた追っ手が
ウンスたちをめがけて、馬を走らせているのが確認できた。

急に、ウンスの周りから馬が遅れ出した。
遅れていくのではなく、手綱を絞って、馬を止めているのだ。
たちまちのうちに、ウンスの周りには、チュンソクの命を受けた
チュモとペクス、テマン、そして当のチュンソクだけになった。

馬を止めた于達赤たちは、横に一列に陣を取って、追っ手の前に壁を作っている。
チュンソクの馬速が上がって、ウンスの横に一瞬並んだ。

「ユ先生、テホグンをお頼みします。どうか、どうか!」

ウンスがそれに応える間もなくチュンソクの馬はウンスの側を離れ、
そのまま馬首を返すと、玄武門の前でずらりと並んでいる于達赤の列に向かって
走り去ってしまった。
背後で誰のものとも判別できぬ剣の鳴る音と人の怒鳴り声が聞こえたが、
ウンスは今度こそ振り返らなかった。



「あぶない!」

テマンが叫ぶのと、ウンスの指がとうとう手綱を握る力を失って、
馬の横腹を滑り落ちて地面に叩きつけられるのが、ほとんど同時だった。
腕に巻きつけていた手綱のせいで、少しの間引きずられたが、賢い馬はウンスを
踏まずにすぐに立ち止まった。

極度の疲れで半分眠ったようだったウンスの身体はだらりと力が抜けていて、
おかげで脚の膝下がひどく擦り剥けたほかは、たいした怪我もしなかった。
転げるように馬を降りたテマンが、二頭の馬をつなぐと、
木にもたれたウンスの口に水と固めた砂糖を押しこんだ。

二日間、寝ておらず、こうして水を飲み、テマンが持ってきた砂糖を口に入れる
以外は休みもとっていなかった。
開京を後にした四人の馬は、その日の夜半には使い物にならなくなった。
チュモの馬が鞭を入れても走らなくなり、最後にはどう、と横倒しになる。

なんとかたどり着いた村落の寝入った豪長の屋敷をたたき起こして、馬を買い取る。
馬は二頭しかおらず、そこでチュモとペクスとは別れることになった。

「なあに、俺ら二人なら、紅巾に遅れはとりませぬ。どこかで馬も手に入りましょう。
このまま開京には戻らずに、平壌まで行きまして、州軍と合流いたします」

それよりもユ先生、無理な道中です、お気をつけて、とチュモは
その目から溢れる涙を隠しもせずに言った。
また開京でお会いできますよね、とすがるように言うのを、ただうなずいて答えた。

豪長の馬は、思いのほか頑強で、二日目のきっかり昼まで走り続けたが、
もう長くは走れないと見ると、テマンはウンスを森の中に隠し、
街道沿いの宿場町まで行って、戻ってきたときには新しい馬にまたがっていた。
馬の腹帯に赤い布が巻きついている。

ウンスが馬に乗るのを手助けしてもらいながら、よく手に入ったわね、
と言うと、テマンはぼそりと、盗ってきました、と白状した。

「ユ先生、一刻だけ休みをとります」

テマンはそう言うと、自分も口に砂糖を含み、膝と膝の間に頭をだらりと垂らして
黙ってしまった。
ウンスは身体中が痛くて、自分も膝を抱えて目をつぶる。
突然、テマンが口を開いた。

「天門に行って、どうするおつもりなんですか」

初めて聞く、怒ったような口ぶりだ。
ウンスは目をつぶったまま、かすれ声で言う。

「十日ほど前に、王妃さまと瞻星台に行ったときに、黒点を見たの。
五年前、わたしが連れてこられたときと同じくらい大きな黒点。
太陽黒点は天穴が開く予兆。だから行くの」

疲れすぎて、うまく説明できなかった。

「天穴は過去と未来につながってる。わたしは過去に行くのよ。
あの人に警告するか、止めるか、それとも」

そこまで言ってウンスは力なく笑った。
テマンが顔を持ち上げる身じろぎの音がした。

「何ができるかよくわからないわ、第一過去に行けるのかだってわかんない。
でもやるだけやってみるわ。
テマン、きっとわたし絶対どうにかするから」

こらえようとしても、喉からすすり泣きが漏れるのを、
どうしても止められなかった。泣くと体力を使うから、絶対に泣かない、
と心に決めていたが、どうにもならなかった。
顔をあげると、テマンが立ち上がってウンスの横に腰を降ろし、
ウンスの肩を抱いてさすってくれた。

「天門から、双城総管府にしろ、開京にしろ、かなりの距離です。
どうするんですか」

テマンは慰めの言葉は口にせず、ただ尋ねた。

「見当もつかないわ…」

ウンスがそう呟くと、テマンはただ身体を温めるように、
ウンスの腕をごしごしと擦った。

「そんなことをしたら、下手したら腕がだめになる。ユ先生、俺にはできません」

もう一度馬に乗るときに、テマンがこの道行きで初めて、泣き言を漏らした。
手がもう力を失って握ることが難しいウンスは、馬に腕を縛り付けてほしいと
テマンに命じたのだ。
身体を縛り付ければ、馬の速度が落ちる。
腰を上げて疾駆させるためには、腕を前輪に縛り付けるしかないと、
ウンスはそう考えたのだ。

「先のことはそうなってから考えるわ。腕の一本くらい折れたっていいじゃないの。
天穴がいつ開くかわからないのよ、一刻も早く行かなきゃ」

さあ今は一番必要なことをして、とウンスが言うと、
テマンは戸惑いで苛々と意味もなく歩き回った。

「オ・テマン、やるのよ。わたしたちで、あの人を救うの」

そう優しく叱りつけると、テマンは半分べそをかいたようになりながら、
ウンスの腕を馬具にくくりつけた。



「見て…」

ウンスはテマンに支えられるようにして、天門のある丘を登っていた。
テマンの馬はここから一里のところで、横倒しになり動かなくなった。
ウンスの馬に二人で乗ったが、それもすぐにくずおれて、そこからは馬もなく、
自分の足でたどり着いた。

丘に近づくと、妙な風と音があった。
二人は顔を見合わせる。
身体中が悲鳴を上げるほど痛かったが、ウンスはテマンに腕を引かれて、
丘を駆け上がった。

轟々と音をたてて、天穴がうごめいている。
ウンスは両手のひらを顔にぎゅうっと押し当てた。

「天穴が開いています」

テマンが、呆けたように、そう言った。
ええ、開いているわ、とウンスは言いながら、顔をあげる。
青い光が勢いよく渦巻いているが、時折それが急に弱まったり、
また強くなったりと、妙に不安定だ。
ユ先生、行きましょう、とテマンが踏み出す。

「あなたは残って」

ウンスは、テマンの身体を手で止めた。
ぽかんとした顔で、テマンがウンスを見る。

「あなたは開京に戻って、あの人を迎えてあげて。
わたしが何かをすることができたら、あの人は開京に戻ってくるわ。
そうしたら、テマン、あなたがまた、いつもみたいに支えてあげて」

ウンスはしゃべり続ける。

この三日間、天穴についたらどうするか、ウンスは朦朧とする意識の中で考え続けてきた。
テマンは果たして、天穴を通れるのだろうか。
もし行きは通れても、戻るときにもすんなり天穴は通してくれるのだろうか。
考えれば考えるほどわからないことだらけで、混乱する

もし、もしも自分が戻れなくなったとき、あの人はどうなってしまうんだろう。
それを考えると、胸が恐ろしい程締め付けられた。
助けられない、とはかけらも思わなかった。

テマンはウンスの予想外の言葉に、驚きすぎて、言葉を失っている。

「全部が上書きされるのか、それとも、変化した未来に重なって一つになるのかしら。
枝分かれした道がまた大きな街道に合流するみたいに。
そうしたら、テマン、あなたもこうして必死に走ったことも忘れるのかな。
わたしがいなくなった理由も、誰にもわからなくなっちゃうのかな。
わからないの。わたしにもぜんぜんわからない。
ね、わたし、戻れるのかな。
戻れなかったら、あの人に待っていてね、って伝えてほしいの。
いつか絶対に会えるからって。
テマン」

ウンスは天穴に向かって、一歩ずつ後ずさる。
テマンはウンスが何を言っているのか、よくわからなかった。
ただ、何か天穴が自分が思っていたような、天界への一本の道ではないことを、
今ようやく理解しつつあった。

はっと我に返って、ウンスを引き止めるのか、それとも自分がついていこうと
するのか、それもわからぬままに、もう光の中に身体が入りかけているウンスの腕を
つかもうとする。
けれど、天穴はテマンをうねるように押し返し、ウンスのもとまで近寄ることができない。

天穴が吹き上げる風が、ウンスの髪を巻き上げる。
もしわたしが何かを変えることができて、すべてが変わっても、忘れないで、とウンスが叫ぶ。

「あの人に伝えて」

ウンスは後ろに倒れこむようにして、天穴の中に消えた。



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by kkkaaat | 2013-12-12 01:34 | 颶風【シンイ二次】

【シンイ二次】颶風16



ウンスを乗せた馬は、疾走していた。
ぴしり、ぴしり、と規則正しく鞭を入れる音が、鋭く空に鳴っていたが、
馬の毛が汗でびっしょりと濡れると、鈍い潤んだ音へと変わった。

限度を越えて走らせているので、馬の足は地面にほんのわずかにしか触れず、
馬の背はほとんど揺れもしなかった。
ウンスはただ必死にしがみついていた。
手綱を持つ指が、強ばってもう開く気がしなかった。

馬を鞭打っているのは、後ろからもう一頭の馬を走らせているテマンだ。
その黒い瞳をたった一つの目的に染めて、そのほかのことは何一つ考えていない。
大丈夫ですか、とはひと言も聞かれなかった。
そんなことを確認するのに必要な呼吸があるのなら、ひと息でもとっておけ、
そうチェ・ヨンなら言うだろうと、二人にはわかっていた。



「ならぬ、ユ・ウンス、断じてならぬ」

王はウンスの申し出を聞くと、驚愕してそう言った。
座っていた玉座から立ち上がる。
いいえ、とウンスは穏やかに言った。いいえ行きます、と。
王に向かって否と言う女人に、武臣たちは眉をひそめたが、
ウンスにはどうでもよかった。

「何を考えておる。まず皇宮から出たところ紅巾に捕まれば、嬲り殺しにされよう。
それから、どうするのだ。天門まで馬を乗り継いで、五日はかかる」

開いているのかもわからぬ天穴に行って、それでどうしようと言うのだ、
それにいまここには、そなたに割いてやれる兵も武器もないのだ、
と王は言った後、言葉を詰まらせながら続けた。

「チェ・ヨンを失ったいま、そなたの命まで捨てるような真似をさせたなら、
余は、テホグンに顔向けできぬ」

言葉の最後は涙声になりかけて、王はぐっと歯を噛んだ。
いいえ、ウンスは根気強く繰り返した。

「チョナ、あの人は失われておりません」

まだ、打てる手があるのなら、それは失われたことにはならないの、
ウンスはそう自分に言い聞かせるように、心の中で繰り返す。
そうやって自分に信じさせなければ、こうやって立ってはいられない。

「それに五日はかかりません。このテマンは和州より三日で戻りました。
天穴までも同じ日付でまいります」

ユ・ウンス、と王は顔を手で覆う。

「聞け、チェ・ヨンは」

そこまで怒鳴るように言って、王の声は尻すぼみに小さくなる。
毒によって死んだのだ、と言いながらウンスから目をそらす。

「そうでしょうね」

ウンスの声はもう、震えもしなかった。

「止めても無駄ですよ。わたしにできるのはもうこれだけなんだから。
馬を二頭だけ、くださればいいの」

喧嘩を売るようなウンスのもの言いに、内官が気色ばんだが、王が手で制した。
止めようとしたって無駄よ、チョナ、そう声を張り上げて言ってから、ウンスは
くしゃりと顔をしかめて、お願いです、と付け加えた。

長和殿の中が、しん、と静まり返った。

ウンスはまた、静かな目になって、王をひたと見つめていた。
王もまた、ウンスへと視線を戻した。
ふう、と王が息を吐く。

「できる限り脚の早い馬を二頭用意させよ。それからウンスに、農人の装束を」

その言葉を聞いて、ウンスの顔は明るくはならなかったが、
ただ感謝の色があらわれて緩んだ。

「于達赤隊長チュンソク」

呼ばれて控えていたチュンソクが、ウンスの横に歩み出る。

「そち自ら、壁外までユ・ウンスとテマンを送り届けよ。
ウダルチの人員のすべてを使ってもよい」

大護軍貢夫甫が、それは、と進言しかけたが、王の手によって制せられる。
いつ出るのがよいか、と王が尋ねると、チュンソクが答えた。

「今すぐ。今すぐでなければ、支度が出来次第すぐに」

王の顔が苦笑いを浮かべ、それが泣き笑いのように歪む。
夜闇に乗じて、でなくてよいのか、と王がもう一度尋ねると、
チュンソクは、それではあと五刻を無駄にいたします、ただちに、
といつもと変わらぬ穏やかな口調で言った。
ウンスが横を向いて、チュンソクに弱々しく微笑みかけると、
チュンソクは微かにうなずいた。

「では行け、そちに任せよう」

王がそう言うと、チュンソクは、御意と答えて走るように御前を下がった。
後を追って、ウンスとテマンが下がろうとすると、王の言葉が追った。

「医仙」

ウンスは顔だけを振り返って王を見た。

「無事を、祈っておる」

王は、誰の、と言わずにそう言った。
ウンスは、うなずいて、小さな哀しそうな笑みを口元に上らせると、
何も言わずに、走り去った。



西の城門横の伝令口で馬に乗った。
そこに走り寄ってくる人影があった。トギだ。
誰かに聞いたのだろう、手に薬や道具を抱えている。
ウンスは唇が震えてこみ上げてくるものを、血が出るほど強く噛み締めてこらえた。
トギの手が動く。無駄口は叩かない女だ、ただ持っていけと示す。

「ありがとう、でも持っていけないの」

トギの手が忙しなく動く。チェ・ヨンを助けるのに必要かもしれない、と。
ウンスは、答える。

「持っていけないの。なぜかはわからないけど、天穴は、拒むのよ。
ずれる、と言ったほうがいいかもしれないわ。
前はメスやクランプやプロジェクターだったけど。
はっきりしたことはわからないけど、危険はおかせないの」

ただ強く思う、想い以外のものを持っていくことができない。
ウンスは、過去への旅で導き出したその心細い結論に、背く気はなかった。
そう言ったウンスの手に、トギが一つの薬瓶を押し付ける。
透き通り古ぼけて、もう中身は一粒も残っていない。
それでも大切に、小屋の薬棚の一番上に、律儀に置かれていたそれを、
トギは持ち出してくれていたのだ。

ウンスは涙で目の前が曇って、急いで袖でそれを拭う。
うなずいて、それを懐に入れた。お守りがわりだ、これくらいいいだろう。
トギはもう何も手を動かさずに、後ろに退いた。

二十名の于達赤隊が、麒麟の紋様の鎧を胸に、騎馬している。
城壁上の兵の知らせにより、城壁外には十七頭の馬と無数の帯剣した男がいて、
伝令を阻んでいるとのことだった。
チュンソクから、手早く説明があった。

まず一名が出て、血路を開く。
剣を交えるのは程々にして、引きつけながら伝令口から馬と人を引き離す。
その後十名が走り出て、続いてウンスとテマン、その後残りの九名が後を追う。
比較的手薄らしい破られた玄武門を一散に目指す。
説明が終わるやいなや、トクマンが手を頭の上で振った。

「俺が、行きます」

皆がトクマンの方を見る。
トクマンがいつものにやとした笑みを浮かべて、手を挙げている。

「一番に、まいります」

へへ、と笑って、トクマンは急に真顔になって手を下ろした。

「わかった、一番手はトクマンだ」

チュンソクは落ち着いた声でそう告げた。
ウンスが見ると、トクマンは強張った顔で笑みを作って、ウンスに笑いかけた。
胸の奥が詰まったような、おかしな感覚があって、ウンスは胸をぎゅうと押さえる。
チュンソクが、最初の十名、残りの九名を手早く振り分ける。
最後尾を、チュンソクが務めると言う。
ウンスはどうしても黙っていられずに、チュンソクに馬を近寄らせた。
口を開こうとすると、チュンソクが先に口を開いた。

「ユ先生、ウダルチを見くびらないでください。トクマンも勝目があるから
ああやって名乗りを上げたのです。たとえテホグンのお命のためとはいえ、
無駄に命を使う気もなく、使わせるつもりもございません」

第一、とチュンソクは続けた。

「そんなことをしたら、テホグン殿にどのようにどやされるか」

なあ、とチュンソクがそう言うと、于達赤隊員たちは、
おう、と野太い声を揃えてそう言った。
では行くか、と続けると、チュンソクはテマンを見て、ユ先生は任せたぞ、と告げる。
テマンはこくりとうなずいた。

トクマンが伝令口の前に馬を進めた。
剣を前に向けて脇腹に当てて構える。

「開けていいぞ」

トクマンが、伝令口を城側から守る衛兵に、馬上から言った。
泣きそうな目でその背中を見つめるウンスの方は、一度も見なかった。



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by kkkaaat | 2013-12-11 00:24 | 颶風【シンイ二次】

【シンイ二次】颶風15


「大丈夫よ、ちょっと深く切っただけ。
縫ったところはいつもきれいな布で覆っておいて」

ウンスはそう言ったが、内心、余分な布などないのだとわかっていた。
横にいたトギが、腕にかけた籠の容器から薬をすくいとって、傷口に薄く塗る。
府令が出てすぐに、トギは自分の家とチェ・ヨンとウンスの屋敷から洗いざらいの
薬や道具を引き上げて、皇宮へとやってきてくれていた。

皇宮の中は、人でごった返していた。
王と王妃の使う、乾安殿の寝間と続き部屋、文官武官たちが使う、
便殿、長和殿を除いたほとんどすべての部屋に、城下の者たちが入り込んでいる。

王の府令によって屋敷から皇宮に身を寄せた貴族たちは、最初の三日ほどは、
満足に部屋が与えられないことについて憤っていたが、
五日目に京門が破られると、声を潜め、逆に身を寄せるようにして恐れをしのいでいた。

都を守る六衛は、その時に開京に在していた一万と数百の兵をもって、
五日ほどを持ちこたえた。
王都をぐるりと取り囲む、長い京壁に何度も立てかけられる高梯子や、
鈎つきの縄を弓と剣を持って撃退を続けていたが、
五日目にどこからか、見たこともないような大木が持ちこまれ、
それを二百人ほどの頑強な男たちが破城槌にして玄武門を破ると、
すでに数の見当をつけることも難しくなった紅巾は、
なだれを打って開京の城下に流れこんだ。

四方八方から現れる群民に、左右衛は各門の檣楼部に、金吾衛は兵営に立てこもり、
その他の六衛の一部は皇宮まで撤退することに成功する。
王は南大門を始めとした京門が破られた場合、兵力を温存して篭城戦へと移行せよ、
と命じていたのだ。

すでに城下は家屋敷を除けば、空になっていた。
この五日の猶予で、そのほとんどが、皇宮に逃げこむか、密かに城外に逃げ出すか、
そうでなければ紅巾の仲間に加わっていた。

人けのない城下は、紅巾たちの怒りを受け止めかねていた。
荒れ狂う群衆は、屋敷の調度を奪い打ち壊し、食糧を求め軒先をあさったが、
すでにめぼしいものは皇宮へと運び出されたあとであり、一万を越える大人数の
気のすむほどのものは、残ってはいなかった。

紅巾の群民が居座り、城下から動かなくなって二日。
高麗の王都をせしめたものの、手に入ると言われていたものなどどこにもない、
そのことに気づいた群民は、ふつふつと怒りを積み上げはじめていた。

京壁、京門と違って、城壁は二倍の高さ、城門は四倍の強固さを持つ。
禁軍の持つ弓は、六衛の持つ弓の二倍の力がなければ引けぬしろものだ。
帯剣しているとはいえ、私兵以下の紅巾は、城を攻めあぐねている。
けれど、高い城壁から射られる恐ろしさよりも、積み上げられた怒りが高くなるまで、
そう時間はないと、皇宮の中のものたちにもわかっていた。

皇宮に逃げこんだ人々は、慌てての避難で怪我をしているものも多く、
この日もウンスは、その治療に走り回っているところだった。
瞻星台から皇宮へ、トクマンの馬でかけ戻ってからすでに七日。
ようやく患者の列が途切れて、ウンスは疲れきって乾安殿へと足を向けた。

「入ってもいいかしら? チョナは、来てます?」 

ウンスも使わせてもらっているこの部屋は、王と王妃の休息所としての部屋で、
時折二人が話していることもあって、ウンスは入り口の武女子に尋ねてから
扉を開けた。
王は便殿に昼夜詰めきりで、ほとんどこの部屋には戻らなくなりつつある。

ウンスが入っていくと、中ではチェ尚宮と王妃が、慌てた様子で立ち上がり、
二人同時にウンスを見た。
王妃がウンスに駆け寄った。
その両手が、ウンスの両手をつかむ。

「聞きましたか」

大きく見開いた目の、恐れをたたえて黒々と濡れた様子に、
ウンスはびくりと後ずさった。
いいえ、と発した声が揺れた。

「いいえ、何も聞いてはいません」

城門が破られたのだろうか、それにしては静かだ。
そう、やけに静まりかえっている。
怒ったり喚いたり、何かしら騒々しかった皇宮内が、何か諦めにも似た空気で満たされて、
皆が黙りこくってうつむいているような気配だ。
チェ尚宮と王妃が顔を見合わせる。

「いま、テマンが和州より戻りました。ウンス殿、あなたを探していると」

何があったのですか、と自分がひらべったい声で言うのを、他人事のようにウンスは聞いた。
私たちも、まだ知らせが何なのかは聞いておらぬのです、と王妃が言うが、
その声に悲痛な響きがある。
あのもの、ずっとそなたを探してうろたえていて、王のもとに連れていかれました、
と王妃が言う。泣き通したように目が赤くて、と言う手と唇が小刻みに震えている。

城外からいかにしてか、皇宮まで忍び入りまして、この乾安殿にあなたがいると聞いて、
手続きも踏まずにここに立ち入ったのです、といつもは落ち着いたチェ尚宮が、
狼狽して手で額を押さえているのだから、テマンの様子はよほどおかしかったのだろう。
ウンスは、息が詰まったような、喉の苦しさを覚えた。

「何があったの」

と呟いて、やおら踵を返して、便殿へと走ろうとした。
テマンの口から直接、聞かねばならない、と思ったのだ。
その時に、離れた回廊から、お戻りになっていますが、取次ぎをお待ちください、
と慌てたように告げる声が聞こえる。
その声をすり抜けて、重いのに早い、乱れた足音が近づいて来る。
ユ先生、と呼ぶ声がぞっとするほどしわがれている。
いつもの猫のような歩き方が嘘のようだ。
よろめくような、それでもただひたすらに急ぐような。
ウンスは扉に飛びついて、開け放った。

「テマン!」

名前を呼んだつもりが、悲鳴になった。
角を曲がって現れたテマンの顔を見て、ウンスは心臓が一瞬止まる。
いつもの、ヨンが特に作らせたチェ家の兵服も鎧も身につけていない。
紅巾に紛れるためなのか、農人の着るような白茶の上下を黒い帯で結んでいる。
手足も顔も煤で汚れ、その顔の真ん中で、目が赤く充血している。
怪我はしていない、病の兆候もない。

けれども、その目の中にある絶望の色を、ウンスは一瞬にして読み取った。
泣いてはいない。
ただ、その顔からはすべての表情が取り払われていた。
あのいつも生き生きとして、ひと時もじっとしていない表情が、
黒く煤けてぴくりともしない。

「ユ先生…」

ウンスの姿を認めて、テマンが大きく息を吸いこんだ。
今まで息を失っていて、それを一息で取り戻そうとでもするように、一息だけ深く。

「ユ先生、…違う…違う、医仙さま、お助けください」

テマンはその後の言葉を、言葉として言うことができずに、
ウンスの顔に口を近づけて、息ほどの大きさで絞り出した。

ウンスの両手がまるで重い枷をつけられているかのように、
じりじりと口元まで上がり、指が瘧のように震え、

それからだらりと落ちた。




ちょっと長かったので切りました。
続けてもう一話あげます。


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by kkkaaat | 2013-12-10 23:52 | 颶風【シンイ二次】

【シンイ二次】颶風14


城門が近くなると、門扉の轟きは、耳の潰れそうなほど大きくなった。
城外から沸き起こるときの声と対照的に、城門の内側からは、指示を出す慌てた声が
右往左往している。
突然、大太鼓のようだった規則正しい音が、つんざくような軋む音にかき消された。
大木が倒れる、森の中にいれば、そう思っただろう。

「扉を突破したな」

チェ・ヨンがそう言うと、イ・ソンゲの顔がわずかに苦しげに歪んだ。
行きましょう、とイ・ソンゲが、ただそれだけを言う。

回廊を前から、伝令が走ってくる。
遠目には城兵に見える一群だが、少し寄れば、先頭のチェ・ヨンが双城総管府の長、
趙小生を引きずるように歩いているのがすぐにわかる。

あっけに取られて立ち止まり、反射で剣を抜くが、十歩ほどの距離で構えるという
ほどもなく剣を前に立てて、呆然とこちらを見ている。
ヨンの後ろで誰かが剣を抜く気配があったが、
ヨンは待たずに小振りな雷功を軽く手でも振るように放った。
兵が、崩れ落ちる。
それを足で蹴ってよけるようにして、一群は進んだ。

「殺さないのか、甘いやつだ」

唇を震わせながら、趙小生が言ったが、必要があればやる、
とチェ・ヨンが見下ろしてそう言うと、黙った。
イ・ソンゲが、あの扉を開けて、その次の巻き上げ戸を上げれば城門です、と告げた。

抜剣せよ、と間をおかずにチェ・ヨンが言う。
薄暗い中にたった一本の松明がかかっている回廊で、
数十本の剣に、松脂の橙黄色の炎が映って閃いた。
かちかちと耳元で音がするのを、チェ・ヨンは横目で見る。
イ・ソンゲの口元が震えおののいていた。

「いいんだぞ、ここで待っていても」

チェ・ヨンが奮い立つような表情に似合わぬ、優しい声音でそう言った。
武者震いです、とイ・ソンゲが言うと、後ろの手だれの高麗兵たちが、
みな低く笑った。
イ・ソンゲは怪訝な顔をして、振り返る。

「初めてのやつは、みなそう言う」

チェ・ヨンは言いながら、足を踏み出した。
巻き上げ戸もそのままで、横の通用扉からまず古参の高麗兵が出る。
扉前を守っていた城兵は伝令が出てきたと思って、背中を向けていて、
一刀のもとに地を這った。
玉がこぼれ落ちるように、高麗兵が狭い扉から一人ずつ走りでる。

外はすでに乱戦めいた模様を見せ始めているが、壊された門扉に向かって、
正面を向いて戦っている城兵も多く、チェ・ヨンらが出て行くと、
その兵を挟み撃ちにするような形になった。
高麗兵たちは、城兵が気づく前に、剣をその身体に突き立てた。
もともと数で劣る城兵の戦況は、みるみるうちに悪い方へと傾いていく。

イ・ソンゲは援護をしてくれるはずの武臣を探して戦場を駆けていく。
チェ・ヨンはその背中を見送ってから、口を開く。

「言え」

チェ・ヨンが趙小生の耳に鬼剣を当てた。
ぶるぶると、双城総管府の長は首を振る。
皆殺しになるぞ、それでもいいのか、とチェ・ヨンが言うと、
最後の一兵までここを死守するのだ、と血走った目で睨みつける。

チェ・ヨンは、はあ、と呆れはてたため息をつくと、
すい、と剣を動かした。
裏返った悲鳴を、趙小生が上げる。
顔から耳が半分ほど離れ、すぐに伝った血が顎からぽたぽたとたれ始めた。

趙小生が、ひいひいと泣きながら、耳を押さえた。
チェ・ヨンは、壊れた門扉に目をすえる。
離れているが、東北兵馬使ユ・インウの気配を捕まえて、
そこに視線と気をやると、向こうでも気づいた気配があった。

一人立ち止どまっているチェ・ヨンを見つけては、斬りかかってくる兵もいたが、
ことごとくテマンに退けられる。
チェ・ヨンが大きく息を吸う。

「剣をおさめよ」

腹のそこからびりびりと響く声が、辺りに鳴り渡ったが、一瞬手を止めたものも、
間をおかずまた剣を交え始める。門扉の向こうで、指示を出す声がしたが、それでも
すぐには止まらない。
チェ・ヨンは門扉横の鐘楼の鐘に向かって、手を伸ばした。

雷光一閃。
目の潰れるような光が辺りを照らし、鐘が弾けとび、がらんがらんと大音響を
立てながら、どこか城外へと吹っ飛んだ。
騒がしい戦場が、とたんに静まり返る。

「剣を、おさめよ!」

チェ・ヨンがもう一度言う。
そして、襟首をつかんで引っさげていた趙小生を目の前の地面に転がすと、
その身体をまたいだ。
首元に、鬼剣を立てるように構える。
われは高麗国大護軍、チェ・ヨンである、と言うと、なぜ背後にいるのかと、
城兵たちが色めき立つ。
高麗兵たちがじりじりと下がって、チェ・ヨンを守るように輪を作った。

「双城総管府の長、趙小生殿より、大事な話があるそうだ」

顎をしゃくって、チェ・ヨンは趙小生に話せ、と合図する。
趙小生は、はあはあと喘ぐばかりで、何も言わない。
チェ・ヨンが無表情のまま、首に剣先を食いこませると、ぷつりと小さな穴があいて、
血玉が丸く首に浮かび、つい、と横に流れた。

「降伏いたす…」

趙小生はかすれたよく聞き取れない声で、ようやくそう言った。
聞こえぬ、とチェ・ヨンが手に力をこめると、趙小生は悲鳴のように繰り返した。
呆然と動きの取れぬ城兵の中を、ユ・インウが進み出てきた。
チェ・ヨンと目があって、満足そうにうなずく。
剣を趙小生に押し当てたまま、チェ・ヨンは口角を持ち上げてうなずきかえす。

「みな、聞こえたな。趙小生殿は、高麗王のもとに下る、と言われている。
元はこの和州も高麗の地。お主たちもまた高麗の民である。
高麗王は慈悲深きおかたであるゆえ、恭順の意を示し、投降すれば、
また高麗軍で地位を与えられるものもあろう」

ユ・インウがそう話す。
その声は指揮で多少ひび割れているが、砦のすみずみまで響き渡る。

「慈悲深き高麗の王に下るものは、今ここで剣をおけ。
命の最後のひとしずくまで戦うというものは、このユ・インウがお相手いたす。
前に進み出よ」

誰も、ぴくりとも動かなかった。
その中を、イ・ソンゲがかけ戻ってきた。
後ろに父親のイ・ヤチュンの姿が見え、ほか幾人かが足早に着いてくる。

イ・ソンゲとチェ・ヨンの目が合った。
チェ・ヨンが、ユ・インウを眼球で教えると、イ・ソンゲはその前に歩み寄り、
膝をついた。続いて、その後続もみな、並んで膝をつく。
からり、と剣を地面に置く音がしたと思うと、城兵たちが次々に剣を置いた。

高麗兵が無言でその剣を走って集めはじめる。
チェ・ヨンは、趙小生の喉元から剣を外し、兵服の裾で剣を拭うと鞘に戻した。
それから趙小生の上からどいて、一つ蹴りを入れる。
趙小生は、小さく、うう、と呻いて身体を丸くした。
ユ・インウの元に歩み寄ると、イ・ソンゲたちが立ち上がるところだった。

「よくやった、お若いの」

ユ・インウがチェ・ヨンに向かってそう言うと、イ・ソンゲが目を丸くして、
チェ・ヨンを振り返った。
自分を「お若いの」と呼んだ男が、そう呼ばれたのに意表をつかれたらしい。
チェ・ヨンはイ・ソンゲの顔を見ると、にやりと笑ってみせた。



東北兵馬使ユ・インウ、宗簿令キム・ウォンボン、大護軍チェ・ヨンの三名が、
会議に立ち会うべく、大広間に向かって進んでいた。
先導をするのはイ・ソンゲだ。
門卒の鎧を脱いで、落ち着いた紫の衣に着替えている。
こちらに気を使ったのか、胡服ではなく、高麗風の仕立ての服を来ているが、
髪だけはまだ元風に整えているのがちぐはぐな印象だ。

広間ではイ・ヤチュンや趙小生の叔父、趙轍をはじめとして、
この双城総管府陥落に功成し遂げた、寝返り者たちが待っている。
チェ・ヨンの後ろに歩く中郎将二名が、その人数分の
あらかじめ開京より運んできた書状を抱えている。
高麗王より、品階を賜るというわけだ。
列の最後尾に、テマンがチェ・ヨンをうかがうように着いてくる。

チェ・ヨンは高揚が一気に冷めて、手も足も冷え冷えとしていた。
腹の底に、勝ち戦の快味がわずかに熱をたくわえているが、それだけだ。
いつもそうだ。目的を果たすまではいい。
戦は終わってしまうと、残されたものばかりが目について、うんざりする。
以前、于達赤隊員の亡骸を前にして座りこんで、うんざりする、
とこぼした時に、チュンソクがしばらく黙った後、チェ・ヨンに言ったことがある。

「テジャン、うんざりしているようには見えませぬ。物哀しくおなりなのでは」

チェ・ヨンはチュンソクをじろりと睨みつけたが、チュンソクは臆すことなく
見返してきて、結局チェ・ヨンの方が目をそらすことになった。

書状を一枚ずつ広げて、読み上げて、渡して、その手順を思うと、
それこそ本当にうんざりとした気分になった。
それから、延々と続く、細かな講和の取り決め、駆け引き。

「そうあからさまに顔に出すな」

ユ・インウが、チェ・ヨンに話しかけた。
攻城戦にしては楽な方であったが、この老武将も、疲労の色は隠せなかった。
ただでさえ深い眼窩が落ち窪んで、影の濃い顔つきになっている。

「お前さんはあとは、儂の後ろに立って、あいつらがおかしな素振りでも
見せたら、その、それで、びりびりっとやってくれればそれでいい」

ユ・インウはチェ・ヨンの手を指差して、そう言った。
初めて見たチェ・ヨンの雷功に感心したらしく、さっきから、
あのびりびりというやつは誠によかった、と子どものように繰り返していて、
チェ・ヨンはこのユ・インウという老武将のことを好ましく思うように
なりかけていた。

ふと、イ・ソンゲの足が止まった。
合わせて高麗からの一群の足も止まる。
イ・ソンゲがくるりと後ろを振り返り、チェ・ヨンらと向き合った。

「広間に行く前に、ひとこと忠告いたしたきことがございます」

チェ・ヨンとユ・インウは顔を見合わせる。
回廊のその角を曲がれば広間はすぐだ。
ユ・インウが、手を小さく動かして、申してみよ、とうながす。
イ・ソンゲが口を開いた。

「徳興君が、広間にいらっしゃいます」

そのひとことで、チェ・ヨンの腹の底の最後の温みまでが消え果てた。

「部屋に来るまで、伏せていてほしいと、頼まれましたが、
先にお知らせしておいたほうがよいかと」

戦には、姿が見えぬようであったが、とユ・インウが言うと、
剣は得手ではないゆえ、中で待とう、とおっしゃって、城の奥に、
とイ・ソンゲは歯切れが悪く言った。
臆病にも戦いの間隠れていたとは、さすがに言えないのだろうが、
イ・ソンゲの不満げな顔が、その心中を物語っていた。
ユ・インウが、チェ・ヨンを見た。

「さて、飛びかからずにおられるか、テホグン」

チェ・ヨンの目の奥が、かき曇るように暗くなった。
そばにいる者の肌が粟立つ。
気がチェ・ヨンの身体を駆け巡り、
半開きの手がぴくり、ぴくりと死にかけの魚のように痙攣した。
その肩に、ずしり、とユ・インウの手が乗せられた。

「殺すにしても、半殺しですませるにしても、元朝の話を聞き出してからだ。よいな」

チェ・ヨンはぐうと手を握りしめ、はあ、と息を吐いて顔を上げた。
ユ・インウを見て、小さくうなずき、その顔をイ・ソンゲに移して、もう一度うなずいた。
よく話してくれた、とユ・インウが言い、またイ・ソンゲが前を向いた、その時だった。

回廊を走ってくる足音が聞こえた。
左右衛から連れてきて、チェ・ヨンの部隊に組みこまれた男が、
人をかきわけるようにして、チェ・ヨンのところまで来た。

「何事か」

問いただすと、こちらのものが、大護軍殿への使いであると言うのです、と答えた。
列の最後尾に、戦をくぐり抜けた兵のほうがまだましという、
汚れくたびれ果てた男が一人やっとの思いで立っている。
商人のような格好をしているが、その顔に見覚えがあった。

チェ・ヨンの髪が逆立つ。
大股で近づき、腕をつかむと、声の聞こえないところまで引きずるように連れていく。
大きくなってしまいそうな声を必死に潜めて、チェ・ヨンは尋ねた。

「お前、鷹揚軍のものだな」

アン・ジェのもとにいるのを見たことがあった。
なぜ皇宮を守護しているはずの鷹揚軍の兵が、商人に身をやつしてここにいるのか。
その男の胸ぐらをつかんで、揺すぶりながら言う。

「どうした、なぜここにいる」

これを、と男は懐から小さく畳まれた書状を取り出して、チェ・ヨンに手渡した。
護軍アン・ジェ殿よりのものです、と低く言う。
広げる手が震えそうになって、チェ・ヨンは自分を叱咤する。
細かく書かれた筆跡は、確かにアン・ジェのものだ。

近づいて来る足音がする、ユ・インウのものだ。
チェ・ヨンは顔を上げて、確かめることもできなかった。
青白い顔色と、凍りついたような目つきに、ユ・インウの表情が厳しくなる。
書状を読んでいるチェ・ヨンの手元を、無遠慮に覗きこむ。

「これは…!」

ユ・インウが息を呑む。
チェ・ヨンはその書状をユ・インウの手に押しこむと、走り去ろうとした。
腕を強くつかまれて、わずかに我にかえる。

「どこに行くつもりだ」

問われても、うまく声が出なかった。
開京まで馬で駆け戻るつもりだな、と言われて、うなずく。
ユ・インウが、チェ・ヨンの両腕を捕まえるようにつかんだ。
顔を寄せて、耳元で誰にも聞かれぬようにして言う。

「今はいかん。絶対にいかん。ここで開京が占拠されんとしているなどと知れれば、
双城総管府のやつらがどうでるか。せめて、書状をもって高麗の臣と任じた後にせねば」

ユ・インウの言っていることは、もっともで、自分がその立場にあれば、
同じことを言っただろう。けれど。
チェ・ヨンは身体の芯が震えるような感覚から逃れられないでいた。

「お前一人が戻ってどうするのだ。あと数刻、いや一刻でよい。
そうしたら、左右衛の兵は全部お前につけてやる」

だから、今はこらえろ、と腕を持って揺すぶられる。
ぎゅうと目をつぶる。
ユ・インウの言うことは、すべて正しかった。

「一刻、それ以上は待てませぬ」

チェ・ヨンは絞り出すように言った。
言いながらも、足元が定まらず、心がどこかに駆け出していくのを止められない。

「戻るぞ、怪しまれる」

ユ・インウにいざなわれて、チェ・ヨンは二人並んで列の先頭へと戻る。
習いで平生の顔を作っているが、動揺を隠しきれているとはいえなかった。
イ・ソンゲがいぶかしむように、見ている。
睨みつけて、行けと目顔で言うと、少し慌てて前を向き、広間に向かった。

大きな扉を衛兵が開いて、中にいる顔が見える。
その時でさえ、チェ・ヨンはろくに、広間の中を見ていなかった。
このような重要な場所にいて、これほど考えがまとまらないことなど初めてだった。

目は、広間の真ん中の大きな卓ではないものを見ていた。
開京を取り囲む一万の紅巾、いや今はもっと膨れ上がっているのか。
だというのに指示がない、おかしいので密かに伝令を送ると。
未だ城門は破られていないとは言うが。
これが書かれたのが三日前だという。今は、今はどうなのか。
俺のあの人は、いま、どこにいるのだろう。
顔を思い浮かべた途端に、歯が鳴りそうになった。

まずいのはわかっている、集中しろ、と自分に言い聞かせる。
手のひらに爪を立てたが、痛みさえあまりわからない。
立ち上がって、こちらに歩み寄る人物がいるのがわかった。
あいつは誰だろうか、ああ。

徳興君だ。

にやにや笑いを浮かべて、いや、笑っていない。
目の奥は笑ってなどいない。
あの奥に揺れているものはなんだ。

「ずいぶんと懐かしい顔だな」

徳興君が、妙に親しげに言う。
こいつに馴れ馴れしくされる覚えなぞ、一つもない。
なぜ近づいてくるのだ。
今すぐここから出て、開京に飛んでゆきたい。
なぜ俺はそればかり考えている。
しっかりしろ、と歯を食いしばる。

「おや、顔色がお悪いようだ。何か悪いことでもありましたかな。
例えば、開京に紅巾が押し寄せるとでも言うような」

結局のところ、ユ・インウに約束したように、飛びかかることをこらえることはできなかった。
肩をつかみ、壁へと押しやる。
吊るし上げるようにして、顔を近づけ、噛み付くようにしてチェ・ヨンは言った。

「なぜお前がそれを知っている」

徳興君の手が持ち上がり、チェ・ヨンの手の甲をかすめるように動いた。
何か、小さなものが、チェ・ヨンの手を引っ掻く。
どん、と徳興君の身体を突き放したが、やつは笑っている。
それでも目の奥はやはり笑っていない。

膝が、くずおれた。

なんだ、これは、とチェ・ヨンは驚愕した。
テマンが、飛びこんでくるのが見える。
チェ・ヨンの身体を支えようとしたが、みるみるうちに身体から力が抜ける。

「テマン」

息が、はっ、はっ、と急激に短くなる。
テマンは、その様子のおかしさに、顔を歪め、必死にチェ・ヨンを横たえ、
楽な姿勢を探そうとするが、そんなものなどない。
苦しみもしない、ただ、手足が縮み、息が止まっていく。

「開京に…戻ってくれ」

わずかに残った息を使って、言葉を絞り出す。
テマンが、何度も何度も呼んでいるのが聞こえる。

目が見えなくなり、暗闇の中に取り残される。
何にも触れず、何にも触れてはこない。
明かりが音が匂いが、…熱が弱まっていく。

「あの人を」

最後の一息が漏れた。



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※コメントのお返事をすると、どうしてもネタバレになってしまう可能性が高いため、
ここから18か19話くらいまで、まとめてのお礼コメントのみにさせていただければと思います。
本当に申し訳ありません<(_ _)> 

by kkkaaat | 2013-12-10 01:21 | 颶風【シンイ二次】

【シンイ二次】颶風13



どうん、どうん、と腹の底に響き、耳の奥の膜をびりびりと振動させる音が、
砦のどこにいても、聞こえてくる。
北の城門を打ち破ろうとする破城槌と、ぶ厚い門扉が打ち合わされる轟音だ。

はじまった、チェ・ヨンは胃の腑から喉元まで吐き気のような興奮が
こみ上げてくるのを感じた。
身体は明らかに熱を帯びているのに、頭の芯は死んだように静かだ。

開京を離れて二十日、双城総管府の攻略の火蓋が切って落とされようとしていた。

今頃、東北兵馬使となったユ・インウが、衝車(城門を打ち破る破城槌のついた
戦車様のもの)を前に押し出させ、矢の雨の中を州兵たちが一人、また一人と倒れながら、
進んでいるだろう。
門脇の鐘楼から火矢が降り注ぎ、衝車に炎が上がっても、それは止まらない。

身体を燃やしながらも左右衛の剛健な兵が前線に出て弩を引く。
鐘楼上の門卒(もんばん)と城壁上の弓兵は、ぶおん、と空を切る矢によって
一人ずつ身体に穴を開けられていくだろう。
薄い鎧などひとたまりもない。

チェ・ヨンには、それが見えた。
頭の中で、という意味ではなく、離れていてもそれを確かに感ずることができた。
と、同時に、東壁からやや離れた松林の暗がりに隠れていても、
その壁の向こうに近づいてきたものの気配を感じ取っていた。
身じろぎもせずチェ・ヨンの後ろに控えていた兵達に、声をかける。

「壁の向こうに、二十名あまり来ている。今に縄梯子がかかる。
見えたら、すぐに行くぞ」

手はずはわかっているな、と問う。低いいらえがあった。
すぐ脇にいるテマンが、チェ・ヨンの肩に手をかけた。
チェ・ヨンは落ち着かせるように、その手の甲を軽く叩いた。
しばらくして縄梯子が暗い壁に現れる。
チェ・ヨンを先頭に二列となった兵は、一くさりのようになって壁に足音もなく近づいた。

縄に手をかけると、チェ・ヨンがまず登った。
誰何する声もないまま、城壁の上へと立つと、そこに双城総管府の黒々とした
兵服をまとった兵が四人、縄梯子のそばに控えている。
その真中を迎え入れられるように三歩歩いて、チェ・ヨンは砦内へと下ろされた縄梯子を
ほとんど滑り降りるように下った。

砦の中に降り立った。
一番乗りというわけだ、とチェ・ヨンは妙に高揚する。

降りたその正面に、門卒の鎧を来たイ・ソンゲが、強張った顔つきで立っていた。
本来ならばもっと豪奢ななりをしているはずなのだろうが、持ち場を離れて
ここまで潜んでくるのに、鎧を変えたのだろう。
チェ・ヨンは今日がイ・ソンゲの初陣のようなものであることに思い当たる。
体つきは立派だが、一兵卒の格好をしたイ・ソンゲは、年齢なりに未熟なふうで、
チェ・ヨンは鼻で笑う。

「ごくろうだったな、お若いの」

そう言うと、イ・ソンゲはむっとした顔をして、それから無駄口は叩かずに
図面を広げた。目新しい内容はない。
半月ほど前に、開京で話した手はずをもう一度確かめている後ろに、
まずはテマンが、その後も次々に兵が降り立つ。

無言のまま兵服を手渡され、高麗兵たちも無言のまま、身支度を変える。
塀際に積み上げられていた鎧を、手早く身につけている。

チェ・ヨンも黒い兵服に変えると、自分は鎧を付け終わったテマンが駆け寄って、
チェ・ヨンに鎧を着せかけた。
鎧を身につけて顔をあげると、他の兵の準備はすでに整っていた。
もともといた双城総管府の兵と高麗兵が並ぶと、わずかに着慣れぬ様子がわかったが、
戦いのさなかに気づく者など皆無なはずだ。

「いざ」

チェ・ヨンは戦場に似合わなぬ粛然とした調子で言うと、鬼剣をすらりと抜く。
騒がしい戦場に、細く細く刃鳴りの音が響く。

こちらへ、とイ・ソンゲが先に立って、城内に向かって歩き出す。
チェ・ヨンはイ・ソンゲに遅れること半身、顎を引き、剣をだらりと下げて
ややうつむき気味になって進み始めた。


砦の城内の居室はがらんとしている。
今は城壁の防護にすべての兵が出払っているのだ。

どこかに移動する途中を装って、イ・ソンゲを先頭に急ぎ足で進む一隊は、
城内のある場所を目指している。
回廊の角を曲がる直前で、イ・ソンゲが足を止めた。

「この先の室です。部屋前に、衛兵が二人おります」

チェ・ヨンがテマンともう一人を無言で指差し、回廊の先へと指を向ける。
二人はこくりとうなずくと、剣は抜かぬまま、並んで進み、角を折れた。
誰何する声のはじまりが息で途切れ、静まり返った。

テマンがひょこりと角から顔を出し、うなずく。
一隊が前に進むと、兵が衛兵を音のせぬよう静かに横たわらせている最中だった。
進もうとするイ・ソンゲをチェ・ヨンが手で制する。

目で、俺が行く、と告げる。
イ・ソンゲがうなずくと、チェ・ヨンはなんの気負いもなく進み、
扉の前に立つと、自分の部屋でも蹴り開けるように、その扉を蹴破った。

中にいた者が驚いて立ち上がり、がたり、と音を立てて椅子が倒れる。
そこに、双城総管府の長、趙小生と砦の武臣だろう男が二人、何事かを話していた。
あっけに取られて、チェ・ヨンの姿を見る。

「ぶ、無礼であろう!」

趙小生は、チェ・ヨンの鎧を見て、まだ高麗兵であることに気がつかないでいたが、
すぐにその顔を見て、ああっ、と声を上げる。
お前は、と言ったそこで、なだれこんで来た兵たちに、趙小生ともう一人は取り押さえられた。
一人は素早く剣を抜き放ったが、すでに後ろに回っていたテマンが首に短刀の刃を当てて、
本人も気づかぬほど手早く横に動かすと、その場に声も立てずに崩れ落ちる。

「さあ、行くぞ」

チェ・ヨンは趙小生の首根っこを引っつかむと、ほら歩け、と尻を蹴る。
ど、どこへだ、と趙小生が悲鳴のような声で言うと、チェ・ヨンは、はあとため息をつく。

「城門に決まっているだろう」



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by kkkaaat | 2013-12-09 00:04 | 颶風【シンイ二次】

二次小説。いまのところシンイとか。
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